第396話 銃対槍 四

 それは嫌になるほど見た、『正義の槍』。


『嘘‥‥だろう‥‥』


 ネストの声が遠くに聞こえる。


 途方もない魔力が大地を割り、その裂け目から影が噴出した。


 そして、絶望は地獄より這い戻る。


「やってくれたものだ、侵略者どもよ」


 噴出する影から、ルガーが踏みでた。


 ただこれまでの彼ではない。


 その背には、巨大な甲冑を背負っていた。


 人ではない異次元の圧。目にしただけで網膜が焼かれるような、不可視の光を放つ超常の存在が、ルガーの背後に立っていた。


 沁霊・・だ。


 自身の魂の根源に住まう怪物を、ルガーは影の中で顕現させたのだ。


 前以外は見えなかろうという兜に、美しくも見る者を不安にさせる紋様が描かれた甲冑。そして、その両腕は槍になっていた。


 あまりにいびつな姿は、ルガーの中の屈折した思いを体現しているようだ。


「侵略者ごときが見るにはあまりに不釣り合いが過ぎるが、これは我が心からの称賛でもある。見よ、これが『正義ジャスティス』である。これこそが『正義ジャスティス』である‼」


 沁霊が槍を構えた。



 来る。



 分かっていても、避けられなかった。


 タリムが咄嗟とっさに操作し、黒騎士クロガネは動いた。


 それでも槍の乱舞を避けきることはできなかった。沁霊術式を超える手数、範囲。


 宣言通り、ルガーの正義を象徴するような暴虐の嵐だ。


 どれだけの時間が経っただろうか。


『――ナミさん‼ カナミさん‼』


 通信機を通してネストの声が聞こえた。


 声が聞こえるということは、彼は無事だったのだろうか。


「‥‥はっ、ぁ‥‥」


 息をしている。


 まだ生きている。


 生暖かいものが顔を濡らし、視界の半分が潰れていた。


「ぁ‥‥タリム‥‥」


『‥‥ここにいますよ』


「被害、状況は‥‥」


『装甲の六割を欠損。武器も盾も使い尽くしました。何より、あなたのダメージが酷い』


わたくしの‥‥?」


 そこまでを言い、気付いた。


 こちらを見ているルガーが、肉眼で見える。


 つまり、自分を守っていたはずの黒騎士クロガネの胸部装甲は崩壊し、カナミの身体が露出しているということだ。


 そして彼女自身は気付かなかったが、状況はそれよりも酷かった。


 黒騎士クロガネはもはや動くこともできない有様で、特に左肩から胸にかけては、完全にえぐられていた。


 カナミの左半身も被害は大きく、左腕は力なく垂れ下がり、頭からは絶え間なく血が流れ、ドレスを濡らしていた。


 左眼に入れていた『シャイカの眼』も動かない。


 何よりもそこまでの怪我を負いながら、それに気付かなかったことが一番の問題だった。


(痛みも、身体の感覚もない)


 それがどれだけ危険な状況なのか、カナミはよく知っていた。


 次に彼女が考えたことは、単純だった。


「‥‥タリム、黒騎士クロガネを解体。私のイメージを読み取って‥‥武器を作るのです」


『本気ですか? もう動く力は残っていないでしょう』


「ええ。ですから‥‥、これが最後の一撃になりますわね」


『あなた――。いえ、分かりましたよ』


 タリムはそう言うと、黒騎士クロガネを解体し、カナミをゆっくりと地面に下ろす。


 カナミは地面に降り立つと、ルガーを見据えた。


「まだ抵抗するつもりか。もはや立っていることさえも奇跡に見えるがね」


「言ったでしょう。わたくしがあなたの妄執を打ち砕くと」


 ルガーの言う通りだった。カナミにはもはや自分で立つ力も残っていない。今もタリムが作った『強化外骨格パワードスーツ』に支えられている状態だ。


 それでも思考は動く。


 魔力は回せる。


 ならば、戦える。


 カナミの右手に作られたのは、巨大な騎乗槍ランスだった。人が持つようなものではない。直径だけでもカナミの身体を覆ってしまうような代物だ。柄尻にも巨大な装置が着けられ、真っ当な槍でないことが一目で分かる。


「大きくしたところで意味はないと学んだだろう」

「意味なら、ありましたわ。黒騎士クロガネのおかげで、私はまだ死んでいませんもの」



 それでもルガーの言う通り、ただ突撃したところで彼には届かない。


 だから別の手段が必要だ。


 ルガーの正義を打ち砕くだけの覚悟を、見せなければならない。


 槍の柄に頬を寄せ、カナミは言った。


「タリム、契約を果たす時ですわ。私が、あなたを最強の槍にしましょう。誰にも折れることのできない、魔王にさえ届く槍に」


『何を言っているのですか? ついに今際いまわきわで頭がおかしくなりましたか』


 もしかしたらそうなのかもしれない。


 そうだとすれば、


「おかしくなったのは、今ではありませんわ」


 ランテナス要塞で白銀シロガネの輝きを見た時から、きっと狂っていた。


 カナミは槍に魔力を流す。これまで戦闘で使っていた魔力のほとんどはタリムのものだ。カナミの魔力はまだ残っている。


 血のように熱い魔力が駆け巡るのをタリムは感じた。


 今までのカナミの魔力とは明らかに違う。


『これは、まさか』


「私の『血の盟約ブラッドロール』の沁霊術式は、契約者の能力を強化させますの。言ったでしょう、あなたは誰にも負けない槍になると」


 カナミは槍を水平に構えた。


 迷う理由は、何もない。脳裏によぎったたくさんの顔に微笑みかけると、カナミは魔力を込めて叫んだ。



「『命令ですタリム。貫きなさい‼』」



 返答は柄の爆発だった。


 後方に噴出された火炎に押し出され、カナミは最後の魔弾となってルガーに突貫する。


「無駄なことを‼ 『正義ジャスティス』‼」


 沁霊が槍を放った。


 当たれば必殺の攻撃が、何度もタリムに衝突する。


 それでも砕けない。


 タリムの『混生万化こんせいばんか』は適応の魔術。幾度となく受けてきたルガーの槍に、全力で対抗する。


 しかしそれだけであれば、既に壊れていただろう。


 『血の盟約ブラッドロール』は契約の魔術だ。そして契約による命令は絶対。


 カナミはタリムに命じたのだ、『貫きなさい』と。


 故に砕けない。


 どれだけ強力な攻撃であっても、貫いて進む。


「ッ⁉ そんな馬鹿なことが、あるものかぁあ‼」


 ルガーの絶叫と共に、沁霊が更に苛烈に槍を突いた。


 あらゆる異端を許さない正義の槍と、万難を貫けと命じられた魔弾。


 まさしく矛矛むじゅん


「ぁぁあああああああああああ‼」

『はぁぁああああああああああ‼』


 声が重なる。


 魔力が共鳴する。


 ほんの数メートル。


 あまりに長く、遠い数メートルを、カナミとタリムは進む。


 矛矛むじゅんの答え合わせは、その先で行われた。


 カナミは辿たどり着いたのだ、ルガーの下へ。


「‥‥は、はははははははは‼」


 兜の下で笑い声が鳴り響いた。


 確かにカナミは沁霊の攻撃を抜け、ルガーへと至った。


 何も握っていない右手が、ルガーの甲冑に触れていた。


 もうタリムの声は、聞こえない。


「やはり無駄であったようだな」


 全ての武器を使い尽くし、相棒も失った。


「――せんわ」


「何?」


「無駄、などでは‥‥ありませんわ」


 ぐっ、と倒れ込むようにしてカナミはルガーの甲冑をつかむ。手からあふれた血が、甲冑を濡らした。


「結果が出なければ、それは全て無駄な行いだ」


 ルガーは盾を捨て、カナミの首を掴むと、その顔に向けて槍を向けた。


 その瞬間に見た。


 たいとは思えぬほどに爛々らんらんと輝く濃紺の瞳を。


「無駄ではありませんわ。タリムはわたくしを、ここまで連れてきてくれたのです。あなたに手が届く、この距離まで」


「何をわけの分からないことを――」


 もう突いてしまおう。


 そう思い腕に力を込めたルガーは、自分の腕が動かないことに気付いた。


「何⁉」


 見れば、槍を持つ腕を、赤い糸のようなものが雁字搦がんじがらめにしていた。


 それだけではない。後ろに立つ沁霊すらも、赤い糸に絡め取られていた。


 違う。


 赤い糸ではない。


 これは――髪だ。




沁霊顕現しんれいけんげん――『血の盟約ブラッドロール』」




 ルガーの頭上に、赤い髪の女が浮いていた。


 目も口も縫い付けられ、下半身は虚空に埋まっている。長く伸びた赤い髪が、ルガーを縛り上げているのだ。


 そしてその目前には、一枚の羊皮紙が浮かんでいた。


「貴様‥‥これは、なんだ」


わたくしの魔術は、契約。沁霊が持つ力は、その強制ですわ。発動条件は、私自身の手で、触れること」


「契約の、強制だと」


 ルガーは嫌な予感に身体を震わせた。


 既にカナミには触れられている。つまり、魔術は始まっているのだ。


 何らかの契約を、結ばされる。


「貴様‼ 一体我輩に何を契約させようとしている‼」


「‥‥焦らずとも、すぐに分かりますわ。心配せずとも、契約の基本は、等価交換とうかこうかんですのよ」


「ッ――⁉ まさか、貴様」


 沁霊が羊皮紙と共にゆっくり降りてくる。


 そして赤い糸で縛られたルガーとカナミの腕が、それぞれ羊皮紙に向かって動き出した。


「ぅぐ、うぉおおおおおおぉぁああ‼」


 万力を込め、腕を折らんばかりに抵抗するルガーだが、『血の盟約ブラッドロール』の前では無意味。


 『正義の槍ジャスティス・ランス』を使おうにも、発動すらできない。


 当然だ。ここは契約の場。暴力で解決できる場所ではない。


「ぐぁあああああああ‼ よせ、このようなやり方で決着など、認められぬ‼ 我輩は誇り高き主君の槍‼ 正義が、こんなことで――‼」


 いくら叫ぼうが、腕は止まらない。


 二人の指が、自身の血を使って羊皮紙にサインした。


 これにて、契約はされた。



 

『我、我が命をもっなんじの正義をちゅうする』




 『血の盟約ブラッドロール』が満足そうに笑い、両腕をカナミとルガーへ伸ばした。


 これでよかったのだ。


 この男が扉の先に進めば、間違いなく勇輔の障害になる。


 だから彼のために使うこの命、惜しくはない。


 ただ。



『カナミ、ありがとう。助かった』


『本当に美味しい。お弁当も上手だな』


『カナミも普段気張きはってるんだから、明日くらいは羽を伸ばしてくれていいからな』


『この戦いを終わらせるために来ました。後は私たちに任せ、皇女様はゆっくりお休みください』


『そんな不安そうな顔するなって。すぐに俺たちがあいつらぶっ飛ばしてくるからさ。明日からはゆっくり過ごせるようになるさ』



 ――ああ。


 どうしてそのような顔をしてくださいますの。


 どうしてそんな気安く話しかけてくれますの。


 あなたがもっと勇者として遠い存在でいてくれたなら、きっとこんな身のたけに合わぬ想いは抱かなかったでしょうに。


 頬に、血よりもずっと熱い雫がつたう。


 せめてこの言葉を直接伝えることができていたら、とそう思ってしまう。


 もう届かないと知りながら、それでも彼ならばと願いを捨てきれず、カナミは紅い唇を動かした。






「ユースケ様、誰よりも、おしたいしておりました」






 『血の盟約ブラッドロール』の両手が、ルガーとカナミの心臓を握り潰した。


 真っ赤な華を咲かせて散らし、カナミ・レントーア・シス・ファドルは、地に伏した。

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