第398話 死神対悪魔 三

「死ねよ」


 『悪魔の右腕アンライト』が大蛇のようにのたうち、ノワへと叩きつけられる。


 しかし当たらない。


 触れれば魔力をにえされてしまう、魔術師にとっては天敵のような腕だが、当たらなければ意味はない。


「止まって見えますよ」


「そぉっすかね」


 地面に深々とめり込んだ腕が、ばらけた。


 物量で圧しきると言わんばかりの触手の群れ。それが背後からノワを追う。


 ――速い。


 触手が加速している。


 『比翼トナリ』によって強化されたノワをしても、追い付かれる。


 そう判断したノワは、回避に移った。降り注ぐ触手の動きを先読みし、軽やかなステップを踏んだ。


 触手はまるで最初からノワを避けているかのように、地面に突き刺さった。


 ステップはより激しく、リズムを上げながら音を立てた。


「こんな単調なリズムじゃ、飽きてしまいますよ」


 目を丸くするコーヴァの正面に現れたノワは、軸足で地面をえぐり、回転。


 ハイキックがその顔を捉えた。


 ゴッ‼ と爆音が響き、吹き飛んだコーヴァが家屋かおくをなぎ倒して吹き飛んでいく。


 姿を変えたところでどうしようもない。


 悪魔だろうが何だろうが、魔将ロードの敵では――。


「い、いいいいいっすねぇ‼」


 土煙を貫いて、喜色満面のコーヴァがノワに突っ込んできた。


「ッ⁉」


 即座にその場から跳び上がり、振るわれる腕を避けながら炎を放つ。桜色の火炎がコーヴァを絡め取るが、彼はそんなもの意にも介さなかった。


「ぁああぁあぁああああはっはははははは‼」


 腕を振り回し、炎を食らう。


 技術などない。小さな子供が暴れるような動作だ。


 そこに付随ふずいする凶悪さが、あまりにもアンバランスで気味が悪い。 


 ただ何よりも不気味なのは、別のところだ。


「どんどん、醜くなっていきますね」


「そそ、そうだろうぉ」


 右腕だけじゃない。左腕も悪魔の腕に変わり、脚は山羊のように逆関節になっていた。


 魔力は膨れ上がり、蹴ったダメージは見られない。


 おかしい。


 ノワは一度もあの腕に触られていない。炎を食われた程度で、ここまで強化されるはずはない。


 一体何を生贄にしているのか。


 そこまで考え、ノワは周囲の街並みの違和感に気付いた。被害など一切考えなく戦ったせいで、あたりは無事な所を探す方が難しい程だ。


 だというのに、破片すら落ちていない。破壊の断面が、あまりにも綺麗すぎる。


 それの意味するところは何か。


「まさか、街を‥‥空間をにえにしているんですか?」


「その、通りっすすよぉ。ここは、あの方が作った空間ん。全ては、魔力によっって形作、られている」


「そんな大切な空間を、食い散らかしていいんですか?」


「問ん題はは、ないっすよぉ。俺程度じゃぁあ、どうにもならない」


「‥‥そうですか」


 ノワは冷や汗が流れるのを感じた。


 この空間は魔術で作られた仮想の物。それは理解していた。コーヴァが暴れても、この空間が不安定になる気配はない。つまり、無尽蔵とも呼ぶべき魔力がここを維持しているのだ。


 『昊橋カケハシ』に飲まれた時も思ったが、敵の親玉は、想定以上の怪物だ。


『待って、ノワ。先輩は、先輩は大丈夫なの⁉』


(分かりません。もしかしたら、もう戦っているかも)


 だとしたら状況は一刻を争う。


 こんな敵に時間を取られている暇はない。


「――なんて、まだ思っているのか?」


 コーヴァの背から蝙蝠のような羽が生え、魔力が周囲の空気を揺らすように脈打った。


 首から顔は完全に黒い羽毛に覆われ、その中でガラス玉の瞳と黄色い瞳がノワを見下ろしていた。


 その喉から発せられる声は、何人もの声が重なって聞こえた。


「ワタシは戦えば戦った分だけ、この空間から魔力をにえとして食らう。つまり、際限なく強くなり続ける。お前の勝ち目は、ない」


 これは、強い。


 魔将ロードの中でも天才と称されるノワール・トアレは、自分よりも強い者をほとんど見たことがない。


 あの『歪曲の魔将ディストル・ロード』、ラルカン・ミニエスでさえ、ある種の敬意は抱いたとして、怖いとは思わなかった。


 そのノワが、このコーヴァを前にしては震えずにいられなかった。


 ある意味当然。


 彼女は知るよしもないが、魔族も人族も、その起源は地球の人類である。


 そして悪魔は、そんな人間たちが畏怖し続けた、超次元存在。


 悪魔だからおそれられるのではない。


 おそれそのものが、悪魔なのだ。


 人が挑むような存在ではない。


 それでもノワは笑った。


 彼女の目に映るのは悪魔ではない。


 その先に待つ、愛しい人だけだ。


「誰を前にいきり立っているのでしょう。私は『夢想の魔将パラノイズ・ロード』――ノワール・トアレ。愛に勝るものはないと、教えてあげましょう」


 桜色の髪をなびかせて、彼女は全魔力を解放した。


 ノワの背で炎が薔薇のように咲き、その中心から美しい大蛇が顔を出す。花のような鱗をドレス代わりに、彼女は舌をちらつかせた。




沁霊顕現しんれいけんげん――『愛せよ乙女メルヘンマイン』」



 

 悪魔の腕が黒い閃光となってほとばしり、蛇が炎を吐き出した。


 光は互いを食らい合い、城下町を飲み込んで爆発した。

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