第337話 あなたに伝えたかったこと

      ◇   ◇   ◇




 暗闇を抜けてこの世界に降り立った時、エリスは言葉を失った。


 見たこともない建物が整然と並び、人々が行き交う道は小道に至るまで美しく整備されている。


 竜にかれているわけでもない車が凄まじい速度で走り、当たり前のように絵が声を発して動く。


 何よりも驚いたのは、それら全てに魔力の気配を感じないことだ。


 おとぎ話の世界に入り込んだようで、頭が混乱する。


 しかし同時にエリスは、胸が張り裂けんばかりに心臓が鼓動こどうしているのを感じた。


 何故なら目の前の光景は、全て勇輔に聞いたそのままの世界だったからだ。


 魔力のない、科学によって発達した文明。


 市民が当然にそれらを享受きょうじゅし、使う世界。


 つまりこの世界は、山本勇輔の生きた世界だ。彼が自分の知らない時を過ごした場所。


 ならばどこかに、勇輔がいるはず。


 そこまで考え、エリスは固まった。


 会って、どうしようというのか。自分がここに呼ばれたのは、神魔大戦のためだ。


 エリスは首を横に振る。


 目的を違えてはならない。自分はセントライズ王国の王族として責務を果たすために呼ばれたのだ。


 そう、だから、違う。


「‥‥」


 ――嘘だ。


 そんなことはない。


 会いたい。


 勇輔に会いたい。


 言葉を交わせなくてもいい。怒りを向けられ、罵倒ばとうされてもいい。


 勇輔の顔が一目でも見られるのなら、一言でも声が聞けるなら、それにまさる幸せはない。


 そう心の底から思っているのに、――怖い。


 彼に拒絶されることが、自分のつけた傷と向き合うことが、どうしようもなく怖いのだ。


 なんて身勝手で、ままな女だろうか。


 そこから逃げ出すために、戦いに理由を見出みいだそうとしている。


 長い時間は、ここまで自分を臆病にした。


「っ――」


 それでもエリスは前を向いた。


 勇者の呪いから逃すためであったとしても、エリスは勇輔から受けた恩に対してあだで返した。その罪に対して、罰を負わなければならない。


 エリスにはその義務がある。


 その上で、戦いに身を投じよう。


 大丈夫だ。彼にもう一度会うことができたのなら、それだけで戦うことができる。なんの心残りもなく、この命を使える。


 とにもかくにも、エリスはこの世界のことをほとんど知らない状態だ。女神による加護か、道行く人々の言葉は問題なく聞き取れるが、それ以外は何もないのだ。


 そう思っていた時だった。


 尋常じんじょうならざる魔力の気配を感じた。


 ここではない遠い場所で、誰かが沁霊術式を発動した。それが榊の『私たちの物語フェアリーゲーム』であることなど知らず、エリスはそこに向かって走り出した。



 

 内側に初めからいた勇輔たちは知る由もないが、『|私たちの物語《フェアリーゲーム』が発動している間、その領域には物理的に誰も侵入することができなくなっていた。


 壁があるわけではなく、中に入れないのだ。


 真っ直ぐ進んでいたはずなのに、いつの間にか元の場所に戻っている。


 更に中の人々とは一切の連絡が取れない状態であったため、外部は外部で大変な騒ぎとなっていた。


 何しろ主要な行政機関や企業。その上スカイツリーや東京タワーといった電波塔も領域の内側にあったのだ。


 メディアは正常に機能せず、公的機関が調査しようにも命令系統は混乱。その上一般人ではそこに辿り着くこともできない。


 そんな人々を見ながら、エリスは領域の境界に到着すると、ゆっくりとそれに触れた。


 そして術式の概要がいようを見切ると、自らの魔力を込めながら、滑り込む。


 エリスをして舌を巻くほど複雑な魔術だが、入れないわけではない。


 彼女はゆっくりと『|私たちの物語《フェアリーゲーム』へと入り、そして言葉を失った。


「これは‥‥」


 ただ一歩踏み込んだだけで、世界は顔を変えた。


 地獄である。


 見渡す限り真っ赤な炎と黒煙に包まれた街並み。


 本来ならば大きく栄えていたはずの都市は、破壊と暴虐ぼうぎゃくの嵐に半壊していた。


 思い出すのは、数年前まで何度も見てきた光景だ。


 戦争による侵略に、それはよく似ていた。


 かすかだが人の気配がする。魔物が炎を縫うように闊歩かっぽしている。


 だが何よりも存在感を放つのは、空に浮かぶ巨大な人型ひとがた


「まさか、神だとでもいうの‥‥?」


 おそらくこちらの世界の神か、それに比肩ひけんするもの。超常の存在が上空からこちらを見下ろしている。


 あれほどの存在がいれば、今の状況も理解できる。


 あれは、人が挑むべき存在ではない。


 しかしくわしい状況が分からない。何が敵で、何を目的としてこの状態を作り上げたのか。そもそもこれは神魔大戦なのか。


 エリスは賢者けんじゃであるが故に、まずは情報を集めることを優先しようとした。人命を最優先に、その上で状況を整理する。


 そう判断し、走り出そうとした時だった。


「――」


 彼女の視線がある一点で止まった。


 そこには炎の壁が立ちはだかるだけだった。


 しかしエリスにはそれが見えていた。炎のはるか先で、たった一人、この絶望にあらがおうとする者が。


 彼は神を見据みすえ、剣をにぎる。


「ぁあ――――」


 思い違いだ。


 そんなはずがない。


 そんな都合の良い現実があるはずがない。


 そう自分に言い聞かせる。


 彼を傷つけ、罪を背負った自分にそんなものが待っているはずがない。


 だというのに、この最悪の渦中かちゅうで折れずに立ち上がる人が、エリスには一人しか浮かばなかった。


 そして聞こえるはずのない声が、確かに聞こえた。




「『行ってくるよ、エリス』」




 その言葉を聞いた瞬間、エリスは自分のすべきことを理解した。 


 頭ではなく、魂がこたえた。


 細剣レイピアをドレスの影から引き抜き、眼前に構える。


「沁霊術式――解放」


 一切迷うことなく、エリスはこの魔術を選ぶ。


 本気で発動するのは数年ぶりだ。


 神魔大戦が終わった後、彼女の魔術は宝石箱の中に大切にしまわれ、誰からもその存在を忘れられていた。


 び付き、おとろえるには十分すぎる時間だ。


 しかしエリスには何の不安もありはしなかった。


 あの時と同じ、あるいはそれ以上の力をもって使えると、確信があった。


「『願い届くエバーラスティング王庭・ガーデン』」


 白い光が炎を塗り替えた。


 彼は神に挑むだろう。


 では自分がすべきことは何か。それは彼にとってうれいとなる全てを排除することだ。

地上の人々を守り、魔物を殲滅せんめつする。


 行きなさい。


 あなたが進むべき道は、私が作る。


 エリスはレイピアを振るい、守護の森と罰のいばらをもって、それをした。


 遠くにいる彼が、すぐ近くにいるように感じる。


 自分の言葉が、彼に届くと、愚かな勘違いをしてしまう。


 馬鹿な妄想だったとしても、それでも言わずにはいられなかった。


 これはのろいだ。


 自分が一番初めに彼に掛けた呪い。


 それに苦しみ、あがき、傷つき、傷つけた。


 だというのに、エリスはそれを言わずにはいられなかった。


 この領域に入った時に見えた彼の姿は。


 エリス・フィルン・セントライズが憧れ、追いかけ続けた、理想そのものだった。


「信じてるわユースケ。──私の勇者」


 勇輔が魔力をまとい、星のように輝いた。




「『ああ。必ず勝つよ、エリス』」




 彼のために道を編む。


 神にさえ届く道を。


 その役目は他の誰でもない、自分のものだ。


 勇輔が流星となって空にのぼった。


 まさしくそれは人々の希望と期待を背負った、一等星だった。


 それを見た時から、エリスには勝負の行く先が見えた。


 何故なら彼は、常にその期待に応え続けてきたのだから。




     ◇   ◇   ◇




 勇輔が神を魔術ごと斬った時、領域は終わりを迎えた。


 炎は完全に消え去り、周囲を覆っていた魔力の壁は崩壊ほうかいを始める。


 この沁霊術式がどういったものだったのか完全には分からなかったが、人々の命がおびやかされ、勇輔が戦っていた以上、敵によるものだったのだろう。


 エリスはできるだけの手は打った。


 その上で、彼女は走っていた。


 ボロボロのドレスを跳ね上げ、用をなさなくなったヒールを脱ぎ捨てて、灼熱しゃくねつの地面を走る。


 呼吸はとうに忘れ、暴れる心臓に突き動かされるように、前に進む。


 速く。


 もっと速く。


 そうして、彼女はそこに立った。


 一面に広がるのは、破壊に似つかわしくない花畑だった。


 それはエリスが彼の着地するであろう場所に、クッションとして用意したものだった。


 花畑の中心に、一人の青年が座っていた。


 すでに鎧も剣もなく、全ての力を使って、何とか起き上がったという様子だった。


 何度も見てきた顔だ。


 自分が知るそれよりも成長し、より精悍せいかんになってはいるけれど、そこには間違いなくあの時の面影おもかげが残っていた。


 目と目が合う。


 視線が結ばれる。


「  」


 声が出ない。


 伝えたい言葉があった。


 謝らなければならないことがあった。


 あなたに会ったら、やりたいと思っていたことが、一冊の本に収まらないほどあった。


 けれど何もかもが風に運ばれる綿毛わたげのようにどこかに飛んで行って、後にはエリス・フィルン・セントライズという不器用ぶきようで、可愛げのない女が一人残された。


 ありとあらゆるしがらみと、理屈りくつを脱ぎ去った時、エリスに残されていた思いは一つだけだった。


「―――――」


 視界がゆがみ、ボロボロと大きな涙がほおを流れて落ちていくのが分かった。


 知らず知らずの内に、彼女はひざを着いていた。


 花びらが舞い、ドレスのすそに落ちる。 


 エリスは流れる涙をぬぐおうともせず、彼だけを見つめていた。



 

 ユースケ。




 ユースケ。




 私は。




 エリス・フィルン・セントライズは。




 あなたを、愛しています。

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