第263話 勝利の余韻

     ◇   ◇   ◇




 信じられないものを見た。


 千里は戦いの終わりを見た瞬間、膝から崩れ落ちそうになった。なんとか立っていられたのは、自分もまた戦士の一人であるという責任感があったからだ。


 山本勇輔と、シキンの戦いは凄絶せいぜつを極めた。


 己の命と誇りを掛けた決闘は、見ている者を圧倒する。


 どちらが勝ってもおかしくない戦いだった。どちらがいつ死んでもおかしくない攻防だった。


「『――』」


 勝利をつかみ取ったのは、くれないの騎士だった。


 もはや千里には最後に何が起こったのかも分からない。二人が向かい合ったと思った瞬間、これまでにない魔力がぶつかった。


 目を見開いたところで、何も見えはしない。光と衝撃だけが乱舞らんぶし、永遠にも思える時が流れた。


 そして気付いた時、勇輔は倒れたシキンを静かに見下ろしていた。


 その勝敗は誰の目にも明らかだった。


 これが伝説同士の戦い。


 千里は思い出したように呼吸を再開した。冷えて固まった指先に、じんわりとしびれが走る。


 シキンと相対した時、心のどこかで勝てないと思ってしまった。


 こんな怪物に、人間が勝てるはずがないと。


 しかし勇輔はそんな絶望をひっくり返し、約束を守ってみせた。シキンの正体を看破かんぱしたのは千里だが、それを信じ、実現させたのは間違いなく彼の力だ。


 そこで初めて、千里は理解した。これまで知識でしか知らなかったことを、魂で実感したのだ。


 山本勇輔は、勇者なのだ。


 異世界での活躍だとか、魔術師としての強さだとか、そんなことではない。


 絶望の中にあって希望を切り拓く人。


 きっと彼は過去も同じように、多くの人間を救ってきたのだろう。


「――はは、凄いな君は」


 思わず笑った千里は、そこで表情を変えた。


 勇輔の身体がぐらつき、剣を床に刺してなんとか倒れるのを耐えたのだ。 


 紅いコートは消え、鎧は今にも砕けそうな程にへこみ、亀裂きれつが入っていた。


「勇輔‼」


 千里は慌てて駆け寄り、勇輔を支えた。


「『あ、ああ。あり、がとう』」

「喋らなくていいよ! すぐに治療するから!」


 勝利の余韻よいんひたってすっかり忘れていた。


 勇輔はあのシキンと正面から戦い続けていたのである。倒すことこそできたが、その全身には尋常ではないダメージが蓄積されている。


 しかし勇輔はかすかに首を横に振った。


「『いや、いい‥‥』」

「でも早く治療しないと――」

「『今は、魔術が、解けないんだ』」


 その言葉に、千里は唇を噛んだ。


 今の勇輔は、自身の魔術によって止血し、魔力を回して生命を維持しているのだろう。つまり魔術を解けば、死ぬ。


 かといって濃密な魔力の塊である鎧をまとったままでは、千里の術式は届かない。


 そもそも彼女は治療の専門家ではないのだ。


 無力感を口の痛みでねじ伏せ、千里は考えた。


(だったら、とにかくみんなの所に帰らないと。車じゃ時間がかかりすぎる。誰に見られてもいいから、春光と冬鳴に乗って帰ろう。あとはシキンの身柄も確保しなきゃ)


 そう結論を出し、千里はカードを取り出そうとした。


 そしてその手は魔術を発動する前に止まった。


「っ⁉」


 突如空からし掛かる重圧に、潰れそうになる。


 カードを挟んだ指先が震え、呼吸が浅くなった。


 何かが、いる。


 千里がその時顔を上げることができたのは、先ほどまで死闘しとうを繰り広げていた高揚、瀕死の勇輔を助けなければいけないという義務感があったからだ。


 上を見上げると、そこには夜が広がっていた。


 天井の消えた先には、月が浮かび、淡い光が落ちてきている。


 他には何もいない。


 そのはずなのに、千里は見上げたことを後悔した。




驚嘆きょうたんすべきか、流石と言うべきか』




 声が降ってきた。


 月だけが浮かぶ空から、姿なき声が響いたのだ。


 大きくはない。しかし確かに聞こえる、不気味な声だった。


 千里は震えながらも、問うた。


「‥‥お前は、何者だ」


 この部屋に降り積もる重圧と寒気。その時点で、薄々分かっていたのかもしれない。それでも、聞かずにはいられなかった。


 答えは端的だった。


導書グリモワール


 ‥‥やっぱり。


 最悪の事態だ。


 新世界トライオーダーの幹部、シキンと同格の魔術師が、現れたのだ。


 しかもこの気配。


 一人ではない・・・・・


 シキン一人でさえ、信じられない強敵だったというのに、満身創痍まんしんそういの勇輔と、千里だけで、戦える相手ではなかった。


 どうする? どうしたらいい?


 もう勇輔を頼ることはできない。


 けれどいくら考えたところで、千里一人でこの状況をどうにかする妙案は浮かばなかった。


 ――詰みだ。


「‥‥ごめん、勇輔。僕が、僕たちがこんなことを頼んだから」


 情けない涙交じりの声が出た。


『卑怯、卑劣とは言うまい、白銀シロガネよ』


 導書グリモワールの声と共に、魔力が動いた。見なくても分かる、何らかの術式が組み上げられている。


 それは死へのカウントダウンにも聞こえた。


「『――』」


 勇輔が、何かを言っていた。


 あまりにも小さい声で、うまく聞き取れず、千里は顔を寄せる。


 この状況で、彼は何を言うのか。


 勇輔の告げた言葉は、思いもよらぬものだった。


「『――ぁあ、懐かしいな』」


 懐かしい?


 何を言っているの、と聞こうとした瞬間、それは来た。


 巨大な扉が激しい音を立てて外側から開かれ、魔力が流れ込んでくる。


 否、それはそんな生易なまやさしいものではなかった。


 荒々しい魔力が、淀んでいた魔力を駆逐くちくする。


 部屋に満ちていた導書グリモワールたちの魔力は一瞬にしてのみ込まれ、千里は激流げきりゅうの中に取り残されたような感覚に陥った。


 ――何が起きてるの⁉


 複数人の導書グリモワールが発していた魔力、それを押しのけるなんて、普通の人間にできるはずがない。


 それこそ、勇輔と同等の実力者でなければ。




「かはは、いい様だなユースケ」




 千里は弾かれるように振り返った。


 扉をくぐり、月光の下に現れたのは、一人の男だった。


 黒い毛皮のコートに身を包んだ、野生の活力にあふれた姿。浅黒い肌に、闇を溶かしたような漆黒の髪。肩には布に包まれた長物をかつぎ、端正な顔には荒々しい笑みが浮かんでいる。


 千里はその瞬間、巨大な獣をそこに幻視げんしした。


 牙の隙間すきまからよだれを垂らし、今にも襲い掛からんとする飢えた野獣だ。


 先ほどまでの寒気のする恐怖とは違う、本能的に感じる命の危機に、身体が反応する。


 そんな千里の腕を優しく止めたのは、隣に立つ勇輔だった。


「『安心していい。‥‥仲間だ』」


 仲間。この男が。


 目につく全てを破壊せんという狂気に満ちたこの男が。


 信じられないという目で見られた男は、千里の方を見た。


 金色の目が細められる。


「人じゃねえな。かといって魔族でも魔物でもない。まあ、何でもいいか」

「‥‥あなた、誰なの?」

「俺か?」


 男は導書グリモワールに見下ろされている状態で、悠々と答えた。




「俺の名はコウガルゥ。そこの死にぞこないと旅をした一人さ」



 

 勇者と共に魔王を討伐した四英雄しえいゆうの一人、『狂獣』――コウガルゥはそう牙を剥き出しに笑った。

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