第253話 災厄を迎え撃つ者

     ◇   ◇   ◇




 まだ時刻は夕方に差し掛かろうという頃。しかし街は不気味な暗闇に包まれていた。


 雲が出ているわけではない。陽が早く沈んだわけでもない。


 霧のような薄闇が街を包み、光が行方をくらます。


 誰しもがその異常に気づき、しかしその原因を知ることなく、足早に帰路についた。この闇の中を歩いてはならないと、本能が囁いていた。


 その闇をもたらした元凶は、闇を撒いた空を駆けていた。


 煌夜城を抜け出した鵺である。


 普段であれば道ゆく人間をおやつ代わりにでもんでゆくところだが、今の鵺によそ見をしている暇はなかった。


 頭の中にあるのは、あの騎士の大切なものを皆殺しにしてやろうという、執念だけ。


 そのために長距離を一直線に突っ切り、この街までやってきたのだ。


 もう少しだ。もう少しでたどり着く。匂いが濃くなってきている。


 どう殺してやろうか。くびり殺すか、噛み殺すか、狂わせて殺すか、焼いて殺すか。


 目前に見えた未来を前に、鵺は走りながら舌なめずりをした。


 どんな形にせよ変わらない。今もあの騎士は城で戦っているのだろう。その目の前に大切な者たちの首を並べてやったら、どんな声を挙げるのか。


 鵺は猿の顔を歪め、歯茎を剥き出しに笑った。


 ──ヒョロロロォオオオ!


 不気味な鳴き声を撒き散らしながら、鵺は更に速度を上げようとした。


 その瞬間だった。


「ヒョ──」


 ズンッ、と頭に突き刺さる衝撃。身体が傾き、衝撃に目が前へ押し出される。


 何かに頭を貫かれた。


 鵺は足を止め、辺りを見渡した。首を落とされればともかく、この程度の傷では死なない。


 しかし何者かが自分を狙い、攻撃してきたことは間違いない。


 その正体に気づいた鵺は、驚愕から再び笑みを浮かべた。


 ──ヒョロロロ。


 宝物が、あちらから出てきてくれた。




     ◇   ◇   ◇




『本当に大丈夫なのよね?』


 再三に渡る確認。それに対する答えもまた、同じものだ。


「問題ありませんわ。あれはわたくしの方で処理します」


 カナミは手に持っていた長物の銃を地面に置き、立膝の状態から立ち上がった。


 通信用の魔道具を通して話しているのは、加賀見綾香だ。街を襲う異常にいち早く気づき、対魔官たちで対応をしようとしていた。


 それに待ったをかけたのが、カナミだった。


『でもあの怪異、明らかに一人でどうこうするような奴じゃないわ。せめて月子か、シャーラさんにも応援を頼むべきよ』

「そうですわね、それが正しいのかもしれません」


 カナミは『シャイカの眼』を使ってこちらへ走ってくる鵺を見ながら、答えた。


「それでもこの敵は、一人で倒しますわ」


 断固とした決意。その言葉を聞いた綾香は、押し黙った。


 カナミとて理解している。自分が戦おうしている相手──綾香の話では、『ぬえ』と呼ばれる日本の怪異が、魔族にも匹敵する怪物であることを。


 天候を操作する程の力、これだけの距離からも感じる魔力の圧。どれを取っても破格だ。このタイミングで現れたこと、自分達を狙っていることを考えれば、間違いなく『新世界トライオーダー』か魔族が絡んだ敵だ。


 接敵まで数秒。


 汗がじんわりと手ににじむのが分かった。


 綾香の言う通り、助力を頼めば、容易く倒せるかもしれない。あるいはシャーラならば、魔術が使えなくともあくび混じりに殺す可能性すらある。


 しかしそれでは駄目だ。


 今カナミが求めているものは、求めなければならないものは、そんな安定した勝利ではない。


「‥‥」 


 ほんの二ヶ月前、カナミは突如襲来したラルカン・ミニエスに敗北した。敵とさえ見なされず、殺す必要性すらも感じられなかった。脅威だと、認められなかった。


 故にラルカンは一度選ばせたのだ。


『抗おうというのであればやめておけ。俺は戦士であれば容赦はしない』


 守護者でありながら、魔族に慈悲を与えられる屈辱。


 それも全ては、カナミが弱いせいだ。


 相手が魔将ロードだからなど、言い訳にもならない。この神魔大戦に参加した瞬間から、どんな相手からもリーシャを守ってみせると誓ったはずなのだ。


 それがどうだ? いざ戦いが始まれば、ルイードもタリムも、ラルカンも、倒してきたのは勇輔だ。


 強くなった気でいた。過酷な訓練を乗り越え、英雄と呼ばれた者達とも戦えると、勘違いしていた。


 現実は残酷だ。


 共に暮らして分かった。


 勇輔はおろか、魔術の使えないシャーラにもカナミは勝てない。


 そんなボロボロのカナミのプライドを完全にへし折ったのは他でもない、伊澄月子いすみつきこの存在だった。


 勇輔が心の拠り所としていた可憐で凛とした女性。


 自分が諦めた、いや望むことさえ無意識に封じていた場所に、立っていた人。もしも彼女がただ可愛らしいだけの人であったのなら、カナミの心も幾らか平穏であっただろう。


 しかし彼女は信念と才能を持つ逸材であった。


 あの家では、今シャーラが月子に稽古をつけている。


 自分は声をかけられることもなかった。


 それが四英雄しえいゆう、シャーラの判断なのである。


 シャーラは真っ直ぐな人だ。嘘偽りなく、裏表なく、勇輔のためだけに行動する。彼女が月子を鍛えると決めたのは、月子ならば勇輔の助けになると、それだけの才能があると認めたからだ。


 その事実と向き合った時、カナミの口の中には血の味が広がっていた。


 自分では彼の力になれないと、言葉にならない刃が突き立てられた。


 ──ヒョロロロロロ。


 風に髪と裾が荒ぶり、生温い空気が舐めるようにカナミの肌に触れた。


「無礼千万な来客ですわね」


 カナミの前に鵺が姿を現した。


 ただその姿は勇輔達と戦った時とは明らかに異なる。発達した後ろ脚で身体を支え、長い前脚がだらりと垂れている。四足でも二足でも戦える、より戦闘に適した形。


 だが何より鵺を怪異たらしめているのは、その背面にあった。


 肩から肩甲骨にかけて生えているのは、幾つもの猿面えんめん。怒りと怨念に歪んだ、むくろの首である。

 醜悪。


 見ているだけで生理的な怖気を呼び起こす見た目を前に、カナミはフェルガーを握った。


「さて、踊りましょう。私とあなただけ。どちらの思いが強いかは、結果が教えてくれますわ」


 この場にはカナミ以外に誰もいない。リーシャさえも、家にいる。


 元々人が来ない都市伝説の土地。その上で戦闘に適した場所を綾香に用意してもらったのだ。


 フェルガーが跳ね上がった瞬間、銃声と雷鳴が轟いた。

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