第261話 本当の力

 動きを止めたシキンの頬を、涙が伝った。


「『何をしたんだ?』」


 俺の近くまで退いた四辻に声を掛ける。彼女はいつの間にか頭に猫耳を生やし、腰からは二本の尻尾を出していた。


 そういえば四辻と初めて会った時、カナミがただの人間ではないとか言ってたな。こういうことだったのか。


 どうでもいいけど、属性盛りすぎでは? 胸焼けしちゃうだろ。


 猫耳四辻は、今にも倒れそうな顔で答えた。


「はぁ、はぁ‥‥。シキンの魔術の正体は、自己暗示だったんだよ。仙道としての修練を、主のための修練として暗示をかけることで、本来両立しない二つを一つの魔術に落とし込んだんだ」

「『暗示だと? では今行ったのは』」

「暗示を解くための言霊を打ち込んだ。暗示が解ければ、もう長寿と無窮錬の両立は不可能なはずだけど」


 そういうことか。なんとなく四辻の言っていることが理解できた。


 暗示によって魔術の変化を成立させていたとはな。


 確かにそれなら沁霊の気配がないのも納得がいく。シキン自身、本当の自分を見ていなかったわけだ。


 いびつでありながら、千年という時をもって強力な魔術に変容したものが、『無窮錬むきゅうれん』の正体。


 そしてこの後シキンに起こることを、俺は知っている。


 アイデンティティの崩壊は、魔術の弱体化につながる。そう、ちょうどラルカンと戦う前の俺と同じように。


「‥‥我は、そうか。記憶を、封じていたのだな」


 シキンがそう呟いた。


 俺には肯定も否定もできない。その事実は、きっとシキンにしか分からないものだ。


 言葉は普段と変わらないが、その内部で起きている異変は手に取るように分かった。シキンの肌に、赤い亀裂きれつが走ったのだ。


 今にも割れる陶器とうきのように、最強だったはずの彼がもろく見えた。


 シキンの目が四辻を見た。


 四辻が身体を強張こわばらせるが、シキンは落ち着いた声で言った。


「千里といったか。礼を言おう」

「礼‥‥?」

「お主の洞察力どうさつりょくと勇気がなければ、我はこの記憶を失ったままであった。ゆえに、礼を言わせてくれ」


 四辻は目をぱちくりさせた。


 まさか礼を言われるとは。この状態でも、やっぱりシキンの思考回路は俺たちの常識でははかれないらしい。


 しかし弱体化は明白だ。


「『これで決着とするか、シキン』」

「まさか。修練を続けるというわけにはいかなくなったが、あるじのため、お主だけはここで倒しておかねばならないようだ」

「『戦えるのか、その身体で』」


 シキンは今にも崩壊しそうな状態だ。仙道でみがいてきた長寿の力が、失われつつあるのだろう。


無論むろん


 シキンは笑い、魔力を身にまとった。


 直後、肉体の崩壊が止まった。『無窮錬むきゅうれん』で肉体を再生させて、崩壊を食い止めたのか。まだそんなことが。


「我は大義たいぎのためと、最も忘れてはならない記憶を忘れていた。笑うがよいぞ。長き忘却ぼうきゃくの果てに、もはや一番大切であったはずの者の名前さえ思い出せん」

「『笑わんさ』」


 お前の何を知っているわけでもないが、剣を交えて理解した。シキンは残酷な現実から逃避するような人間ではない。その先にある希望のために、自分の魂さえもあざむいたのだろう。


 俺はできなかった。地球に帰れたことをいいことに、アステリスでの過去から目をそむけ続けた。俺が今立ち上がっていられるのは、俺を肯定してくれる人間がいるからだ。


 シキンはひび割れた顔のまま、穏やかに続けた。


「そうか、お主は良い男だな勇輔」

「『双修は御免だがな』」

「安心してい、我も今さら他の人間ととは思わん」


 そうかい。


 シキンはゆっくりと息を吐き、目を閉じて何かを噛み砕くように頷いた。


「我は我の弱さを認めよう。しかしこの道を選んだこと、この長き時を否定はせぬ。修練を重ねたが故に、我は目的をたがえようと進むだけの力を得た」


 そして、顔を上げる。


 まるでき物が落ちたように、真っ直ぐな眼光が俺を見た。


 ──強いな。


 このまま個性の崩壊と共に魔術が維持できなくなれば、シキンは千年という騙し続けた時の負債ふさいを払うことになっていただろう。


 しかしシキンは無窮錬を維持し、その力で命をつないでいる。欺瞞ぎまんであろうと、積み重ねた年月は嘘ではないと。


 もし俺がエリスやシャーラ、コウ、アステリスで出会った人々の名前を忘れてしまったら、それが自分の弱さが招いた事態だとしたら、そんな簡単に受け入れられるだろうか。自らの不甲斐ふがいなさに打ちのめされ、立つこともできなくなるかもしれない。


 俺がリーシャやカナミの助けがあってできたことを、シキンはこの土壇場で、たった一人でやってみせた。


 魔力は揺れ、あの不倒ふとうの安定感は失われている。代わりに、どんな化け方をするか分からないおそれを秘めていた。


 揺らぎの中に確かに感じる、沁霊の気配。


 敬意を表するよ、シキン。


 俺は前に進みながら左腕を上にかかげ、そして払った。


 大丈夫、俺は君たちと共にここにいる。


 朱のマントが炎のようにゆらめいて形を失い、全身へと広がる。


 銀をくれないが染め上げ、魔力が歓喜に打ち震えた。


 俺は今から、本当の意味でシキンと戦う。魂のない暗示の傀儡くぐつではない、血の通った最強の男と戦うのである。




「『我が真銘──無限灯火フレム・リンカー』」




 深紅のコートをまとい、俺はシキンの間合いに無造作むぞうさに踏み込んだ。


 互いに言葉はなかった。


 俺たちは全魔力を込めて、目の前の相手を叩き潰すために剣と拳を振り上げた。

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