第399話 死神対悪魔 四
◇ ◇ ◇
双剣と曲剣が噛み合い、火花を散らして離れる。
それを何度繰り返しただろうか。
シャーラは全身で呼吸をし、身体を動かすことで強引に血を指先に巡らせる。
視界はもう半分以上がぼやけていて、視力以外のあらゆるものを動員してセバスの動きを捉えていた。
――速い。手数が多い。実直なようでいて、搦め手が隠されている。
セバスの剣技には型がある。そうでなければこれ程の速度で双剣は振れまい。
しかしそれだけではない。実戦で鍛え上げた技は、微かな変化で確実に敵を追い込んでいく。
その証拠に、シャーラの身体には確実に赤い線が刻まれ始めていた。
時間がない。
自分が満足に剣を触れるのは、あと何秒だろうか。
ノワとコーヴァは恐らく最大火力での戦闘に移った。あちらも決着までは長くない。敵は殺しても死なない、命を持たない怪物だ。
「‥‥」
無心で剣を振るい続ける。
目の前の戦いに集中しなければならないのに、頭の中で昔の映像が浮かび上がってくる。
それは凍てつく冥界で、彼女が初めて光を見た時のことだ。
『ここ、どこだ?』
死して、女神や魔神の下に行くことのなかった魂は冥界に落ちて深い眠りにつく。人族も魔族もそれを恐れるけれど、それは決して苦痛に満ちた世界ではない。
冥界に来た者は氷となり、長い時間をかけてゆっくりと溶けていく。魂は純粋なエーテルへと変わり、地上に流れ溢れる。
そうしてアステリスは生命とエーテルを循環させてきたのだ。
つまりここに辿り着く魂は、氷になるはずなのだ。
だというのに彼は、炎を纏っているかのような命の熱を発しながら、冥界にやってきた。
だから斬ろうと思った。
『おおい! いきなり何すんだ⁉』
長い時間修練を積んできた自信のある一振りだっただけに、そこそこのショックを覚えたものだ。
彼は、山本勇輔と名乗った。
冥界を統べる
冥神様は、女神が嫌いだ。魔神も同様に嫌っている。
何故なら彼こそがアステリスに最古からいる原初の神だからだ。動物や魔物、巨人といった原生生物たちとエーテルを管理していたのは彼なのだ。
しかし異界から人が侵入し、全てが変わった。
恐るべき力を持った人々は原生生物を抑えてヒエラルキーのトップに立ち、あまつさえ女神と魔神という別の神を生み出したのだ。
遥か古代に、なんとなくお姉さま方から、そんな話を聞いたことがあった。
冥神様は、その話をしたがらないから、本当かどうかも分からない、おとぎ話のようなものだ。
そんな冥神様には、シャーラ以外にも多くの
そんな冥神様だから、勇輔を地上に返す時、一つの試練を与えた。冥界が誇る騎士と一騎打ちをし、勝てば返してやろうと。
勇輔では絶対に勝てない相手だった。
何せその騎士は、シャーラの剣の師匠にして、初代剣聖。あるいは、歴代最悪の勇者、アグニ。
ある理由から女神に反旗を
彼は勇輔とは違い、この冥府で他の者たちと同様に凍り付いていた。
それでも動けたのだ。
長い時間をかけても、未だその魂は溶け切らず、凍ったまま剣を振るえる規格外の天才。
シャーラは冥神様に言った。
『あんまりだ、勝てるわけがない』と。
それほどまでにアグニと勇輔の間には差があった。
冥神様はその時面白い程に焦った。何せシャーラは一番最後の
その猫可愛がりぶりは相当なものであった。
しかし神である。一度口にしたことをそうそうなかったことにはできない。
そうして言い合っている間に、売り言葉に買い言葉。シャーラは言った。
『分かった。それならユースケが勝ったら、私も地上に行く』
静寂の後、世界が震えるほどの怒号が響き渡った。あるいは、悲鳴だったかもしれない。神の一声である。勇輔はそれだけで本気で死にかけた。
それでもシャーラは譲らなかった。
『私の生まれ故郷には、嫁取りの儀があった。ユースケが勝てば、私は彼の嫁として地上に上がる』
勢いもあったが、シャーラにとってそれは奇跡のような提案でもあった。
もう一度でいいから、地上の光を見たいと。彼の隣で、温かな風を感じてみたいと、そう思った。
そうして、互いに譲れない一戦が始まったのである。
戦いはおおよその想定通り、一方的なものだった。
アグニは過去に魔王を倒した勇者であり、同時にその卓越した剣技から剣聖と呼ばれた男だ。
まだ発展途上の勇輔では、一太刀入れるどころか、まともに攻撃を受けきることすらできなかった。
アグニの剣は幾度となく勇輔を斬った。
血は出ない。死にもしない。何故ならここは冥界だから。
代わりにアグニの剣は魂を斬る。この冥府で鍛え上げられた剣技は、肉体の更に内側に傷を刻み、
それを続ければ、魂は形を保てなくなり、消滅する。
一度だけアグニに頼んでシャーラもそれを受けたことがあった。ほんのかすり傷でも、発狂した。痛みだけではない。触れられてはならない部分に触れられた、抗いがたい恐怖だ。
だから勇輔が立ち上がれることが、不思議でならなかった。
常人であれば、とっくに消滅している。
しかし彼の目はどれだけの傷を受けても死ななかった。その先に、何かを見続けていた。
その視線に、憧れたのだ。
あの目で見られたいと、思ってしまった。
ギィィン‼ とセバスの双剣が寸分たがわぬタイミングで叩きつけられ、シャーラは地面を何度も転がった。
白い肌が、血と砂で汚れる。
どうやって勇輔はアグニに勝ったのだったろうか。
技術で勝るところがなかったのだとしたら、勝敗を決したのは何だったのか。
シャーラは途切れ途切れの意識で過去を思い出しながら、立ち上がった。
◇ ◇ ◇
上空で、轟音が鳴り響いた。
「動きが、鈍くなっているぞぉぉオおオオ‼」
「速いだけが取り柄なんて、優雅さに欠けますね‼」
蛇に乗ったノワを、コーヴァが攻め立てる。腕が鞭のように、槍のように、暴風雨のように彼女を攻め立てる。
魔術を貫き、魔力を奪い、己を強化するコーヴァは、魔術師にとっては天敵だ。しかも物理的な攻撃ではまともにダメージが通らない。
『
そしてついに、悪魔の腕がノワの首を掴んだ。
「ぐっぁあ――」
「ようやく捕まえた。可憐だが、無駄な抵抗だった」
蛇の頭も、腕が鎖となって縛り上げる。
そうしている間にも、腕はノワの魔力を食らい続ける。
決着だ。
黒い羽毛の中で、コーヴァが口を開いて笑った。
「――何を、笑っているんですか?」
「ああ?」
ノワの手が、コーヴァの腕を掴む。当然、そこからも魔力は奪われる。もはや自殺行為に等しい行いだった。
しかしノワの手は万力をもって黒に食い込み、『
まるで、二度と離さないと言わんばかりに。
「そんなに魔力が欲しいのなら、好きなだけくれてあげましょう。私の魔力は恋心。お前程度に食い切れるものか、試してみるといい」
「
コーヴァは首を折らんと腕に力を込めたが、指は進まない。
ノワから放たれる膨大な桜色の炎が、コーヴァとノワを丸ごと飲み込んだのだ。
食らった先から溢れ出す魔力。
コーヴァは強化され続けているはずなのに、それを更にねじ伏せんばかりの勢いで魔力が放出される。
あり得ない現象だった。個人が持てる魔力を、遥かに超えている。
これこそが、『
ノワと蛇は、強引に力関係を逆転させる。
「堕ちろぉぉおおおおおおおお‼」
「うぐぅぉあああああああああ‼」
桜色の隕石が、コーヴァを巻き込んで城下町に落下した。
衝撃波が街並みをなぎ倒し、石畳がめくれて空を飛ぶ。
そんな中で、コーヴァは立ち上がった。炎に焼かれ、大地に叩きつけられ、なお無傷。
「やってくれた‼ やってくれたものだなぁああ‼」
両腕を構える。
巻き上げられた土煙で視界はほとんどないが、そんなことは関係ない。この空間のほとんどを
「‥‥何?」
そのつもりでいたコーヴァは、目の前に現れた人物に、一瞬だが動きを止めた。
立っていたのはノワではない。
「お互い相性が悪いもので、そちらは任せますね」
そしてセバスの前には、ノワが立っていた。
ノワがコーヴァを地面に叩きつけたのは、攻撃のためではない。彼女の間合いに、入れるためだ。
そしてノワは『
シャーラの『
どうして勇輔は試練を乗り越えられたのか。そこに真っ当な理屈などない。ただ純粋に、彼の想いを誰も砕くことはできなかった。
ただ、それだけのことだ。
「「――」」
シャーラとノワは呼吸を同じくした。
この心は底の見えぬほど深いものだけれど、月の光が届くほどに、
『
『
花びら舞う正拳はセバスにかけられた魔術を粉砕し、
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