第383話 ユリアス・ローデストの真実

「女神様も、魔神も、初めは存在しなかった‥‥ってことか?」


 そんなことあり得るのか?


 俺は地球の生まれだが、女神様の存在について疑ったことはなかった。何せ剣と魔術の発達した世界だ。


 神様がいたって不思議じゃない。むしろ、いた方が納得できる。


 そもそも俺を地球から呼んだのは女神様なんだ。


 ユリアスが机の上に指を滑らせると、中心に二つの円形に並んだカードたちが現れた。


 カードには全て、何人もの人々が描かれていた。ステンドグラスのようにデフォルメされた絵だが、カードによってディテールが異なる。


 これは、人族と魔族の絵だ。


 それぞれ人族と魔族のカードが、円を作っている。


「力を持つ人々の深層意識は、ある時を境に、巨大な術式をつむぎ始める」 


 ユリアスの言葉に合わせて、カードたちが光を発し、幾何学模様をつなぎ始めた。


 それは瞬く間に、二つの円の中に魔法陣を描いた。金と、赤の魔法陣だ。


「具体性はなかった。本来なら何の意味も持たず、雲散霧消うんさんむしょうするだけだったはずの落書き。しかしその中心に鮮烈な光の柱が立った時、無意識は理想へと昇華する」


 魔法陣の中心に光の柱が生まれ、それは魔法陣の輝きを飲み込んで一枚のカードになった。


 二つの魔法陣の上に浮かぶのは、女神と魔神のカード。


 馬鹿な。


 バイズ・オーネットが率いた竜爪騎士団ドラグアーツが複合魔術を発動できたのは、個々と組織それぞれの練度が高かったからだ。


 有象無象の意識がたった一つの高度な魔術を作り出すなんてことは、あまりに無茶苦茶な話――。


 そこまで考えて、一つの事実に思い至った。


 つい最近、その不合理がまかり通った事実を聞いた覚えがあった。


 二つの魔法陣は更に複雑な幾何学模様を描き、二つだったはずのものは一つの巨大な円となった。そして、女神と魔神のすぐ近くに、新たなカードを生み出した。


 描かれるのは、鎧と、ローブの意匠いしょう


「『選定の勇者ブレイブフェイス』‥‥」


 人族の持つ勇者への希望が作り上げた、超常の魔術。対象に魔族を滅する力を与え、勇者とするその力は、俺が最もよく知るものだった。


選定の勇者ブレイブフェイスと、君たちは呼んでいるのだね。勇者と魔王の力は神魔大戦の副産物だ。それでも、人々の集合意識が魔術となるのは、よく分かっただろう」


「‥‥そうだとしても、証明はできない」


 神に直接会い、問いただしたわけでもないんだろう。


 だったらこの話は憶測の域を出ない。


 ふむ、とユリアスは少し考える素振そぶりを見せた。


「それは君の言う通りだ。この話に確証なんてものはないし、きっと証明できる者は誰もいない」


「だったら、神が創られた存在かどうかなんて分からないだろ」


「だから私もアステリスに居る間は、気付かなかった。疑念は結局のところ、不確かな推測の域を出なかったんだ。しかし私は、この地球である人々に出会ったことで、神が創られた存在だと確信を得た」


「‥‥地球の人々だと?」


 どうして地球の人間とアステリスの神に関係があるんだよ。


 そこまで考えて、俺はあることに気付いた。


 地球とアステリスに関係のある人物たち。それに心当たりがあった。


 ユリアスは紅茶を一口飲み、俺の気付きを肯定するように頷いた。


「神は無から生まれたのではなく、原型モデルが存在しているんだ。魔族には初回以降・・・・の神魔大戦の記録が存在し、その時既に神の存在が確認できる。しかし、それよりも前の神の記録は一切ない。恐らく女神聖教会も同様だろう。何故なら、その原型モデルとなる人間が、生きて、戦いに参加していたからだ」


 ‥‥嘘だ。


 違う。嘘だと思いたいんだ。


「君も見たはずだ。鍵の呪いを解く時と、そしてこの場に来る時に」


 当たり前のように、ユリアスは俺の動向をどうこうんでいた。


 しかし今はそんなことよりも頭の中で混乱が渦巻いていた。


 地球で生きていた、女神様と魔神の原型モデル


 俺の見た記憶の中で、それに該当する人間は二人だけだ。あの時頭をよぎった考えが、鮮明に浮かんでくる。


 だとしたらそんなのは、あまりにも残酷すぎる。


 ベランダで語り合っていたあの二人が、長き未来に渡って、殺し合いを続ける運命にあるなんて、あんまりだろ。


 ユリアスが淡々と、ある事実を伝えた。




「女神の原型となったのは、聖女リィラ。そして魔神の原型は、魔将グレン・ローデスト。二人とも元々は地球の魔術師だ」




『どんな場所でもいいさ。少なくとも、この世界よりは生きやすい』


 グレン・ローデストが言っていた言葉。


 あの時違和感を覚えたんだ。グレンもアイリスも、世界という言葉を使った。


 街でも国でもない。


 リィラの魔術が完成すれば、新しい世界に行くことができると言っていたんだ。


 つまりあの時、アイリスを置いてグレンやリィラが旅立ったのは、地球とは別の世界、アステリスだったんだ。


 そしてどういう経緯いきさつがあったのか、二人はたもとを分かち、巨大な戦争へと発展した。


 二人はいずれ神聖化されるようになり、人々の意識が彼らを原型モデルとした女神と魔神を生み出した。


 ユリアスの話を整理すると、こういう流れなんだろう。


「‥‥」


 待て。


 なんだ、何かがおかしい。


 なぜあの二人が戦うことになったのかも気になるが、それよりも気になることがある。


 ユリアスの言葉だ。


「――お前、この地球で誰に出会った?」


 リィラやグレン・ローデストを知る者がこの地球上に存在するのだろうか。二人が生きていた時代は、俺の見た映像から考えても、遥か古代。


 しかも二人は別の世界に旅立ってしまったのだ。そこから現代にいたるまで、一体誰が消えた二人の記憶を残し続けたというのだろう。


 何よりも疑問なのは、俺がこの部屋に来る前に見た映像。


 聖女リィラは、恐らくリーシャたち『鍵』の少女たちと、何らかの血縁関係があると予想できる。だからベルティナさんの魂に潜った時、リィラの記憶を見ることができた。


 しかしこの空間にリーシャたちはいない。


 何よりも、あの映像には、リィラがいなかった・・・・・・・


 聖女の記憶ではないのだ、あれは。


 では一体誰の記憶だったのか。


 あの映像を俺に見せたのは、一体誰なのか。


「なあユリアス。お前は一体、いつ、誰と出会ったんだ」


「‥‥」


 ユリアスは答えることなく、立ち上がった。


 そして壁際まで歩くと、指を軽く振った。


 壁には大きな窓が生まれ、その向こうにはあの時見た古代の街並みが再現されていた。


 魔術とは思えない自然な光がユリアスの髪を照らす。


 虹に輝くはずのそれは、艶やかな黒に光の輪を浮かべていた。黄金のバランスで構成されていたたくましい肉体も、人形のように華奢なものに変わっていた。


 鈴を転がすような声が聞こえた。


「私が会ったのは、聖女リィラと、魔将グレン・ローデスト本人たちだよ」


 ユリアスがこちらを振り向いた。


 もはやそこにユリアスだったころの面影はない。黒曜石のような大きな目が、俺を見ていた。


 そこにだけ、彼女がユリアスであることを証明するように、老齢な深い光を宿していた。


 どんな言葉よりも饒舌じょうせつに、その姿は俺に真実を語り掛けていた。


 ――そういう、ことか。


「空間の壁を越え、世界を渡るのは本来あり得ないことだ。私が魂だけの存在となり、イレギュラーによって世界を移動した時、信じられないことが起きた」


 今まさに、同じ気持ちだ。


 ユリアスの身に起きた奇跡を、俺は目撃しているのだ。


「目を覚ました時、私はユリアス・ローデストではなくアイリスという少女になっていた。紀元前四〇〇〇年ごろのことだよ。人が知恵と知識によって文明を築き、自己の探求が可能となった時代。つまり、魔術が生まれた時代だ」


 その言葉は昨日見た夢を聞いているような、非現実感に満ちていた。


 けれど、それは本当のことなのだろう。


 ユリアスは嘘を吐かない。その必要がないから。


 そして何より、俺はその事象を既に一度聞いている。


『まるでお主は噂に伝え聞く勇者のような男だな』


 夏休みに鬼と戦った時、俺を導いてくれた刀。その正体は、世嘉良孝臣せがらたかおみというアステリスの人族だった。


 白銀シロガネという俺が勇者をしていた時代に生まれ、その後何百年も前の室町時代に転移した男だ。


 イレギュラーな異世界転移は、時間を逆行する。


 ユリアスもまた、同様に過去の世界に飛ばされたのだ。


「じゃあ、お前は‥‥」


 俺の脳裏に、アイリスとグレンの一幕が映った。


『分かっています。私たちの故郷だからこそ、誰かがここで待たなければいけないでしょう。いずれ、戻ってきたいと思った時に、私がここにいます』


 あの別れから何千年、ずっと、この世界で――。


 アイリスとユリアスの姿が、重なる。姿が変わろうと、あの時と何ら変わらない声色で、彼は言った。




「改めて、久しぶりだねユースケ。君とこうして話ができるのを、ずっと楽しみにしていたんだ」




 俺は、言葉を返すことができなかった。

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