第13話 ブランクを甘く見てはいけない
風を切り、人が視認することさえ難しい速度で俺は走る。
屋根や電柱を壊さないように気を付けながら、翡翠の残光を引いて魔力の気配へと疾駆する。
そして、それは見えた。
どうやら人払いの結界を張っているらしく、ある境界線から人の気配が無くなる。
その中心で夜を明るく照らすのは、光のヴェールのようなものだった。どこまでも優しく、母が子を護るような温かさと強さに満ちた光。
そこに見える人影に、俺は鎧の下で首を傾げた。
あれは、リーシャと、誰だ? あの炎の大鬼は敵で間違いない。
ヴェールの魔術を行使しているのは恐らくリーシャだろう。俺の知る聖女の魔術に近しいものを感じる。
相対する炎の大鬼は、十中八九魔族が発動した魔術。それ以外にリーシャを襲う相手がいないし、そもそもあの威力の魔術を使える人間がポンポンいるとは思えない。魔術を使っている魔族本人が見えないのが気がかりだが、それよりもリーシャと一緒にいる女性は誰なんだろう。
スーツを着ているし、感じる魔力的にも、多分地球の人間だとは思う。人払いの結界もアステリスとは形式が違うし、もしかして地球にも魔術師っていたのか。
いてもおかしくないとは思ってたけど、まさか本当にいたとは。
そんなことを考えていたら、炎の大鬼がリーシャの光のヴェールを打ち砕いた。
あ、マズイ。
俺は足に力を籠め、空中を蹴り抜いて一気にリーシャの前に割り込むと、剣を一閃する。
大鬼の身体ごと切り裂くつもりで振った一撃は、しかし周囲で燻っていた炎を蹴散らすに留まった。
炎の中にぽっかりと空いた虚ろな
多分あっちは索敵用、こっちは純粋な戦闘用の魔術だ。
というか、俺が
意識も技も力も、全てが錆びついてイメージするものと実際の動きが
三年近いブランクは、想像以上に重い。
そんな当然の結果を思い知っているそこへ、小さな声が聞こえてきた。
「な‥‥どう‥‥して‥‥」
振り返れば、そこには魔力を切らして息も絶え絶えなリーシャと、彼女を抱いて庇う女性がいる。
本当、あれだけ無理だって言ってたのに、どの面下げてここに来たんだとは自分でも思うけれど。
ついでに、その女性とは一体どういう関係なのかとか。話したいことは山ほどある。
ただ、そういった諸々は全部後にしよう。
今は先に片付けることがある。
俺は背後の大鬼を振り返った。
凄まじい
火の魔術は威力を高めれば高めた分だけ、制御の難易度が一気に跳ね上がる。それを人型に維持し続けた状態で遠方から自立行動をさせるというのは、魔術に長けた魔族でも出来る者は一握りのはずだ。
地球に帰還してから久しく感じていなかった、強者の片鱗がうかがい知れる。
「ォォォオオオオオオオオ!」
大鬼が咆哮し、拳を振り上げた。
爆発するように拳から火炎が吹き出し、一直線に迫ってくる。
未だにどれくらいの力を使えばいいのか、上手く感覚が掴めないし、とりあえず久々に本気で魔力を鎧に流し、左腕で迎え撃とうと腕を振り上げた。
パンッ! と大鬼の拳が弾かれ、その勢いのままに燃える巨体が後退した。
‥‥お?
ちゃんと迎撃するつもりが、力を籠め過ぎたせいで腕を振り上げた際に翻ったマントが拳を打ち払ってしまった。
これだから、本当にブランクってやつは怖い。
ちょっとした攻撃が、この街中では多大な被害を生む可能性を秘めている。
俺は鎧に流れる魔力を意識してコントロールしつつ、一歩を踏み出した。
それだけでアスファルトに亀裂が入り、周囲の大気が唸る。
――ォォオオオオオォオォオオオオオ!!
炎の大鬼が再び咆哮し、飛びかかってきた。
身体は先ほどよりも勢いよく燃え盛り、それらを緻密な操作によって収縮された拳は、見ることさえ難しほどに白熱して輝く。
地表を抉る流星と同等の威力をもって、大鬼の剛腕が迫る。
それに対し、俺は構えも取らず、脱力した状態で臨んだ。そして剣先が大鬼の脇下に届く間合いに入った瞬間、一息に剣を跳ね上げる。
斬。
その衝撃が周囲へと撒き散らされるよりも早く、剣を返す。天へと向けられてた切っ先を、大地へと一直線に振り下ろす。
鎧の隙間から翡翠の光が漏れ、
爆発しようとしていた火も、大鬼そのものさえも翡翠の閃光に引きずり込まれ、無情の剣撃に斬り伏せられる。
後に残ったのは、静けさに包まれた夜の街並みと、俺たち三人だけだ。
背後を振り返ると、さっきはリーシャを庇って背を向けた女性がこちらを見上げて、パクパク口を開け閉めしていた。
なんだろう、炎のせいで酸素が足りてないのかな。いや、流石に女性相手に金魚と似たような扱いはないか。というか普通に美人さんだけど、服の至る所が燃え落ち、右腕は酷い火傷を負っていて痛々しい。
そして、リーシャである。
リーシャはまだ魔力切れの状態で、意識を保つのだって辛いはずなのに、真剣な目で俺を見つめていた。魔力とはいわば生命の源流と世界に満ちる力とが混ざって生まれる精神力だ。それがなくなれば、著しく身体能力は低下し、意識は朦朧とする。単純な疲労とは全く別次元のものだ。
にも関わらず、その状態で立つことも出来ないというのに、背筋を伸ばし、凛とこちらを見上げるリーシャの姿は流石聖女と称賛したくなる。
さて、魔術を発動している状態の俺は訳あって喋ることが出来ない。
かといって見知らぬ人がいる状態で鎧を解除するつもりはないし、こうなったら出来ることは一つだけだな。
「‥‥」
「なっ、この子をどうするつもり!」
俺が無言でリーシャに近づくと、女性が慌てたように言って果敢にもリーシャを守ろうと立ち上がった。
いや、貴方も相当な重傷だろうに。俺みたいにウジウジ悩まないその心意気は尊敬するが、いくらなんでも無茶だ。
俺は出来うる限り優しく女性の肩に手を置くと、そっと女性を座らせた。肩に手を置いた瞬間、ビクリと震えられて少し傷ついたのは内緒である。
「あっ」
そして、俺はそのままリーシャの身体を横抱きに抱き上げた。リーシャの驚いたような声が、妙に艶めかしい。本当に未成年か、こいつは。
何の抵抗も出来ずに座らされた女性が、呆然と俺とリーシャを見上げている。
「あ‥‥あなたは‥‥」
「‥‥」
俺は女性の言葉に何も答えず、ただ目礼をするに留めた。どんな状況だったかまでは分からないが、この人が本気でリーシャを守ろうとしていたことは分かる。いずれちゃんと礼を言える機会があればいいが。
そのまま、俺はリーシャを抱えたままその場で跳びあがった。数秒とかからず人払いの結界を抜け、月明かりに照らされないように影を跳ぶ。
初夏の夜空を駆けながら、この後どうしようかなと考えている間に、ポカポカとリーシャに胸を叩かれた。
なんだと思いリーシャの顔を見下ろすと、彼女は懸命に口を動かしていた。
「あ、あの、買ってもらった洋服が! む、向うに置いてきたままで!」
「‥‥」
俺はなんとも言えない気持ちになりながら、女性に見つからないように、リーシャの置いていた服を回収しに戻るのだった。
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