第164話 恋とはまことにいとおかし
高山に告白されたこと、その後よくない連中に絡まれたこと、そこを勇輔に助けてもらったこと。自分の気持ち以外の事実を伝える。
総司はいつもと変わらない表情でそれを聞いていた。
「なるほどな。大体話の全容が見えたわ。災難だったな陽向」
「‥‥驚かないんですか?」
「何を?」
それは決まっているだろう。
「先輩、あんな喧嘩強いなんて聞いたことなかったんですけど。そんな素振りも見せたことないですし」
陽向の知る山本勇輔は、格好つけようとするのに何とも格好のつかない男だ。そこらの女性よりも酒に弱く、赤点は取らないけど大して勉強を頑張っているわけでもない。
昔文芸部のメンバーでフットサルをやったこともあったが、あまりのノーコンぶりに途中からベンチウォーマーと化していた。遊びのフットサルでである。
そんな勇輔が喧嘩なんて、想像したこともなかった。
「あー、そういや陽向には話したことなかったか」
「何をですか?」
総司は言い辛そうに頭をかき、仕方ないとばかりに息を吐いた。
「あんまり言いたくねーんだけど。俺、実はこう見えて昔喧嘩ばっかしててな、ほぼ負けなしだった」
「‥‥そうなんですね」
陽向が返答に困ったのは、冗談で言っているのか判断がつかなかったからだ。総司なら喧嘩三昧の生活を送っていても、さほど驚きはない。
むしろこれで優等生やってたと言われた方が驚きだ。
総司はそんな陽向の葛藤を知ってか知らずか、言葉を続けた。
「だけど、勇輔には勝ったことがねえ」
「え、喧嘩ですか?」
「そうだよ。つってもガチでやり合ったのは一回だけだけどな」
「‥‥」
それには流石に驚いた。
陽向の知る限り勇輔と総司は非常に仲がいい。松田と三人でいることも多いが、やはり二人ので一緒にいる姿が印象的だ。
そんな二人が殴り合いの喧嘩をしているのは想像がつかなかった。
そんな思いが顔に出ていたのか、総司はため息と共に言った。
「あん時は色々ストレスたまってやさぐれてたんだよ。そんな時にあいつに絡まれてみろ、ムカつくだろ」
「あー、それは分かる気もします」
「だろ?」
大体お節介なんだよあいつは、と総司は続けた。
そう、勇輔はお節介焼きである。陽向はそこがいいと思うし、昔の総司はそれが鬱陶しかった。喧嘩はともかく、その流れは腑に落ちた。
「そんでなんやかんやあって、ぶっ飛ばしてやろうと思ったら、ものの見事に返り討ちだ。まあ、おかげで喧嘩からもさっぱり足を洗った」
「お二人にそんなことが‥‥。人に歴史ありですね」
「そんな大げさな話じゃねえって」
そうだろうか。
少なくとも陽向の価値観では、その話はまるで漫画の世界だ。
「今思い出しただけでもむかむかしてきたわ」
「それは私に言われても‥‥。ところで、結局先輩が喧嘩に強いのはなんでなんですかね?」
陽向の問いに、総司はしばし押し黙った。口を真一文字に引き結び、目を細める。今の話以上に嫌なことを思い出した、無言の中にそんな言葉が浮かんでいた。
「‥‥さあな」
「総司さんも知らないんですか?」
「あいつは昔のことを話したがらねーからな。ただ――」
総司はそこで言葉を区切り、陽向の目を真正面から見た。今まで見たことがない程に真剣な目で。
「勇輔は自分の優先順位が極端に低い。いや、はっきり言って
「‥‥」
その言葉に陽向は何も言えなかった。
肯定することも、否定することも。それが出来るほど自分は彼を知らない。自分のことばかりで、本当に、何も知らない。知ろうとしてこなかった。
その事実に陽向は視線を下に落とした。
総司は慌てて声色を明るくした。
「だからあれだ、俺も別にお節介がしたいわけじゃないんだが。あいつ相手に引くのは、間違いなく逆効果だ。勘違いこじらせてろくなことにならねーぞ」
「それ、アドバイスですか?」
「さあな。そうやって離れた奴を一人知ってるから、つい口をはさみたくなっただけかもな」
それが誰なのかは聞かなくても分かった。
そういえば勇輔は彼女に復縁を迫ったりはしなかった。あんなに仲が良かったのに、未練が残っているのも見れば分かるのに。
なるほど、確かに総司の言う通りだ。
陽向はいつも通りの笑みを作ると、総司を見返した。
「いいんですか? 私にそんなこと言って。総司さんはてっきり
「そっちもこっちもねーよ。ただ、あの馬鹿には借りがある。それだけだ」
「え、まさかの第三勢力ですか?」
陽向の問いに総司は「阿呆か」と短く返した。
「ま、悔いのないように頑張れよ。俺の経験則じゃ、一週間でも放っときゃ第五勢力くらい出てくるかもしれねーぞ」
どんなモテ男ですか。
そう返してやりたかったが、案外なくもなさそうで陽向は唇を尖らせた。
総司はコーヒーを飲み干すと、席を立ちあがる。
どうやら本当に勇輔の話がしたくて立ち寄ったらしい。あるいは、それほどまでに心配をかけていたのか。
やっぱり苦手だな。いい人だけど。
陽向は取り出した伊勢物語が妙に苛立たしく、表紙を指で弾くと、頬杖をついた。
遥か昔の人間が頭を悩まして書物に残しているのに、未だ解決を見ない「恋」とやらはまことに厄介なものである。
理不尽にも八つ当たりをされた在原業平は、「春日野の若紫のすり衣しのぶの乱れ限り知られず」とでも言いたげだった。
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