第264話 狂獣

 状況は混沌を極めていた。


 姿を見せぬまま、空からこちらを見下ろす『導書グリモワール』たち。


 動けない勇輔と千里。


 そして突如として現れた勇輔の仲間だという、コウガルゥ。


 彼は肩に担いでいた長物を床に打ち付けると、空を見上げた。


 そしてそこにいるはずの導書グリモワールにらみつけると、口を開いた。


「そんなところにいてどうする。ユースケを殺しに来たんだろうが。死にぞこないだが、そこから殺せるほど甘くはねえぞ」

『――四英雄、コウガルゥか。まさか貴様が現れるとはな』

「俺のことなんかどうだっていいんだよ。アドバイスしてやってるんだぜ、ユースケを殺したいなら、下に降りてこい」


 千里は自分を置いて進む会話に、目を白黒させた。


(な、何を言っているのこの人は! 味方、味方なんだよね⁉)


 文句を言ってやろうかとした時、勇輔の身体が動いた。


「『まったく、相変わらずだなあいつも』」


 その全身は、もう傷ついていない場所を探す方が難しいだろう。


「『ありがとう四辻、十分休めたよ』」


 そんなはずがない。


 千里は支えていただけで、何もできはしなかったのだ。


 だというのに勇輔は千里に礼を言い、剣を引き抜いて身体を起こす。


 翡翠の魔力が渦を巻き、朱のマントこそ消えたままだが、白銀シロガネの鎧に輝きが戻った。


「『コウ、どいていろ。用があるのは俺のようだ』」

「そうか。安心していいぞ、お前が死んだ後に俺が全員殺す」

「『お前の敵など残るものか』」


 勇輔は空を睨みつけた。翡翠ひすいの魔力がコウガルゥの魔力を押しのけ、彼もまたそれに対抗して魔力をぶつけてくる。


 もはや誰と戦っているのかも分からない状態で、二人の戦意だけが高まっているのが分かった。


 本気で、導書グリモワールをここで相手にするつもりだ。


 これが勇者パーティーなのだ。魔王を倒し、世界を救ったという伝説の魔術師たち。


 到底、千里の物差ものさしではかれるようなものではない。


 グンッ! とコウガルゥは長物を構え、勇輔も剣を空に向けた。


 ミシミシと部屋を内側から吹き飛ばさんという圧力が二人から発せられる。


「『来い』」

「来いよ」 


 無茶苦茶だ。


 固唾かたずを飲んで見守る千里の前で、二人の魔力は明確な形を持ち始める。


 あと一押しで魔術は発動し、この場で全面戦争が始まる。


 恐れるべきは、その引き金に指をかけているのが、勇輔とコウガルゥの二人ということだ。


 数秒の沈黙。


 返答は、空を覆う魔力によってなされた。


 大規模な魔術が真下の千里たちに向かって行使される。


「『っ‼』」

「かはははは‼」


 それに合わせ、二人が動いたのが見えた。


 千里が目を開いていられたのは、そこまでだった。


 轟ッ‼‼ と凄まじい衝撃と爆音が響き渡り、視界の全てが白く染まった。


 混迷した頭が正常な思考を取り戻すために、数秒を要した。


「何が‥‥」

「ちっ、逃げやがったな」

「わっ‼」


 思わず後ずさろうとし、背中が硬いものにぶつかった。振り返ると、すぐ近くに銀の鎧があった。 


 どうやら勇輔が千里を衝撃から守ろうとしてくれたらしい。


 そして、それは目の前に立つコウガルゥも同じだった。


 彼がいたから、千里はこの程度で済んでいたのだろう。


「ったく、折角助けに来てやったのに失礼な女だな」

「ご、ごめんなさい。ありがとう」

「どういたしまして」


 千里はそこであることに気付いた。


「あ、シキンが――」


 倒れていたはずのシキンがいなくなっている。先ほどのコウガルゥの言葉も合わせれば、何が起こったのかは容易に想像ができた。


「そんな、ようやく倒したのに‥‥」


 導書グリモワールに、シキンを回収されてしまった。ここまで戦ってきた結果が音を立てて崩れていくようで、千里は目の前が暗くなる。


 そんな千里に、コウガルゥが腕を組んで言った。


「勝ったんだろうが、情けない面するなよ」

「でも、結局何も残らなかった」


 そう言うと、コウガルゥはため息を吐いた。


「馬鹿かお前は。あいつらは尻尾巻いて逃げ出したんだよ。勝利の事実はより決定的なものになった。それはな、戦いにおいて最も重要な要素だ。奴ら今頃慌てふためいているだろうよ、ユースケには勝てないってことが明白になったんだからな」


「そ、そうかな」


「何より、あの傷じゃいくら治癒魔術を使ったところで当分は動けねえし、戦線復帰できるかは怪しいところだ」


 コウガルゥの言葉に、千里はようやく安堵の息を吐いた。


 自分たちがしたことは無駄ではなかったと、実感することができたのだ。


「それより、すぐに出るぞ」


 金色の目は、これまでの狂気に満ちた輝きが嘘であったかのように、理性的で、真剣だった。


「早く戻らないと、本気で死ぬぞ、そいつ」

「え、あ、ああ‼」


 すぐ近くにいた勇輔。危機が去って安心していたが、勇輔が瀕死の状態なのには変わらない。


「勇輔‼ 勇輔大丈夫⁉」


 声を掛けるが、返答はない。鎧は石像のようにピクリとも動かなくなっていた。


 嫌な予感が背骨を氷らせる。


 そこに冷静な声が聞こえてきた。


「安心しろ、まだ死んでない。今は自分の生命維持に全力を使ってるだけだ。魔術が解けない限りは死なないだろ」

「それじゃ、魔術が解けたら」

「死ぬな」

「やばいよ! 僕の魔術でも街までは二時間以上かかるんだよ!」


 千里の悲痛な声を聞きながら、コウガルゥは勇輔に歩み寄ると、その身体を肩に担ぎ上げた。


 そして言う。


「方向と距離だけ教えろ。俺なら五分で着く」

「そ、そんな無茶な」

「死なせたくないんだろ、さっさとしろ」


 コウガルゥが何をしようとしているのかはさっぱり分からなかった。しかし、現状頼れる人は彼しかいない。


 千里はスマホで地図を開いてコウガルゥに見せる。


「方向は向こうで、距離はこれくらい。もう結界の魔術は機能していないだろうから、どこからでも出られるとは思うけど‥‥」

「それだけ分かれば十分だ」


 コウガルゥはそれだけを言うと、おもむろに千里の腰に手を回してきた。


「ひゃっ、何するのさ!」

「捕まってろ、振り落とされたら死ぬぞ」


 何を言って――。


 千里の言葉は、声になることはなかった。


 気付いた瞬間、星空の中にいた。


「へ?」


 眼下に、先ほどまでいたはずの煌夜城が見えた。


 千里たちは、空に浮かんでいた。見渡す限りに、満天の星が周囲を取り囲んでいた。


「行くぞ」


 何が起こったのか、千里はその時初めて理解した。


 耳元で鳴る轟音と共に、景色が原形を無くして後ろに吹き飛んでいく。 


 勇輔と千里の二人を抱えたコウガルゥが、跳んだのだ。一度目は床を、そして二度目は空気を足場に。


 そして思い出す。


『俺なら五分で着く』


 その言葉がどういう意味だったのかを理解するのに、さほど時間はかからなかった。


 夜を切り裂く流れ星となった三人は、リーシャたちの待つ東京へと、一直線に駆けた。

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