夢幻嗤う超越者

第223話 定例会

 櫛名命くしなみことが訪れたそこは、緑広がる草原の、小高い丘だった。


 太陽に照らされたまっさらな空気が自然の香りを運んでくる。気候は穏やかで、今が初秋ということも忘れるような温かさだった。


 これが魔術によって作られた世界だというのだから、恐れ入る。あるいは寒気がするか。


 どちらでも大した違いはない。


 櫛名は丘の上におあつらえ向きに置かれた岩の上に腰かけた。


 ここは櫛名と同じ組織に所属する魔術師によって作られた仮想空間だ。その魔術師いわく、VR空間にインスピレーションを受けて作り出したということだが、そのクオリティーは現実と遜色ない情報量だ。


 現実の櫛名の肉体は、組織の医療機関で今も横たわっている。


 なんとかシャーラの魔術を奪うことができたが、その代償として左腕を肘の上から斬り落とされたのだ。あと一時間でも治療が遅ければ、そのまま死んでいただろう。


「‥‥くそ!」


 櫛名はその時のことを思い出し、歯を噛み締めた。時間が経った今も、屈辱的な記憶ははらわたを煮えくり返す。


 全ては山本勇輔やまもとゆうすけ――白銀シロガネが原因だった。


 奴の妨害行為がなければ、シャーラは魔術だけでなく、魂までをも支配下に置くことができた。そのために準備を重ねてきたのだ。


 白銀シロガネさえいなければ、この腕が斬り落とされることもなかっただろう。


 仮想世界にも限らず、腕の断面がじくじくと痛む。


 痛みからくる苛立ちは、すぐに周囲にも向いた。


 そもそもだ。


 今日は『定例会・・・』のはず。しかも自分が命を懸けてシャーラの魔術を奪うという戦果を挙げた後だ。


 当然、連中も来ているはずと考えていたが、


「どうして誰もいない――!」


 この場には櫛名だけがいた。仮想空間を作り上げたはずの魔術師さえ、姿を見せない。


 お前の行いに興味などない、そう言われているような気さえして、櫛名は舌打ちした。


 昔からルーズな連中だということは理解していたが、こちらが腕を犠牲にしてまで任務を果たしたというのに、それに労いの言葉を掛けるという思考もないとは思わなかった。


 こんなことで、あの方・・・の目的が果たされるのだろうか。


 櫛名は怒るのも馬鹿らしくなり、ため息を吐いて思考の海に溺れた。


 シャーラの魔術を奪ったことで、作戦は次の段階へと移行する。しかしそれにはあの男、白銀シロガネが邪魔だ。


 実際に戦っている姿を見て理解した。あれは人間の皮を被った別種の何かだ。『冥開』が使える今でも、櫛名が挑めば十秒ともつまい。


 魔法のコインを使おうにも、あれはからめ手だ。正面からの戦闘で強い魔術ではない。


 何よりも今回の作戦のために、数年かけて貯蓄していた魔法のコインをほとんど使いきっている。


 白銀以外の人間も、櫛名を警戒しているだろう。


 認めたくはないが、八方塞がりだ。せめて自分が捕らえられるという最悪のシナリオだけは回避しなければならない。


 そのためにも今日、次の話をしようと思っていたのだが。


「結局こうなるのか」


 櫛名は独り呟いた。あいつらをあてにしようとしたことが間違いだったのだ。まったくもって連携や協力という言葉からは無縁である。


 よく知っていたはずなのに、心のどこかで頼ってしまったのは、身体が弱っている証拠だ。


 櫛名は自分を叱咤した。


 しかしこの空間はいい。


 怪我による高熱もなく、腕の痛みも我慢できる程度だ。ここでなら、何に邪魔されることなく、考えることができる。


 櫛名は不安定な天秤にかけられた状態だ。ほんの少しの要因で、未来は容易く傾く。


 しばらく自分の居場所がバレることはないだろう。だが相手も地球の基準では推し量れない魔術師たちだ。何らかの方法で追ってくることも考えられる。


 そうなった時、身を隠す場所が必要だ。候補はいくつかあるが、どこが一番いいか。


 頭の中へと深く潜った櫛名を引き上げたのは、突如投げかけられた一言だった。




「何をそう悩んでおる」




 弾かれたように顔を上げると、そこには背の高い岩があった。


 声が降ってきたのは、更にその上。仮想の太陽を背負うように、それは岩の上に寝そべっていた。


 まるで涅槃の境地へ至った釈迦のように、寂静じゃくじょうを体現する姿。


 故にいることに気付かなかった。


 しかし一度認識すれば目を離せなくなる。ただそこに在るというだけで、意識と畏敬を集める存在。


 それは美丈夫と呼ぶ他ない男だった。世界最高峰の芸術家たちが一生をかけても再現できない肉体美に、少年にも青年にも、老人にも見える均整の取れた顔。


 人間の肉体に完璧という言葉は当てはまらない。生物であるがための、アンバランスさを持ち、常に変化し続けるものだ。


 だが、その男は完璧だった。完全、究極、至高。人として本来到達しえない場所に、それは居た。


「答えよ、何に悩む?」


 聞いているだけで心が落ち着く、悠然とした声。


 その場で膝を折り、こうべを垂れたくなる存在感を前に、櫛名は顔を上げたまま口を開いた。


 この場でまず言うべきことは一つだけだ。


「その前に、服を着ろ・・・・

「む?」


 男は全裸だった。


 誰が見ても、どこから見ても、完全無欠に全裸だった。


 しかもそれに肉体を隠すという思考はない。岩壁のごとき胸板に、大樹の四肢、頭の頂からつま先に至るまでが、光に晒されている。無論、誰よりも猛きと主張する男の象徴もだ。


 男は思わぬことを言われたとばかりに、返した。


「構わぬだろう。我が肉体に隠すべきものなどなし。何の不都合がある」

「お前がどう思うかじゃなく、僕が話し辛いから服を着ろと言っているんだ。何が悲しくて全裸の男と向かい合って話合わなきゃいけないんだ」

「なんだ、女の身体であればよいのか」

「そういう話をしているんじゃない!」


 櫛名が叫ぶと、男はやれやれと目を閉じた。ゆっくりと立ち上がると、光を纏ってその裸体がより鮮明になった。


 見る人によっては垂涎すいぜんの光景だろうが、生憎と櫛名にはそれを高尚と捉える無垢な心はなかった。


 男は両腕を横に広げると岩から跳んだ。同時に長い黒髪が意志を持っているかのようにうねり、落ちる中で服を編む。


 男は羽のように軽く、音も震えもなく着地した。


 下半身を覆うのは、ゆったりと膨らみ、裾が絞られたズボン。上半身は薄い上着を羽織っただけで、優美な肉体が惜しげもなく披露されている。


 髪で編んだはずの服は、どういう理屈か色鮮やかな華の刺繍が施されていた。


「これで良かろう」

「ああ、初めからそうしてくれ」


 まだ上に立たれていた方がよかった。こうして目前にいられると、否応なくその威容を意識せざるを得ない。


 この男の名はシキン。


 同じ組織に所属しているという点だけで見れば、櫛名の仲間だ。


 むしろこいつだけは参加しないだろうと思っていたが、まさかその逆になるとは。





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平素よりご愛読いただきありがとうございます。秋道通です。

第六章、始まります。

週二回の更新を目指して頑張りたいと思いますので、また懲りずにお付き合いいただければ幸いです。


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