第309話 動けないくらいがちょうどよい
◇ ◇ ◇
俺が一度月子との訓練を打ち切ると、彼女は崩れ落ちるようにしてその場に倒れた。
「うお」
床に倒れないように月子を支える。
小さな身体は服の上からでも分かるほど熱を持っており、滝のように流れる汗が、彼女の集中力を物語っていた。
月子の戦っている姿は何度か見たことがあったけど、こうして相対してみるとよく分かる。
月子は天才だ。
俺がこうして圧倒できるのは、アステリスという魔術が発達した世界で訓練し、戦ってきた経験があるからだ。
もしも月子がアステリスに産まれていれば、おそらくエリスにも匹敵するポテンシャルを秘めている。
その証拠に、彼女はこの一時間足らずで驚異的な成長を遂げた。
シャーラが入れ込んでいる理由はこれか‥‥。
俺は正直、月子に神魔大戦に深く関わってほしくはない。月子とは本来関係のない話だ。
けれどここまできてしまった以上、自衛の力を養うのは俺の責務である。
「いつまで眠っているレディーの顔を覗き込んでいるですか?」
「は? いや、待てこれは違うぞ」
「違わないでしょう。デリカシー? 聞いたことあります?」
俺は慌てて月子を抱え直す。
呆れた顔で陽向が俺を見ていた。もう一人の責任を取らなければいけない相手だ。
「ごめん陽向。ちょっと月子をカナミに預けてくるから、準備しといてくれ」
「それはいいですけど、寝ている月子さんに変なことしないでくださいよ」
「誰がするか。人をなんだと思ってるんだよ」
口ではそう言うが、ぶっちゃけ腕に伝わる月子の感触と体温にドキドキしている。ちょっと寝顔見るくらいは許されないか? 許されないか。
あからさまに頬を膨らませる陽向と、それを苦笑いで見つめるリーシャから逃げるように、俺は一度部屋に戻り、月子をカナミに預けた。
訓練室に戻ると、既に聖域が張り直され、中心で陽向がストレッチをしていた。
いや、もう陽向じゃないな。
「今日は、この間みたいに
髪は桜色に染まり、長く波打つ。細身だった身体はより女性らしく豊かな肉付きになり、そこから溢れ出る魔力は烈火如く燃え盛っていた。
『
コンデション次第では、
今は気分上々といった感じだし、手の抜ける相手じゃない。
俺は『我が真銘』を発動し、ノワの前に立った。
「『ああ。陽向を傷つけるわけにはいかないからな。ノワ、いざという時は君が陽向を守るんだ』」
「当たり前です。私の体も同然ですから。それより、簡単にへばられては訓練になりませんから、頑張ってくださいね」
「『善処する』」
俺がそう言った瞬間、ノワが踏み込んできた。
聖域がその一歩で軋み、光の粒子がハラハラと舞い落ちる。
桜色の目が、至近距離で俺を覗き込んでいた。
『
豪雨を撃ち落とす連打。
真正面から放たれた拳の壁は、俺を飲み込まんとする。
『
円環の斬撃で、まとめて払い除ける。
ノワの攻撃はその程度では止まらない。
炎が周囲を覆ったと思ったら、その向こう側から蹴りや拳が絶え間なく飛んでくる。捌いて攻めに転じようとすれば、『
やっぱり強いな。
陽向の
でも不思議な話だ。
魔力の流れが、筋肉の動きが、ノワの呼吸が。
「
攻めあぐねたノワが強力な一撃で突破口を開こうとする。
俺はそこに踏み込んだ。
反射的に彼女は迎撃しようとするが、苦し紛れの一撃は浮つくばかり。
それを剣で絡め取り、ノワを床に押し倒した。
圧縮されていた炎が弾け、金と桜が入り混じる。
「なっ、この──‼︎」
俺の腕の下でノワがなんとか振り払おうとするが、無理だ。身体能力はほぼ同じ。炎も俺の魔力で抑え込んでいる。
こうなってはどうしようと動けない。
しばらく拘束を解こうともがいていたノワだが、諦めたのか力を抜いた。
「後輩をこんな風に押し付けるなんて、先輩はそんな趣味があったんですね」
「『陽向の真似はやめろ』」
「って心の中でユカリが言っています」
「『え、マジ?』」
俺は慌てて拘束を解いた。ノワは腕をさすりながら立ち上がる。
「まったく、レディーをあんな乱暴に押し倒すなんて、非常識ですよ。私は嫌いではありませんが、きちんと手順を踏んでからにしてください」
「『いちいちセンシティブな話し方をするな』」
「もう、押しつけられて胸が痛いです」
ノワはそう言うと、自分の胸を下から掬い上げた。
でっか。
明らかに陽向の時とは質量が違うんだけど、それも魔術の効果なのか? ぜひ俺にも教えてほしい。
「隙ありです」
胸に視線が吸い寄せられた一瞬を狙って、ノワが
「『甘い』」
俺はそれを首を倒して避けながら、細い手首を掴んで、そこを支点に投げた。
ノワは面白いように飛び、地面に着地する。
そしてむくれた。
「どういうことですか」
「『何がだ』」
「こんないいようにやられるなんて、納得いきません」
「『今は陽向の身体だろう。むしろよくあそこまで動けたな』」
ノワはハムスターのように頬を膨らませて言った。
「私の魔術はそういった面はあまり関係ありません。元々の私の身体だって、華奢だったでしょう」
「『それはそうだが』」
「ユースケが戦い始めたのはつい最近のことでしょう。どういう理屈ですか」
どういう理屈と言われても、俺もそこまで実感がない。
とりあえず今のノワが相手なら、鍛えてやれるくらいには調子が良い。
「『さて、もう少し続けるか』」
「絶対泣かしてあげましょう」
ここで体力使わせておけば、しばらくは余計なちょっかいもなくなるだろう。
俺は全力で距離を詰めてくるノワに対して、ゆっくり剣を構えた。
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