鬼気迫る金雷

第68話 合宿前夜

 合宿、そう聞くと非常に厳しく大変なものだという認識をもつ人が多いのではないだろうか。


 高校生が部活で合宿となれば、朝から走り込み、休憩する間もなく練習を重ね、夜は疲労で倒れるようにして眠る。純粋に楽しさを感じる暇なんてほとんどない。


 よく女子高生たちが海や山でキャッキャウフフと戯れるアニメがあるが、あれは原則フィクションの中だけ。


 しかしそんな楽しい合宿をする場所もきちんと存在するのだ。


 それは高校ではなく、大学。


 様々な制限から解放され、金銭面でも余裕をもった大学生たちの合宿は高校のそれとは大きく違う。勿論部活によっては高校以上にガチガチに練習を重ねることもあるが、多くのサークルはレクリエーションとして合宿を行うのだ。


 つまりは活動! 遊び! 飲み! 二日酔い! である。


 場合によっては酔った女の子と何だかんだあったりなかったり、夏の奇跡に胸を膨らませる男たちも多いはずだ。


 例にもれず我が文芸部も部活と銘打ちながら、実際は文科系サークル。


 夏の合宿はほとんどの部員が参加する三泊四日の旅行で、その間には海水浴やら肝試しやら飲み会やらと、楽しい活動が目白押し。


 可愛い子も多いため、サークルのメンバー(特に男子)たちは皆この日を楽しみにしていた。


 俺たちだってそうだ、同じサークルのメンバーと合宿なんて心躍らないわけがない。


 そんなわけで俺たちは楽しい楽しい合宿のために準備をしていた。




「おい勇輔‥‥進捗は?」

「駄目です」

「松田は? ‥‥松田、おい松田」

「返事がない、屍のようだ」

「ふざけてる余裕あんのか勇輔」


 ねえよ。


 総司と短い言葉を交わしながら、ひたすらモニターと睨めっこし、キーボードを叩き続ける。


「先輩‥‥」


 同じく隣で死んだ目をしている陽向が、魂を吐き出しそうな声で言った。


 陽向紫はいつも通り髪をばっちり巻き、派手になりすぎないようにメイクを施してるが、隠し切れない隈が目元に刻まれていた。


「‥‥先輩、なんですかこれ」


 いつものキャピキャピ感はどこへやら、あらゆる所作に疲労がありありと滲み出ている。


「なんですかって」


 凝り固まった首を伸ばすついでに周囲を見れば、そこには俺たちと同じく屍のような様相でノートパソコンと対面しているメンバーたちがたくさんいた。


 ああ、この光景懐かしいな‥‥。


「合宿前のデスマーチだよ。合宿前に作品が上がってないと行く意味ないからな」


 そう、今俺たちは大学の空き教室を使い、泊まり込みで作品を書いているところだった。


 文芸部はその名の通り、小説やエッセイ、詩といった言葉を使った作品を集めて文集にする。


 普段は新人賞だのウェブ小説だの即売会だの各々好き勝手に動いているが、文化祭に向けての文集だけは全員参加が原則である。


 合宿はその完成した作品の読み合いと添削が目的なのだ。


 当然それまでには作品ができてなければいけないわけだが、大学生なんてレポートさえギリギリまでやらないのだ。サークルの文集なんてやるわけがない。


 そんなわけで合宿前の追い込みデスマーチは恒例行事なのである。


「いや、私もう自分の作品終わらせてるはずなんですけど」

「三年生作品の読み込みと添削は一年生の仕事だからな‥‥。去年は俺たちもやらされた」

「目がシパシパしてきました。何故こんなことを‥‥」


 陽向が瞬きしながらボヤく。気持ちはよく分かる。


 合宿前に三年生作品を一年生が添削するのはうちの伝統で、曰く、いきなり合宿で先輩の作品を添削するのは厳しかろうという優しい配慮だそうだ。


 去年は俺も思った、体のいい奴隷だろクソッタレ。


 ただ俺たちも今年は二年生。隣で一年生たちがひいこら言っているのを気持ちよく眺められるわけだ。


 まあ自分の作品は終わってないんですけどね!


 俺が今書いている作品は異世界での見聞録というか、旅日記みたいなものだ。俺は魔王を倒すまでの間に、世界の各地を回った。


 その国ごとの文化だけでなく、生態系、植生、人との関わり。全てが俺にとって未知の体験で、今でも鮮やかに思い出すことができる。


 俺がこうしてこれを書いているのは、自分自身が思い出すのが楽しいという理由が大きかった。


 ちなみに文字数は現在六千文字を超えたところ。予定の一万文字ではまだ長い。適当にあったことを書き連ねるだけならすぐ終わるが、我が会長がそんなことを許すはずがないのである。描写が甘ければ合宿で徹底的に叩かれるだろう。


 もっと早くやっておけば‥‥。いや、それどころじゃなかったんだけどさ。


 ちなみにさっき俺に話しかけてきた金剛総司はミステリー小説を書いているらしいが、進捗は多分似たり寄ったり。


 赤髪のデカい男がひたすらパソコンに向き合っている姿はシュールなものだが、如何せん今はそれを笑っていられる余裕もない。


 一方、話にでてきた松田宗徳まつだむねのりである。


 松田は純愛小説を書くとか、インフルエンザの時に見る悪夢みたいなことを言っていたが、現在はキーボードに突っ伏して爆睡していた。あと十分も寝れば起きてくるだろうし、ほっとこ。


 首を回してからモニターの端っこを見ると、一時の文字。既に合宿まであと一日になってしまった。


 今日は合宿の準備と休養に当てたかったんだけど、今日中に終わるかなあこれ。


「はあ」


 ボヤいていても仕方ない。


 続き書くかあとキーボードに手を置いた瞬間、深夜には似つかわしくない明るい声が聞こえてきた。


「皆さん、お疲れ様です!」

「おお、やってるな皆。喜べ補給の時間だ!」


 部屋にいた全員の視線が声の方を向いた。


 ドアを開けて入ってきたのは、数人の女子たち。その先頭を歩くのは黒髪の凛とした女性だった。エナドリでもキメてるのか、こんな時間にも関わらず笑顔明るく元気溌溂。


 我が文芸部の会長、早坂朱里先輩だ。


 その後ろに続くのは文芸部の女性陣たち。既に自分の作品を終わらせた彼女たちの手には大きなお盆が抱えられていた。


 その上に置かれているのは、大量のおにぎりたち。


「さあさあ現役女子大生たちの握ったおにぎりだ。これを食べて腑抜けた気合いを入れ直す時だぞ!」

「おお!」

「流石会長、ありがとうございます!」

「やった、お腹減ってたんだよねー」


 死屍累々だったメンバーたちが生き生きと起き上がり始める。


 そのままおにぎりに群がる様子は、ゾンビが生存者に向かっていくようにしか見えない。そんな俺もゾンビの一人なんだけど。


 ぬうぅっと隣にデカいゾンビが立つ。赤髪も合わさって、その様子はさながら中ボスだ。ゾンビゲーだと絶対出てくる体力と火力が無駄に高いやつ。


 そんな中ボス総司がぼやいた。


「なんか会長の言い方だと、いまいち食欲がそそられないんだよな」

「夜の店のキャッチみたいだよな、あれ」

「言い方はなんでもいいので、私もあっち側の仕事がよかったです」


 陽向も交えながら話していると、おにぎりの前には人だかりができていた。


 この夜の差し入れが楽しみで、わざわざデスマーチに参加している人も少なくない。まあ文化祭の前日準備とか何だかんだ楽しいもんな。


 しかしここは若さと行動力に溢れた若人の集い。ただのおにぎりにしても、様々な人の思惑が交差している。


 特に顕著なのは男たちの行動である。


 お盆に置かれたたくさんのおにぎりだが、よく見ればそれらには細かな差異がある。大きさや形など、普通に食べる分には全く気にならないものだ。


 けれどその違いは、即ち握った人の違いである。


 食べるなら気になっている女子のおにぎりが食べたい、そう思うのが人情だろう。


 そういうのを大して気にしない人たちが手近な物を取っていく中、男たちは何とか女子から情報を引き出そうとしていた。


「勇輔も早く取りにいかなくていいのか?」

「もうちょっと人が減ったら行くよ」

「目当てのおにぎりがなくなるぞ」


 そう言われてもな‥‥、別に食べられるなら何でもいいし。

 そんな俺の気持ちが伝わったのか、総司はうんうんと頷きながら言った。


「まあ今日は伊澄もいないしな、あいつのじゃなきゃ、どれも一緒か」

「違うからな⁉」


 誰もそんなこと言ってないだろ!


 しかし総司はケラケラと笑って言った。


「去年は伊澄のおにぎり食べたくて終始挙動不審だったじゃねえか」

「んなことありませーん」


 たとえあったとしても忘れました。


 伊澄月子、俺たちと同じ文芸部のメンバーで、一応俺の元恋人である。


 去年は全ての仕事を終わらせていた月子もおにぎり作りに参加していたのだが、結局どれが月子のおにぎりか分からず、直感で選んだのだ。


 ちなみに月子は後で聞いても当たっていたか教えてくれなかった。多分間違えたから、気使ってくれたんだろう。

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