第397話 死神対悪魔 二
◇ ◇ ◇
ドッ、と生々しい重さの音を立てて、コーヴァの首が地面に転がった。
あまりにも鮮やかな死神の一閃は、豆腐を切るように皮、肉、骨を断ち切ったのだ。
「はぁ‥‥はぁ‥‥」
肩で息をしながら、シャーラは崩れそうになる体勢を剣で支えた。
魔術の『冥開』を奪われたせいで身体はボロボロだ。全力で動いただけで、筋肉が千切れて内臓が悲鳴を上げる。魔力を回しても回しても、底の抜けたバケツのように、虚空に消えていく感覚。
実際には魔力で生命維持をしているおかげで今こうして生きている。
少しでも魔力が滞れば、シャーラは死ぬ。その実感が常に首に触れている。
死ぬのが怖いわけではない。
油断から魔術を奪われ、何の役にも立てずに死ぬのは、己の
「‥‥あとは、セバスを‥‥」
弾き飛ばしただけで、セバスはまだ無力化できていない。彼を操っているのは
コーヴァを倒しても彼は動き続ける。
すぐにセバスを追撃しようとしたシャーラは、動くことができなかった。
痛みに足が止まったわけではない。
落としたはずのコーヴァの首を、シャーラは見た。
何が起こったのか分からない様子で口を開け、焦点の合わない目が虚空を見つめている。
間違いなく死んでいる。
死んでいるはずだ。
だというのに、目が離せない。
その口が、今にも動きそうな気がして。
「――なんでバレるっすかねえ」
コーヴァの生首が喋った。
「‥‥」
あり得ないという感情と、妙な納得感。
こいつは死んでいないと、冥府の花嫁であったシャーラが感じたのだ。生死において、彼女の直感は絶対的に正しい。
「首ちょんぱされてんすよ、普通に死んだって思――」
「『
最後まで言葉を言い切ることなく、コーヴァの首を桜色の炎が飲み込んだ。
「ァあああああぁああ⁉」
「ごちゃごちゃと首だけでもうるさい
後ろから歩いて来ていたノワが、手から炎を出して胴体の方に向けた。
彼女の炎は特別製だ。一度捉えれば、焼き尽くすまで離れない。
「ぁあぁああ――――あっちいなぁあああああ‼」
燃えながら、首だけのコーヴァが立ち上がった。
「なっ」
炎の中で揺れる真っ黒なシルエット。
そこから突然巨腕が飛び出し、二人がいた場所を
「燃やしても死なないんですか!」
シャーラを抱いて空に跳んだノワが驚きに目を見開いた。
炎の中から現れたのは、右腕を悪魔のものに変えたコーヴァだった。
黒い腕が何本も絡み合わさったような歪な形。その隙間からは黄色い眼球がぎょろりと覗いている。
ただ先ほどまで違うのは、腕以外の部分も変わっていることだ。
真っ白だった髪は中心から墨を垂らしたように黒くなり、顔の一部が黒い羽毛に覆われていた。
着地したノワは、改めてその存在が何なのかを認識した。
コーヴァが空を見上げ、ハイになって笑った。
「どうして? なぜ? 殺しても死ねない? 違う違う。違うんすよねえ! もうとっくに死んでんだよコーヴァ・リベルなんて奴はさぁ」
「‥‥あなた、人族ではありませんわね」
魔力が地球人どころか、人族のものでも、魔族のものでもない。
ガラス色の光を失った瞳が、ノワたちを見た。
「コーヴァ・リベルは孤児でした。心優しい神父とシスターに拾われ、十二になるまで仲間たちと共に過ごしました」
それは在りし日の思い出。目を瞑れば浮かび上がる、呪いのように優しい光景。
「そして、ある日、コーヴァ・リベルは仲間たちと共に悪魔の生贄にされたのです。心優しい神父とシスターは、とても敬虔な悪魔崇拝の信徒だったのです。‥‥なんて、出来の悪いホラー映画みたいな話だろ?」
「それで、そんな趣味の悪い見た目になってしまったわけですか?」
「生まれた時から見た目に関しちゃモンスターだよ。だから、捨てられたし、幸運にも生贄に選ばれることになった」
白い髪先を指で掴み、コーヴァは他人事のように言った。
彼の生まれは田舎だった。今時は珍しい、無意識の差別主義が平然と
「ではあなたは人間ではなく悪魔なんですね」
「身体としちゃあ、そうなるなあ。ただ自我は違う」
コーヴァが自分の頭を指差した。
「ここはまだ俺が支配してるんだ」
「死んだのでは?」
「死んだよ。生贄になってさ。だから悪魔がここにいる。ただ、ぎりぎりのところであのお方が完全に消え去る前の俺を繋ぎ止めてくれた」
真っ暗な部屋の中で揺れる蝋燭の炎と、明らかに絵の具ではない何かで書かれた奇妙な模様と読めない文字。
あの時から、ずっと頭の中で声が聞こえている。
何を喋っているのかも分からない。そもそも声なのかさえ判別できない。
物言わぬ肉塊になってべっちゃりと床や壁にへばりついた、優しく敬虔な二人の末路に、どこか冷静な頭が、そりゃそうなるよと呟いていた。
頭の中で鳴り響く声が思考の全てを埋めた時、自分は本当の悪魔になるんだろうという確信があった。
そして、そうなってもいいと思っていた。
あの人が来るまでは。
『私の声が聞こえるかい?』
声が消えた。
正確には、たった一人の明瞭な言葉に、他の全てが隅に追いやられて、気にならなくなった。
『おかしな魔力を感じて来てみたけれど‥‥大変なことになっているね。今回は間に合ったかな』
悪魔よりもずっと恐ろしくて、神父やシスターよりも優しい彼は、そう言った。
彼──ユリアスの手によって悪魔の声は止み、コーヴァは
ユリアスが悪魔を制御してくれたからか、それとも単純な恩義か。きっとそのどちらでもない。
何かをしなければ、自分の存在が保てないからだ。
コーヴァは死んだ。ならば自分は何なのか。
自らがコーヴァ・リベルであり続けるためには、己の意志で選択し、動き続けなければならない。
「そぅいうわけ、だから。腹が減ってきたし、始めよぉか」
「まあ正体が何であれ、やることは変りませんから。別に構いませんけど」
ノワは興味のなさそうな顔で拳を構えた。
「あの醜悪なのの相手は私がします。あなたはあの執事服を何とかしてください」
「‥‥」
「厳しそうであれば、両方とも私がやりますけど?」
「‥‥すぐに、助けにきてあげる」
「相変わらず、口ばかり達者ですね」
軽口を叩き合いながらも、二人とも分かっていた。シャーラに残された時間は長くない。
こうしている今も、魔力が尋常ではない速度で身体を駆け巡り、命を繋ぎ止めている。
何もしていなくてもこの状態だ。戦い始めれば彼女の身体がどうなるかなど、考えるべくもない。
しかしノワは止めなかった。
愛する人のために命を懸けるという女の覚悟を、止められるわけがない。
「さて、空の
ノワは地を蹴り、コーヴァへと一直線に走った。
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