第262話 限界を超えた先で

 こぶしかぶとよこつらに突き刺さり、俺の剣はシキンの胴を袈裟斬けさぎりにした。


 首が飛ぶかと思ったが、全身の筋肉を引きしぼって強引に衝撃を殺す。


 シキンも血を噴き出しながら、倒れることなく俺を見た。


「『──!』」


「──!」


 刹那せつな、今度は俺の胴を丸太のような脚がぎ、紅い刺突しとつがシキンの胸を穿うがった。


 ぅぐうぉっ⁉︎


 腸が破裂し、骨が爆散したような痛みに口から血がこぼれる。


 シキンは貫通した穴から大量の血を流しながら、背中を丸めて痛みに耐えていた。


 止まった時間は一秒もなかった。


 俺もシキンも即座に攻撃へと転じる。剣が切り裂き、拳が砕いた。


 二人の間にある距離は、俺たちからすればないも同然。我が真銘は傷を強引に塞ぎ、身体を補強する。無窮錬は肉体を再生させ、時の重さを拳に乗せる。


 はは、さっきよりはるかにくぞ。それがお前の本当の強さかよ。


 シキンの魔術は暗示が解けたことにより、弱体化したはずだった。しかしシキンはそれを即座に立て直し、魔術を真の意味でおのれのものとしてみせたのだ。


 安定感こそなくなり、剣は通るようになったが、感情の励起れいきによって振るわれる拳の威力いりょくは、跳ね上がっている。


 それでもこちらの方が、よほどいい。


 俺は剣をえ間なく振るい、避けられる攻撃は避ける。さばききれないものは、鎧で受けた。

 それはシキンも同様だった。全身に生傷を作りながら、それをすぐさま再生して殴りかかってくる。


 まさしく血で血を洗う、闘争とうそう


 しかし忘れてはならない。どんな状態になろうとも、シキンが俺の高みを行く技巧ぎこうの持ち主だということを。


「『っ⁉︎』」


 剣をかわされたと思った瞬間、シキンの右腕がからみついてきた。腕を起点に巨木にのしかかられたような重さがかかり、身体の自由が奪われる。


毒竜諸鬼どくりゅうしょき


 ぶん回される。


 そう判断した時、俺は自ら地面を蹴っていた。


 シキンが俺を振り回す速度よりも、更に速く動く。


 ゴガガガガガガガッ! と鈍い音を連続で響かせながら、俺とシキンは片腕をつかんだまま打ち合った。


 シキンはこちらの体勢を崩そうとし、俺はそれに先んじて跳ぶ。もはやどちらが投げているのかも分からない状態で、俺たちは車輪のように床板を砕きながら転がった。


 いい加減にしろよ。


 転がる勢いをそのまま剣に乗せ、振るう。


 『狼吠月剣ロアクレス』。


 くれないの満月が、俺を掴んでいたシキンの腕を肩から切断した。


 血が噴水のように飛び散り、支えを失ってすっぽ抜けた二人の体が離れていく。


 腕を切り飛ばし、距離が空いた。


 そんな心の一瞬のすきを、シキンは見逃さなかった。


 『雲雷鼓掣電うんらいくせいでん』。


 あろうことか、シキンの長い髪の毛がうねり、神速の打突だとつが放たれたのだ。


「『ぉぐっ⁉』」


 ゴッ‼︎ と意識の外から打ち込まれた一撃は俺の腹に突き刺さり、吹き飛ばされる。


 嘘、だろ。


 足を床に突き立て、なんとか勢いをけずる。腹から全身に広がる痛みとダメージに、頭が揺れた。


 髪の毛って、なんでもありかよ、くそ。


 今の一発は想像以上に効いた。視界がかすみ、両脚は震えている。


 それでも俺は背筋を伸ばし、顔を上げた。まだ終わっていない。


「はぁ‥‥は‥‥」


 シキンもまた息を切らしながら俺を見ていた。腕がなくなった右肩からは、まだ血が流れ続けている。


 お互いに限界は目前に迫っていた。


 悪いな、土御門、四辻、みんな。


 ――そしてノワ。


 俺は今シキンを心底超えたいと思っている。


 剣を握った瞬間から、あるいは戦場に立った時から、全てを自らの力でねじ伏せ、頂点に立ちたいという野心。強敵を倒すという、高揚感。


 自分ではそういった意識は薄い方だと思っていたが、案外心の奥にはこういう熱が渦巻いていたらしい。


 シキンを倒すことができれば、俺はまだ成長できる。


 リーシャも、カナミも、月子も。皆全力で先に進もうとしているのを肌で感じている。


 俺はどうだ? アステリスに居た時から、本当に成長しているのだろうか。


 櫛名くしなからシャーラを助けることができなかった。あまつさえ、櫛名を取り逃してしまった。


 そして今回、シキンにはいいようにやられ、四辻の助けがあってここまで来た。


 不甲斐ふがいない。


 俺は剣を握り直し、一歩を踏み出した。それだけで全身に砕けるような痛みが走る。


「『勝負だ、シキン』」


 あんたと打ち合ってよく分かった。俺はまだ、強くなれる。


 右手にバスタードソードを、左手には紅い大剣を顕現けんげんさせる。


「よかろう、勇輔よ」


 シキンはそう言うと、腰を落として残った左腕を引いた。


 直後、視界がゆがむほどの濃密な魔力がシキンから放たれた。あれだけの傷を負いながら、魔力は更に膨れ上がる。


 千年をかけて鍛え上げた肉体は、本来人が使用できる規模を遥かに超えた魔力を操作してみせる。


 そんなシキンへと、真っ直ぐに輝く道が引かれた。


灯火リンク――騎士道ナイトプライド


 前へと進んだ分、力を増す騎士の魔術。


 シキンの魔力は膨張ぼうちょうを止め、圧縮されていく。建物そのものが揺れ、天井が崩落ほうらくし始めたのか、人像たちが落ちて砕けた。


 これが最後になると、何も言わなくても分かっていた。


 俺が床を蹴ると同時、シキンの拳が真っ直ぐに放たれる。


地獄鬼畜生じごくきちくしょう‼」


 鬼の拳が、全身をぶん殴ってきた。


「『ッ――‼』」


 意識が飛びかけた。


 そして痛みと共に理解する。この悪鬼羅刹あっきらせつの正体は、シキンの内に封じられた後悔と、懺悔ざんげと、苦痛そのものだ。


 暗示程度で、魂に刻まれた傷を忘れられるはずがない。あんたは正体を見失った苦しみに、千年間耐え忍びながら拳を鍛え続けたのか。


 それはどれ程辛い道か。


 希望に生きた千年は、裏を返せば絶望の渦中かちゅうにいた千年だったのだ。


 後ろへ飛ばされそうになる衝撃を、耐える。


 その瞬間、凄まじい速度で脳裏のうりを流れていったのは、俺の帰りを待つ人たちだった。


 この拳、あんたにも守りたい何かがあったんだろうな。


 けどな、思いの強さだっていうのなら、俺も負けられないんだよ!


「『ぅぅあ――――!』」


 一歩だ。


 濁流だくりゅうを押し返すように、たった一歩を進んだ。


 その一歩を引き金に、全身に火が灯ったかのように熱の奔流ほんりゅうが押し寄せ、剣が軽くなった。


 この刹那せつなを、逃すな。


 俺は鬼の急所に滑り込ませるように剣を振るった。目に見える魔力の要所を、思考を追い越して切り裂いていく。


 地獄に輝きをつむぐ『星剣ステラ』が、強引に道を切り開く。


 しかしシキンの技量はやはり恐るべきものだった。


 たった一度、星剣ステラを見ただけでその理屈を理解したのだろう。拳は俺の剣から逃れるように流動しながら殴りつけてくる。


 右目が潰れ、視界が半分消えた。


 血を吐きすぎて、呼吸ができない。失われていく血をおぎなうように、あるいは空になった体に注がれるように、魔力だけが満ちていく。


 ドンッ‼ と床を踏み抜く音が響き、俺は自分が進んでいることを実感する。


 もはや考えることなどない、目の前の脅威きょういを斬り、進むだけだ。


 この歩みが止まる時は、死んだ時。


 何歩進んだか、自分では分からなかった。


 ただ二振りのけんが開いた先に、彼は居た。


「――見事」


 シキンはつぶやき、身体をじって回し蹴りへと転じた。


 獰猛どうもうは、容易く俺の首を砕いただろう。


 しかしそれよりも早く、俺の身体は染み込んだ動きを再現していた。周囲に漂う魔力の粒子を巻き込み、双剣はけたたましい咆哮ほうこうを上げた。




 『竜剣エルトニア』。



 

 跳ね上がった竜の牙が無窮錬むきゅうれんを食い破り、シキンに突き立てられた。


 回し蹴りよりも速い、下段からの切り上げ。


 双剣はシキンの腹と胸を、確かな手応えと共に斬った。


 噴き出す鮮血をも巻き込んで紅い剣閃は飛翔する。


 そして。


 ザンッ‼ と煌夜城こうやじょうの天井が割れた。


 まるで昇竜でも現れたかのように、城の上部は完全に消失し、空からはいつの間に昇ったのか月の光が落ちてくる。


「『――』」


 剣を下ろした俺の前で、シキンが大の字に倒れていた。

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