第406話 白対灰 四

     ◇   ◇   ◇




 イリアルの使う魔術は『白輳の翼スカイドール』。


 魔法陣の翼を展開し、それを組み替えることで様々な術式をノータイムで発動する近接戦闘向きの魔術である。


 奇しくもそれは全身を魔道具としたグレンとよく似ていた。


「言ったろう。軽いと」


 問題は、練度の差。


 グレンはイリアルのあらゆる攻撃を容易く捌き、その身を連続で斬った。


「ぁぐっ――‼」


 鮮血が飛び散り、翼が消えた。


 時間を稼ぐどころか、見向きもされなかった。歩いている途中に石があったから蹴飛ばした。その程度の手間で処理された。


 自分の横をすり抜けていく化物を感じながら、イリアルの頭に浮かんだのは、最愛の妹だった。


「ッうぁああ‼」


 ドンッ‼ と倒れる身体を踏み出した足で支え、魔力を回す。全身の血が沸騰し、頭の血管が何本も破裂したのではないかという痛みに襲われた。


 視界にフラッシュが瞬き、今自分が何をしようとしているのかさえ、定かではない。


 自分が倒れてはならない理由だけが、明瞭だった。


「私は‼ お姉ちゃんだから‼」


 血反吐ちへどと共に、イリアルは吐き出す。


「沁霊術式――解放‼」


 己の愛という魔術を。




「『白き翼よ理想郷へアルカディア』」




 青白い粒子がイリアルの背から噴き出し、翼となった。


 これまでの魔法陣ではない。噴水で作る芸術のように、粒子の翼は羽ばたいてイリアルをグレンへと飛ばす。


「はぁぁあああああああああ‼」


「無駄なことだ」


 沁霊術式だろうと、魔術である以上、グレンの目からは逃れられない。


 足を止めることなくグレンは斬り捨てようとした。


 しかし、手刀は初めて空を切った。


「何?」


 完全にイリアルの意識が向いていない方向からの斬撃だった。躱せるはずがない。


 二度、三度。


 イリアルはグレンの攻撃を避け、更には翼を使って反撃してくる。


 グレンはその時点でイリアルの魔術を看破した。


「対応の自動化か! 狂っているな」


 そう、もはやイリアルに意識はほぼない。


 展開された粒子状の魔力がグレンの動きの起こりを捉え、それに合わせて攻撃を避けているのだ。


 術師の意志を無視した完全自動化オートメーション


「気に入った! ここまで芯のある魔術師は俺の時代にもそういなかった‼」


 グレンはそう快哉の声を上げると、脚を止めた。


 そして構える。


「褒美だ、受け取れ」


 全身に彫り込まれた魔法陣が起動する。長い年月を掛け、彼が自分の身体に刻み込んだ術式は万を超える。


 これまで一割程度しか使っていなかったそれらを、五割起動する。


「『魔王の剣ディア・グラディウス』」


 斬ッ‼‼ と灰の大地が真っ二つに割れた。


 ただ手刀を、イリアルの対応が間に合わない速度で振っただけだ。


 それだけで沁霊術式を叩き斬り、イリアルを地面に墜落させた。


「誇れ。時代が時代なら、俺の下にいただろう」


 そう満足気に笑うグレンは、そこで気付いた。


 何かが自分を狙っている。


 途方もない魔力が込められた何かが。


 振り返ると、そこにはエリスがいた。レイピアを引き絞り、その切っ先を自身に向けている。


 その背後では、巨大な白の騎士が、優美な弓を構えていた。


 つがえる矢は、いびつに捻じ曲がっている。どれ程の魔力を込めたのか、今にも暴発しそうな危うさと美しさを宿していた。


「この矢は、強い光――最も強大な魔力を狙う。この距離なら、絶対に外さない」


「流石と言うべきか。その力、既に奴を超えるやもしれんな。嬉しいぞ。今こうしてここに立った価値がある」


 グレンが腕を上げた。


 真っ向から迎え撃つと言わんばかりに。


 レイピアを握るエリスの手から血が零れ、腕を伝う。


 三十秒だ。




「貫きなさい」




 『白くあれ花茨ホワイトリリー』が矢を放った。


 それに対し、グレンは全術式を起動する。




「『魔王の剣ディア・グラディウス』」




 空間が、揺れ、ひび割れた。


 書庫を埋め尽くしていた灰は爆心地を中心に消し飛び、巨大なクレーターを作る。


 その奥で、無傷のグレン・ローデストがエリスを見ていた。


「はぁ‥‥はぁ‥‥化物、ね‥‥」


 白くあれ花茨ホワイトリリーは消え、エリスはレイピアを支えに立っている状態だった。


 限界を超えて魔力を編んだのだ。あれ以上の一撃は出せない。


 エリスたちの負けだ。


 グレンは不思議そうに自分の身体を見下ろし、言った。


「ふむ。まだ三分は経っていないが、こちらも限界のようだ。最高傑作だと思っていたが、全力にも耐えきれないのであれば、まだ改良の余地があったな」


「何を言って――」


「喜べ、お前たちの勝ちだ」


 グレンの身体が、ボロボロと崩れていく。腕が、脚が、舞い上がった灰と共に、落ちた。


「最後に聞かせろ、当代の勇者はどんな奴だ」


 最後まで、グレンは尊大だった。


 エリスはどう答えるか迷い、素直に言った。


「おっちょこちょいで、自分が損をするくらいお人好しで、女性のエスコートが下手で、最高に格好いい人よ」


 グレンは声高らかに笑った。


「そうかそうか。奴の座にそんな人間が座るようになったか」


 一通り笑い終えると、満足そうにグレンは言った。


「付き合ってもらった礼に教えてやる。この先にいるのは、もはや魔族でも人族でもない。戦うというのなら、心することだ」


「‥‥そう、肝に銘じておくわ」


 エリスの見ている前で、グレン・ローデストは消えた。


 扉の先にいるのが誰だろうと関係ない。そこに勇輔がいるのであれば、エリスは二度と迷うことなくそこに行く。


 そう、決めたのだ。


 勝者の二人が書庫の扉をくぐったのは、回復を終えた、少し後のことだった。

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