第310話 新たな導書
◇ ◇ ◇
目が覚めると、蛍光灯の明かりに目が焼かれた。
「っ──」
眩しさに腕で顔を覆おうとしたが、腕が動かない。
仕方なくまばたきをして、目を光に慣らした。
「ここは‥‥医療室か」
重い頭で状況を整理する。
山本勇輔への切り札を作るために陽向紫を拉致し、そこで想定外のことが起きた。
陽向紫の中に、死んだはずの魔族、ノワール・トアレが入り込んでいたのだ。
そこで痛烈な一撃を喰らい、なんとかコーヴァ・リベルに助けられたのだ。
どれくらい寝ていたのだろう。まだ身体が鉛のように重い。おそらく全魔力が治癒に注がれているのだろう。
「ようやく起きたんすか」
そう声をかけられ、頭だけを動かして入り口の方を向くと、そこには白髪の少年が立っていた。
コーヴァ・リベルだ。
勇輔に斬られたはずの青年は、特に傷跡も残らず、平然と立っていた。
「‥‥陽向紫は」
「山本勇輔としばらく戦って、その後は他の仲間と合流したみたいですね」
「そうか‥‥」
失態だ。
功を焦って、完全に裏目に出た。こちらは痛手を負い、あちらは戦力を補強してしまった。
それが分かっているのか、コーヴァもため息を吐きながらベッドの横に座った。
「やらかしましたね。先輩たちがブチギレてましたよ」
「あいつらがか」
「何を勝手なことをしてるんだって。しばらく俺たちは謹慎ですね」
謹慎程度で済むのは温情だろう。
どちらにせよ、この傷ではしばらく動けそうにない。
ため息を押し殺して天井を見ていると、コーヴァがそういえばと口を開いた。
「ルガー先輩たちが『鍵』を一人確保したそうです」
「何?」
思わず身体を起こそうとして、櫛名は激痛に顔をしかめた。
「‥‥捕らえたのは誰だ」
「治癒の聖女様らしいすよ。もう一人は逃したって言ってました」
「そうか」
自分がこんな失敗をしている間に、仲間は確実にやるべきことをこなしたらしい。
ヴィンセント・ルガー。
櫛名も十分に自分が異常者だという自覚があるが、あいつらは格が違う。
その内の一つ、『
櫛名やコーヴァも
一方、ルガーの一族は嘘か真か中世の時から
そんな連中が、上にはごろごろいるのだ。
もっとも、一族どころか個人で千年間
これで
黙る櫛名に、コーヴァが続けた。
「そして、あー」
「まだ何かあるのか?」
「いえ、俺も小耳にはさんだだけなんですけど‥‥」
「歯切れが悪いな」
とにかく頭が重い。こうして話しているだけでも結構な体力を消耗する。
櫛名が急かすように言うと、コーヴァはため息を吐いて言った。
「ボスの仕事がそろそろ終わるそうです」
「なっ⁉ 本当か⁉」
櫛名は今度こそ跳ね起きた。痛みに頭が割れそうになるが、そんなことは気にしていられない。
コーヴァは頷いた。
「俺も先輩方の話をちらっと聞いただけだから正確なことは分からないですけど、信憑性は高そうですね」
「いや、事実だろう。実際に終わりが近いことは僕も聞いていた。だからこそ山本勇輔を何とか抑えられないかと思ったんだ」
結果はこの様だが。
それにしても最悪なタイミングで謹慎になってしまったものだと櫛名は自嘲した。
「計画を次の段階にすすめるために、今度は
「あの引きこもりがか?」
「引きこもりって‥‥殺されますよ。なんか、いろいろ試したいこともあるって言ってましたよ」
「計画は僕も聞いている。そうか、ついにやるのか」
櫛名が感慨深そうにつぶやくと、それをコーヴァはなんともいえない目で見た。
それは、この後何が起こるのか知っているからだ。
「とにかくしばらくは休んで――」
話を切り上げようとした時、後ろから声がかけられた。
『おはよう』
キンキンと響く無機質な機会音声。
あまりに特徴的なその声は、振り向かなくても誰がいるのかすぐに分かった。
それでもコーヴァは振りかえる。
自分よりも圧倒的に上の立場にいる相手だからだ。
「
現れたのは一人の女性だった。
日本人形のような真っ直ぐな黒髪が暗幕のように長く伸び、その上うつむいているせいで顔はほとんど見えない。かろうじてダボッとしたパーカーを着ていることだけが分かった。
頭には三角形のヘッドフォンをつけ、視線は手に持ったスマホにくぎ付けだ。
『櫛名、起きたよね』
「ああ、ちょうど今二度寝しようと思っていたところだよ」
櫛名は嫌な態度を隠そうともせずに答えた。
榊は榊でそんな櫛名の言葉に気分を害した様子もなく、ゆっくり部屋に入ってきた。
コーヴァは椅子から立ち上がり、道を開ける。
「何しに来たんだ? お見舞いって柄でもないだろう」
『お見舞いじゃない。話を聞きに来た』
「この状態を見ろ。話せるように見えるか?」
『バイタルは常にチェックしている。話す程度なら問題ない』
淡々とした答えに櫛名は舌打ちをした。
その間も榊は顔を上げることはなく、スマホだけを見ていた。声も彼女自身が発しているわけではなく、耳に付けたヘッドフォンから発せられている。
彼女はずっとこうだ。決して人の目を見ないし、直接話そうとはしない。こうして姿を見せること自体、非常に珍しい。
コーヴァが榊を生で見たのは、片手の指で数えられるほどだ。
「それで、何を聞きたいんだ。義手ならいい調子だ」
『それは当然。シンプルな機構しかつけていない』
「じゃあなんだ」
『山本勇輔について聞きたい』
まあそうだろうな、と櫛名は納得した。
『山本勇輔は今度の作戦には、間違いなく関わってくる』
「シキンの城でペットが戦ったはずだろう。それを見ているんじゃないのか?」
『
「僕だってそんなに多く見たわけじゃない。
『映像は確認した。実際に目で見た所感が聞きたい』
そのためだけに、わざわざここまで出張ってきたのかと櫛名は驚いた。
それだけ山本勇輔を危険視しているということだろう。
「‥‥僕は戦闘は専門外だ。けれど、それでも分かるくらいには強い。そんなこと、シキンを倒したことから分かるだろう」
『そう、それは分かっている。けれど、何故倒せたのかが分からない。戦闘データを客観的に見ても、山本勇輔がシキンを倒せるはずはなかった』
その言葉に櫛名は榊が何を知りたかったのが分かった。
確かにその通りだ。あのシキンに対面で勝てる人間など、あの方を除けば存在しない。シキンと同じ土俵で戦わなければ、攻略のしようはあるだろうが、勇輔は正面から突破したのだ。
一緒にいた少女の存在か、時の運か。
要素はいろいろあっただろう。
しかし彼の何よりも怖いところは、そこではない。
「意志の強さ」
『意志?』
「あいつは万の軍を相手にしても、シキンを前にしても、ひるまなかった。必ず勝つという決断をし、それを実行した」
『心が強いと』
「強いとかいうレベルじゃないだろう。そうじゃなきゃ、現代の中学生が異世界で殺し合いなんてできない」
あるいはすでに壊れているのかもしれない。自分と同じように。
その言葉で何かを納得したのか、榊は小さく頷いてスマホをポケットにしまった。もう話すことはないということだろう。無言で部屋を出ていく。
その後ろ姿を見送りながら、櫛名は肺でよどんでいた空気を吐き出した。
平静を装って話していたが、冗談じゃない。生きた心地がしなかった。
ルガー家と同様、古くから日本で
与えられた称号は、『
化物ひしめく
しかし最も得体が知れない魔術師は誰かと言われれば、榊の名を上げる。
まるで幽霊か妖が立っているかのようだった。シキンは大木のような超常の雰囲気をまとっていたが、榊はとにかく異質。神経をやすりで撫でられるような感覚に、鳥肌が止まらない。
彼女が本気で動く。
これまで陰ながら組織を支え続けた榊が表に出るということは、本格的に計画は大詰めに入っている。
「‥‥」
櫛名は力を抜いてベッドに身体を沈めた。
そしてこれから荒れるであろう未来を想像しながら、ゆっくりと目を閉じた。
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