第308話 元カレとの訓練は難しい

      ◇   ◇   ◇




「今日からは勇輔と訓練して」


 いきなりシャーラからそう言われた時、月子は初め何を言われているか分からなかった。


「え、どうしていきなり」


 つい先日この部屋に越してきたばかりにもかかわらず、我が物顔でベッドに寝そべったシャーラは、淡々と言った。


「そっちの方が効率がいい。ユースケの前に立てるくらいには鍛えたから」

「鍛えたって、私はまだ一撃も入れられていないんですよ」

「それは当たり前。もう時間がない。余計な時間はかけていられない」


 シャーラはもっともらしいことを言うが、寝ているせいで面倒くさがっているようにしか聞こえなかった。


「もうユースケには伝えてあるから。とりあえず一回やってみればいい。自分が何をしなきゃいけないのか、すぐに分かる」


 月子は釈然としな思いを抱えながらも、言われた通りに用意をして訓練室に向かった。


 そこには既に勇輔とリーシャ、陽向が待っていた。


「おお、月子。今日からよろしくな」

「ええ。お願いするわ」

「俺、誰かに教えるのってあんまり得意じゃないから、役には立てないかもだけど」

「問題ないわ。シャーラさんも口で教えるタイプではなかったし」

「助かるよ」


 そう言って笑う勇輔に対して、月子は複雑な思いでいた。


 月子にとって勇輔は日常の象徴だ。殺伐とした自分の生活において、勇輔が心の安寧だった。


 そんな勇輔に槍を向けるということに、強い忌避感を覚える。


 頭では勇輔の方が強いと分かっている。ジルザック・ルイードとの戦いの時も、文化祭の時も、それを間近に見てきたのだから。


 しかし理解はしていても、実感が追い付かない。


「じゃあ陽向はこの後やるから、端っこで見ててくれ。リーシャ、聖域頼む」

「分かりました」

「はい」


 リーシャが聖域を張り、訓練室が黄金の光に包まれた。


 月子は金雷槍を構え、腰を落とした。


 勇輔が腕を一振りすると、翡翠の光と共に見慣れた剣が現れる。鎧はなしでやるようだ。


「じゃあ月子、君は何でもありだ。全力で、殺すつもりで来てくれ」

「え、ええ」


 頷き、魔力を体内で激しく循環させる。だが、この状況に浮足立っているのが分かった。


 勇輔はそんな月子の様子を見て、無造作に剣を構えた。




 瞬間、死が通り過ぎた。




 何が起こったのか全く分からなった。


 ただこれまでの人生で感じたことのない、明確な死のイメージが頭に叩き込まれ、次の瞬間には仰向けに倒れていた。


「はっ‥‥ぁ‥」


 月子は酸素を求めてあえいだ。


 全身が緊張で震え、冷や汗が思い出したかのようにドッと噴き出す。


 ――斬られた。


 間違いなく斬られた。首と胴だ。恐る恐る首筋に手を当てると、汗で湿ってはいるが傷はない。


 しばらく立てないでいると、勇輔が心配そうにのぞき込んできた。


「‥‥大丈夫か?」

「だ、大丈夫よ‥‥」


 嘘だ。全然大丈夫ではない。


 しかし月子はなけなしのプライドで身体を起こすと、差し出された勇輔の手を取って立ち上がった。


 シャーラは勇輔の前に立てるくらいには鍛えたと言っていたが、そんなことはない。何をされたのかも見えなかった。


 これでは、助けになるどころか、足手まといにしかならない。


 その事実に打ちのめされていると、勇輔が言った。


「それにしても凄いな。正直、ここまで的確に反応されるとは思ってなかった」

「反応って、私は何もしてないわ」


 見えなかったのだから、反応も何もない。


 だが勇輔はキョトンとした顔で自身の首を軽く指さした。


「ほら、ここ」


 そこにはうっすらとだから、赤い切り傷がついていた。


「まさか、私が‥‥?」

「気付いてなかったのか。無意識でも身体が反応したんだな」

「全然気付かなかった」


 月子は槍を見る。反応したのは果たして自分だったのか、それとも金雷槍の方だったのかは定かではないが、シャーラの言葉は嘘ではなかったらしい。


 月子は一度深呼吸をすると、改めて構えを取った。


 もう浮足立つようなことはない。


 目の前にいるのは、遥か格上。


 そして自分はまだ強くなれる。いつになるかは分からない。それでも一刻も早く、本当の意味でこの人の隣にいたい。


 金の雷が月子の覚悟を示すように瞬いた。

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