第14話 二十歳になったからって、大人になれるわけじゃない

 朝起きたら、俺のベッドに金髪の少女が寝ていた。なお、事後ではない。犯罪に問われるかは微妙なところだが。


「‥‥ふぁぁあ」


 俺は欠伸を漏らしつつ、なるべく自分のベッドの方を見ないようにしながら、カーテンを開けた。


 勿論昨晩は同衾どうきんもしていない。適当にリーシャをベッドの上に放り出して、俺は適当に床で寝た。


 そのせいで身体の各所が固まっていて痛む。昔は地面に直に野宿だって当たり前だったのに、柔になったもんだ。


 客人用の布団も一セット位用意しておいた方がいいかもしれんな。


「ん‥‥んぅ‥‥」


 艶めいた声が聞こえ、振り返ればリーシャがむくりと身体を起こすところだった。


 その服装はいつもの修道服から俺の持っているシャツと短パンに着替えられており、メリハリのあるプロポーションが大きく伸びをしたことで強調される。


「‥‥」


 こいつ、どうして行動が一々エロイのかね。清貧と純潔の象徴たる聖女がそれでいいんかい。


 まあ勇者として様々な経験をしてきた大人の男である俺には、なんの動揺ももたらさないが。


「あ、おはようございますユースケさん」


「ああ、おはようリーシャ」


 俺に気付いたリーシャが挨拶をしてきて、そのまま不思議そうに首を傾げた。


「? あの、お腹でも痛いのでしょうか?」


「いや、そんなことはないぞ」 


「ですが、そんなに腰を折っていますし」


「これは朝日に感謝する敬礼の儀だからな。気にするな」


 うん、気にするな。ところで君は早いところ着替えた方がいいんじゃないかな。俺の朝の儀式とはなんの関係もないけどね、うん。


 さて、今日も学校だし朝ごはんでも作るか。


 俺がキッチンに立って適当にスクランブルエッグという名のいり卵とトーストを作っている間に、ゴソゴソと衣擦れの音がする。


 元々一人暮らし用に借りている家なので、男女で生活するのは想定されていない。


 そのため着替えの音なんかも普通に聞こえてしまう。


 この後のことなんて何も考えてなかったけど、もしリーシャを家に置くなら、その辺も考えなきゃマズいよな‥‥。ずっと同じ部屋で寝るわけにもいかないし。


 そんなことを考えていたら、横からニョキっと金色の頭が生えてきた。昨日買った服に着替えたリーシャだ。


「あの、ユースケさん」


「うおっ、どうしたリーシャ」


「なにかお手伝いをしようかと思いまして」


「お手伝いって、リーシャは料理とかしたことあるのか?」


「‥‥昔お手伝いしようとしたのですが、私は厨房に立たせてもらえませんでした」


「そうでしょうね」


 いくらシスターとはいえ、聖女様にそんな雑事をさせるわけがない。


「じゃあ、悪いけど冷蔵庫からバターとジャムを出しておいてくれ」


「はい、分かりました」


 ウキウキとした笑顔で冷蔵庫を覗くリーシャ。


 昨日の魔力切れの影響がどれくらい出ているか不安だったけど、見た所元気そうだ。


 出来上がった簡単な朝食をテーブルに並べると、俺の対面にリーシャが笑顔で座った。


「じゃあ、食べるか」


「はい!」


 食前の祈りをしているリーシャを見ながら、俺は「いただきます」と呟いてトーストにバターを塗る。


 それから暫くの間は二人で黙々と朝食を食べた。


「‥‥あの、ユースケさん」


 リーシャがそう口を開いたのは、食後のお茶を楽しんでいる時だった。


「なんだ?」


「どうして、昨日は助けてくれたのですか? 神魔大戦に関わるつもりはないと」


 聞いてくるのは、当然その話だよな。そりゃあれだけ全力で断ったのに、掌返してきたんだから不思議だろう。


 いっそ不審だ。


「まあ、なんだ。面倒なこと全部取っ払ったら、当たり前の結論に至ったというか。悩んでたのが馬鹿らしくなったというか。悪かったな、あんなに断ってたのに」


「いえ、謝らないでください! 私は、ユースケさんが来てくれただけで‥‥」


 リーシャは少し恥ずかしそうに顔を俯かせた。やだ、この子可愛い。普通の女の子がやっても可愛い仕草を聖女がやったら、そりゃ可愛さ限界突破だぜ。


 助けた切っ掛けが女子小学生というのは黙っておこう。


 俺は頭を掻いた。


「だから一応これからの計画についても相談しとこうかと思う」


「これからの計画ですか?」


「ああ。確認しておきたいんだが、リーシャの話を聞く限り、神魔大戦でのリーシャ側の勝利条件は半年間死なずに逃げ切ればいいんだよな」


「はい、それで間違いありません」


 成程。


「それなら話は簡単だ」


「簡単ですか!?」


「俺が半年間、リーシャに向かってくる魔族を倒せばいいわけだろ。しかもこっちに来る魔族は選ばれたやつだけなんだよな」


 俺も勇者最盛期に比べれば万全とは言えないが、それ位ならなんとかなる。


 もし魔族が軍勢で襲い掛かってくるとか、魔王が出張ってきたら厳しかったけど、魔王はもういないし。


「それなら、多分俺一人でもなんとかなると思う。後はリーシャを護衛してくれてた人見つければ、半年間くらいならいけるだろ」


「‥‥」


 リーシャが驚いたような顔でじっと俺の顔を見つめてくる。


 仮にも魔族の軍と魔王を相手に戦い続けてきた勇者だ。女の子一人を守るなんて朝飯前だぜ。


 しかし、リーシャはどこか浮かない顔で手元のお茶を見つめている。


 どうしたんだ。


「どうかしたのか、リーシャ。安心しろ、もう見捨てたりは」


「その、いいのでしょうか」


 俺の声を遮って言われた言葉に、一瞬フリーズする。


「‥‥どういう意味だ?」


 問いかけると、リーシャは感情を感じさせない瞳で俺を見た。


「ユースケさんには、ユースケさんの生活があります。私たちの戦いのために、それを邪魔してしまうようなことになってしまうのでは‥‥と。すいません、どの口が言ってるんでしょうね」


「リーシャ」


「私は、先日あなたを利用すると決めました。けれど、もしこの戦いでユースケさんに取り返しのつかないことがあったら、私程度では、責任を取れません」


 リーシャは無表情のままそう言い切った。


 違う、心中渦巻く色んな感情を押し殺して、それを作っているんだ。


 聖女は優しい。目の前の少女もまた、社会の中で当たり前に生きることさえ息苦しい程に、優しすぎる。


 俺が二つ返事で彼女に協力していれば、まだ幼いリーシャにこんな顔をさせずに済んだのかと思うと、情けなくて自分を殴りたくなった。


「リーシャ、これは俺が自分で決めたことだ。それで俺がもし死んだとしても、それは俺が自分で選んだ結果だ。気に病むなとは言わない。後悔するなとも。だから、俺が死ななくて済むように協力してくれ。君の力が必要だ」


「ユースケさん‥‥」


「大体、あの魔族を放っておけば、どちらせよ俺の周囲の人間がいきなり巻き込まれないとも限らないんだ。この辺りに魔族が現れたら、俺は結局戦うんだよ」


 そうだ、総司や松田、陽向に文芸部の面々。そして、月子。


 もし昨日の炎の巨人を作り出した魔族が、この近辺でいきなり魔術を発動すれば、人なんて簡単に死ぬ。


 そうなれば、きっと俺は何もしなかった自分を許せなくなるだろう。


 リーシャは、そんな俺の言葉に、笑った。


 帰る家を見つけたような、そんな安心したような笑顔。そして、その大きな瞳が潤み、透明な雫が頬を伝って零れ落ちていく。


 リーシャは涙をポロポロ流しながら、それでも笑って言った。


「ありがとうございます、ユースケさん」


「気にすんな」


 泣いている女の子にどんな声をかければいいかも分からず、俺はそっぽを向いた。徐々に、リーシャの嗚咽おえつは大きくなっていった。


 十六歳の女の子が見知らぬ土地で、頼れる人ともはぐれ、常に命を狙われ続ける。その恐怖と負担を、俺は多少なりとも分かる。


 もしもっと俺が大人だったら、彼女を抱きしめることも出来たんだろう。けど一度断った手前、そんな資格があるとも思えなかった。


 まだまだ大人のスタートラインに立ったばかりの俺は、ただ彼女が泣き止むまでの間、黙って座り続けていた。

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