第222話 閑話 苛立ちと一夜の夢

 男には時として、その瞬間が訪れる。


 前触れもなく、理由もなく、ただ本能という獣が獰猛に立ち上がる。


 つまるところは、そう、これを一言で表すとするのならば。




 むらむらする。




「‥‥」


 なんだろうな、今日。


 すごいむらむらする。


 どれくらいのむらむらかと言われれば、こうしてベッドに横たわっているだけなのに、ズボンが張り裂けんばかりだ。


 もちろん触っていない。ノーハンドむらむらだ。


 何をそんなにいらいらしているのかと問いかけたくなる程に、下半身の獣は唸りを上げている。どうしたどうした、欲求不満か? 欲求不満か。


 そして男なら分かってくれると思うのだが、こういうゾーンに入ると、何を考えてもエロイ方向につながっていくものだ。


 言うなれば一人桃色山手線ゲーム。止まれない急行列車へようこそ。


「うーむ」


 無意味に寝返りを打ってみる。ベッドが異様にでかいので、無限に寝返りが打てるわけだが、それで楽しめるのは一瞬だ。すぐに虚しくなる。


 ここはセントライズ王国が誇る白亜の城、セントライズ城だ。


 とある戦いが終わり、久しぶりに戻ってきたわけだが、そんな気の緩みがこれをもたらしたのか。


 そもそも何が悪いって、エリスが悪い。先日彼女に連れられてVIP御用達のバーに行ったのだ。


 考えてみてほしい。胸元がざっくり開いたナイトドレスを着た美女と、いい雰囲気のお店でお酒を飲む。しかも相手はただの美女ではない、セントライズの紅き花と謳われるエリスだ。


 何もない方がおかしい、何かが起こってしかるべきだ。


 まあ、結局いつも通り何事もなかったわけだが。


「むん」


 筋トレでもして気を紛らわそうと、頭をついてブリッジする。股間が高々と掲げられた。


 あの胸元と酒で赤くなった肌。あれは反則だ。そりゃむらむらするでしょ。


 しかしなあ。


 この世界でむらむらを解消するって言うと、基本的な選択肢は三つ。


 自分で処理するか、恋人や妻と致すか、あるいはそういった商売を利用するか。


 まず自分で処理をするには足りないものがある。――すなわち、おかずだ。


 軽く指一本動かせば、広大なネット社会からおかずをいくらでも探せる飽食の地球と異なり、アステリスではエロ本を買うことさえ困難。


 なんならエロ本買うより、本物に金を払った方が安くて楽まである。


 普段なら俺の妄想力によりおかずを錬成することも可能ではあるが、今日の獣はそれでは満足できそうにない。


 では二つ目。恋人なんていない、論外。


 いや、そういう相手が欲しいと言えばいくらでも出てきそうだけど。メイドさんとか貴族の娘さんとか。そんなことをしたら間違いなく大変なことになる。この城にはエリスもいるのだ。


 もし彼女の耳にその情報が入れば、俺は死ぬだろう。比喩とかではなく、殺される気がする。


 分かってるよ? 昨日いい感じの雰囲気だったんだから、そういうことを考えるなって。でもさ、むらむらってそういうことじゃないから。理屈とか理性とか、それよりも原始的な部分で起こってるのよ。


 そもそもエリスとは恋人関係じゃないんだから、なんの問題もない。恋人関係じゃないのに何で殺されるねん、とか考えてはいけない。


 正直我慢も限界だ。


 俺は勇者だ。己が剣で道を切り開く者。


 我が童貞よ、今こそ旅立ちの時が来たのだ。


 選ぶは三つ目。


 娼館を利用する方法だ。俺が旅をしてきて学んだこととして、どの町に行っても宿、飯屋、娼館。この三つはほぼほぼ存在する。娼館がないのは、性的な行いを身内で完結させるような小さな村くらいだ。


 つまりは使って当たり前。行って一人前。


「よし!」


 既におすすめの娼館は把握している。グレイブが昔、己の命と引き換えに教えてくれた。


 問題はいかにバレないようにこの城を出て歓楽街に行くか。


 それもここまで経験を積み重ねてきた俺なら、できる。


 俺は男として新たな一歩を踏み出すべく、ブリッジから身体を起こした。


 まずはメイドさんに、街に酒を飲みに行くことを伝えよう。いなくなったことがバレると大事だからな、堂々とこの城を出る。


 そう決心し、清々しい思いでドアを開いたところで、俺は停止した。


「わ、びっくりしたわ」


 扉を開けた先には、薄いネグリジェにガウンを羽織ったエリスがいた。手には籠が提げられており、酒の瓶が覗いている。


 ‥‥ふぁい?


 エリスは慌てたようにわたわたと手を振りながら言った。


「あ、あれよ。思い返してみると、昨日は少しユースケも緊張したかもしれないと思って‥‥。お父様のコレクションから一本かっぱら――いただいてきたから、二人で飲まない?」

「‥‥」

「ユースケ? どうかしたの‥‥? そういえばどこかに行こうとしているところだったかしら」


 夜に晩酌しようと男の部屋を訪れるなんて、エリスも初めてなんだろう。


 赤くなった頬。旅先では見ることのない品が良く可愛らしいネグリジェ。そしてお風呂に入ったのだろう、いい香りがする一つにまとめられた緋色の髪。


 男には時として、何かを選ばなければいけない時が来る。


「‥‥その、やっぱり連日は嫌だった?」


 すまんな童貞。どうやらお前とはもう少し長い付き合いになるらしい。獣よ、意志薄弱な俺を許してくれ。


 俺はエリスの手から籠を受け取って言った。


「嫌なわけないだろ。ただ国王様に怒られるのは勘弁だぞ」


 そう言うと、エリスの顔がぱあっと明るくなった。


「大丈夫よ。お父様は私に甘いもの」

「それは確かに」


 俺はエリスを中に入れると、ノブに手をかけた。どうせ桃色山手線ゲームなことにはならないだろうけど、ここからは二人の時間だ。


 小さな音を立てて、扉は俺たちを閉じ込めた。




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 秋道通です。生きています。六章はですね、進捗駄目かもしれません。本編書く休憩に閑話書いています。まだしばらく時間がかかりそうなので、時たま閑話を投稿するかもしれません。

 松田の日常とか、加賀見さんの合コンとか、勇輔たちが大学一回生の時の話とか、書いてみたいことはたくさんあるのですが。気力と体力が‥‥。

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