第91話 軋条紗姫の実力

 どんな怪物が出てくるのかと色々考えてはいたが、流石に土砂崩れを起こすような化け物とは予想外だった。


 右藤真理は足元の地面が割れていくのを感じながら、冷静に周囲の状況を見回した。


 この場で最も戦闘力の高い伊澄月子は凄まじい一撃を前にしながら、一歩も退こうとしない。


 他の新人たちは完全にキャパオーバー。状況を飲み込めず立ち竦んでいる。


(俺じゃ全員助けるのは無理か)


 月子の放った『星花火』によって土砂の勢いは半減したが、それでも人を飲み込んで余りある質量だ。右藤の魔術で複数人を助けることは不可能。


 そう思いながら最後に後ろを振り向くと、そこでは是澤が両手を地についているところだった。


 聞こえたのは場違いな程に落ち着いた声。


「『ろくろかいな』」


 その魔術の効果を予想するよりも先に、顔を上げた是澤と目が合った。


 その視線と口の動きだけで、右藤は自分に何を求められているのか気付いた。


「言ってくれるじゃん」


 呟き、右藤は強化された脚で崩れ行く地面を蹴った。


 目指すのは武者とは正反対の方向。途中にいた軋条の細い腰を片腕で抱え上げ、一気に是澤の横を駆け抜ける。


「は⁉ いきなり何すんのよ!」

「黙ってろ舌噛むぞ」


 他の新人は恐らく是澤が何とかする、その代わり軋条は右藤に任せる。是澤はあの一瞬でそこまでの判断を下し、右藤が状況を確認するところまで読んで、それを伝えた。


 確かにあの場で冷静に行動できるのは、新人の中では右藤だけだろう。軋条は恐れこそしないが、戦いの経験は薄く判断が遅い。他の連中は言わずもがなだ。


(伊達に監督任されてねーな、やっぱプロだわ)


 右藤は是澤の動きに感心しつつ、道なき道を驚くべき速度で駆け抜ける。背後で土砂が樹々を押し倒す音が響き、地が揺れる。それでも右藤は一切速度を緩めなかった。


 あの首無しを目の前にして理解した。


 あれと月子の戦いには自分がいても足手まといだ。


 何もできないとは思わない。

 しかしデメリットの方が大きい。


 右藤は自分の力を過信していなかった。客観的に見極め、そう判断したのだ。


 恐らく月子だけならあの武者を相手にしても戦える、あるいは離脱することも可能。ならば右藤たちのすべきことは、一刻も早い脱出だ。


 幸いにもそこまで深いところに立ち入ったわけじゃない。右藤の脚なら軋条を抱えていても数分で出れるはずだ。


 その予想自体は間違いではなかった。


 何事もなければ右藤の見立て通りすぐに領域から出ることができただろう。


 だが今までにない魔力の持ち主たちは誘蛾灯も同然。光に誘われるようにそれらは音もなく現れた。


「チッ」


 右藤は即座に足で地面を削りながら静止した。


 頭の上で不満そうな声が聞こえてくる。


「いつまで人のこと抱いてんのよ、さっさと下ろしなさい、さもなきゃ料金取るわよ!」

「あんまり冗談言ってる場合じゃなさそうだぞ」

「はぁ?」


 右藤は軋条を下ろし、腰の後ろに手を当てた。正確には、そこに吊った小太刀の柄に。


 降ろされた軋条も服の皺を手で伸ばしながら周囲を睥睨し、鼻を鳴らす。


「ふん、雑魚が湧いてきただけじゃない」


 軋条の言葉通り、二人の周囲にはに幾人もの武者たちが現れていた。甲冑を着ている者もいれば粗末な布を身にまとっている者もいる。手に持つ武器も様々で、刀や槍、後ろには弓を構えている武者もいた。


 共通点はうろのような眼窩と虚ろな足取りだ。


「雑魚ならいいんだけどな」


 いつの世かも分からないが、戦乱を生きた武者の亡霊といったところか。


 首無しと比べては見劣りするが、一番初めの二人の戦いを見ている限り、雑魚と断ずるのは浅薄に過ぎる。


 しかし軋条はそんな右藤の言葉を笑った。


「雑魚よ。私から見ればどいつもこいつも雑魚ばっかり」


 その何回見たかも分からない傲岸不遜な笑みに、右藤はため息を押し殺した。


 子供の頃から知っている分、このセリフが本心から出ていることを右藤はよく知っていた。


 そしてその自信が本物の実力に裏打ちされたものであることも。


 武者たちが動き出す。


 武器を構え、猫背の体勢から頭を突きさすような低姿勢でこちらへと肉薄してくる。その様は人間というよりも獣のようでさえあった。


 四方から向かってくる敵に対応するのは並大抵のことではない。右藤とて一度に相手取れるのは一人まで。数人を疑似的な一対一にする術はあるが、それはまた別の話だ。


 だが軋条はその脅威を前に悠然とした動きで両腕を持ち上げた。


 まるで指揮者がこれから演奏を始めるような姿勢で、いつの間にか両手にはスマートフォンのような小さな機械を握っている。


「どうせなら伊澄月子が戦ってた奴とやりたかったけど、仕方ないわね。あんたたちで我慢してあげる」


 軽い口調とは裏腹に、全身を駆け巡る魔力は重厚かつ流麗。細い指先が機器の画面をタップした。


 そして狂騒の幕は上がる。


「私の歌を最期の手向けにしてあげるわ。感涙にむせび泣きながら終わりを迎えなさい」


 音のない世界に場違いな音楽が響き渡った。


 軋条の両手に握られた指向性スピーカー内蔵のオーディオプレイヤーから、絶え間なく大音量の音楽が溢れて跳ね回る。


 プレイヤーは魔道具でもなんでもない機械。当然そこから出る音楽も魔力の籠らないただの音だ。


 しかし軋条の魔術は既に始まっている。




「――ぁああ」




 彼女は跳ねる音に乗せるように、喉を震わせた。


 普段の言動からは想像もつかない大人びた声が言葉を紡ぐ。


「『暗くて怖い夢を見たわ。きっと誰かが私に内緒で作った悪夢。そこで私は一人きり。泣いて泣いて泣いてないで、思ったの』」


 言葉は音と弾んで歌になる。


 魔力の籠った歌は意味を持ち、力ある魔術となった。


「『閉じ込める扉は蹴り開けて、汚い暗闇引き裂いて、正体を見せなさい。私は私よ、誰にも好き勝手なんてさせないわ』」


 右藤は巻き込まれないように軋条から離れた。


 彼女の魔術制御は決してお粗末なものではないが、如何せん威力が強すぎる。


「『軋んで軋んで軋んで軋め。こんな世界はいらないの』」


 直後、驚くべきことが起こった。


 罅割れるように空間に黒い歪が生まれ、歌声と共に広がっていく。


 武者たちもそれが触れてはならないものだと気付いたんだろう。それを搔い潜りながら進もうとするが、歌の聞こえる範囲で罅から逃れる術はない。


 一度罅に捕まれば、そこから更に歌は身体を蝕み、全身を破壊していく。肉体のない武者は存在を維持できなくなれば、最後には虚空に溶けるように消えていった。


 軋条家が誇る『千首神楽せんしゅかぐら』は、数秒とかからず向かってくる武者を全て蹴散らした。

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