第12話 誰にだってある哀しい過去はさておき、ロリコンではない
胸の中にモヤモヤした何かが居座っている。
リーシャと別れた俺は、しかめっ面のまま街を歩いていた。
このまま家に帰ろうかとも思ったが、なんだか家に居てもジッとしていられる気分ではなかったので、適当に街をうろつくことにしたのだ。
ただゲーセンに入ってみても喧しさに耐え切れず、本屋で本を見てみても内容がこれっぽっちも頭に入って来なかった。
原因は分かり切っている。
つい先程、完全に決別したリーシャだ。
最後に間近で見た彼女の最後の微笑みが、脳裏に焼き付いて離れないのだ。
なにか、俺は選択を間違えたんじゃないだろうか。そんな考えが、幾度となく浮かんでは弾けて消えた。
彼女を助けられる力があるのなら、それは助けるために使うべきだったんじゃないのか。
あいつはあと一年間、生き残れるんだろうか。
何をしていてもふとした瞬間にそんな考えが過ぎって、無性に走り出したくなる。
きっとアステリスにいた頃の俺なら、なんだかんだ言ってもリーシャに力を貸しただろう。
それを若さだと言うのは簡単だ。
今の俺とあの頃の俺の年齢なんて大して変わらないけれど、確かに変わったことはあるのだ。今と昔、そこに差が出来る理由なんていうのは一つだけで、経験しているかどうか、それだけだ。
だからあの頃の俺の行動を若さのせいにするのも、間違いじゃない。
俺は適当に見つけた自販機で缶コーヒーを買うと、近くの壁に寄りかかって飲み始めた。コーヒーの風味と缶臭さが混ざった、缶コーヒーらしい苦みが口の中に広がった。
アステリスに召喚されて、無理矢理戦いに駆り出された俺は、当たり前というべきかモチベーションなんてものはなかった。
魔王を倒せば地球に帰してくれるとは聞いていたものの、それが本当かどうかも分からず、大体戦いの中で死ぬ可能性の方が高い。
こちとら平和な日本に生まれ、殴り合いの喧嘩なんて小学生時代に卒業した身だ。いきなり命の奪い合いをしろなんて言われても無理に決まっている。
だが、結果的に俺は戦いに身を投じた。
身体を鍛え、魔術を学び、幾度となく死にそうな実戦を経験した。
それでも魔術を解けば勇者から一転、鼻つまみ者扱いされ、俺の正体を知っている者でも、イレギュラーな存在故に奇異と敬遠の目で見てくる。
名誉も栄光も存在しない。そこに常に存在したのは、
しかし、そんな中でも俺にとって本当の仲間だと思える人間が何人かいた。彼らは皆、真に人々の平穏を願い、侵略者たる魔族に立ち向かう正義の心を持った人間だった。
彼らがいたからこそ、俺は彼らの正義に乗っかるようにして戦い続けることが出来たのだ。
そうでなければ、なんの所縁もない世界の為に戦うなんて絶対にしなかっただろう。
そして、そんな彼らの中に、一人の少女がいた。燃えるような緋色の髪をした、苛烈なまでに正義感に燃え、熱さえ感じる程に優しい少女。
不器用で、一直線で、空回りもするけれど信頼出来る仲間だった。
同時に、俺にとっての初恋の相手。
状況に流されるままだった俺と違い、自分の中に芯を持って行動する彼女に、どうしようもなく俺は惹かれたのだ。
つまるところ俺が魔王と戦った理由の大部分が、惚れた女のためだったのである。これも若さだよ、若さ。そう思わないとやってられない。
ただ当時の俺はどうしようもなく単純な男で、好きだった彼女のためならどんな訓練も耐えられたし、痛みだって我慢出来た。恐怖に負けず戦場に立てた。
その時の俺は、本気で彼女が居るのなら地球にだって帰れなくていいと思っていたんだ。
だが、そんな盲目的な思いへの答えは、最悪の形で渡された。
それは、口の中のコーヒーよりもずっと苦い記憶。
――ねえ、ユースケ、聞いてくれる?
――魔王が死んだのはとても喜ばしいことよ。おかげで人族の繁栄は約束された。その点については感謝してるわ。‥‥だけど、そんな魔王を殺せるあなたは、人々にとって恐怖の対象になるの。
――だからお願い、お金でもなんでも欲しいものは用意するから、故郷に帰って。それに貴方が居ると、私の婚約者も不安がるわ。知ってるでしょ、ヴィスラード公爵家のジルク様よ。私には、これから国を支えるためにカリスマと人望を持った彼のような才人が必要なの。
――だから、もう、戦うことしか出来ないあなたは必要ないの。ねえ、分かるでしょ。この世界にとっても、私にとっても、邪魔なだけの存在なのよ。
それが、俺が女神に送還される日の前日に、彼女から告げられた真実だった。
魔王を倒し、国に
だが俺はこの言葉を告げられるまで、きっと何か理由があるんだろうと思っていた。
嫌な予感はしつつも、信じたかったのだ。
何年もの間、共に背中を預けて戦った仲間だったから。惚れた相手だったから。
しかし、俺にとっては好きな女性でも、彼女にとって俺は魔王を倒すためだけの道具だったのだ。道具は道具でも、とても大事な道具。
戦士が己の武器を大切に扱うように、彼女もまた俺を大事にし、信頼してくれていた。けれど平和が訪れてしまえば、それは生活の邪魔にしかならない。
つまるところただそれだけの話で、彼女を恨むのだって筋違いな話。
勝手に勘違いして、勝手に暴走して、勝手に俺は傷ついたんだ。
月子と付き合えるようになってからは、もうあの時の傷は癒えたと思っていたんだが、そんなことはなかった。ただ上っ面の幸せに溺れて見えなくなっていただけだ。
そう考えると、昔も今も単純で視野が狭いところは変わってないな。今も若いってことだ。
「‥‥」
缶コーヒーを飲み終わると、あたりは既に暗くなり始めていた。
リーシャと会ったせいで、嫌なことを思い出してしまった。
人は頑張ったからといって無条件に報われるわけじゃない。誰かを助けたからって必ず感謝されるわけじゃない。
だからきっと、これでよかったのだ。
明らかな面倒事には首を突っ込まず、ほどほどに頑張ってほどほどに生きていく。
そうすれば。
「そうすれば‥‥ね」
その後に続く言葉を、俺は飲み込んで空き缶をゴミ箱に放り込み、歩き始めた。
もう忘れよう。適当にコンビニで酒を買って、五本も空ければ否が応でも寝れるに違いない。
きっと若さとの決別というのは、なりふり構わず前に進むのではなく、何かに逃げられることを言うんだろう。
果たしてそれが成長と言えるかどうかは、俺にも分からないが。
やることを決めると自然と足は速くなる。
家に帰るまでの道のりを考え、その途中にあるコンビニを思い出す。
「‥‥」
だが、その途中で俺は足を止めた。
顔を隣に向ければ、そこには少し大きめな公園がある。
この辺にはあまり来ないので馴染みはないが、確か住宅街が近いので結構子どもたちが遊びにくるはずだ。
その公園から、すすり泣くような声が聞こえてきていた。
なんだ、子どもが遊ぶにしてはもう遅い時間だし、迷子かなんかか‥‥。
迷ったのは一瞬、俺は進路を変えると、公園に入って行った。
泣き声の主は、すぐに見つかった。
まだ小学校中学年あたりの女の子が、随分と汚れた姿でぐしぐし目元をこすりながら泣いていたのである。
これ、声かけても捕まらないよね? 異世界勇者も地球の国家権力には勝てない。
「‥‥おい、どうかしたのか?」
恐る恐る声をかけると、女の子が振り返った。汚れた腕でこすったせいか、顔も随分汚れていた。
女の子は暫く俺を見たまま泣き続けていたが、やがて小さく呟いた。
「‥‥バッグ、落としちゃった」
「バッグ?」
「うん、リリィの絵が描いてあるやつ」
そうか、それを探し回っていたからこんな汚れたのか。いじめとかを受けていたわけではなさそうなので、そこは一安心だ。
にしてもリリィの絵ねえ。最近見かけるようになったキャラクターだ。
「リリィってあれだろ、黒い猫のやつ」
「リリィは兎!」
「マジか、あれ兎だったのか‥‥」
耳が短いから、お兄さん猫だと思ってたよ。
「にしても、もう遅いから探すのは明日にした方がいいぞ。お母さんも心配してるだろ」
「‥‥お母さんもお父さんもお仕事で帰ってくるの遅いし、バッグに鍵が入ってるの」
「おおぉ」
それは見つけなければマズイ。
たぶん警察に届けるのが正解なんだろうが‥‥。
俺は暗くなった公園を見回す。
幽霊や妖怪だってワンパン出来る勇者パワーでも、バッグを探すのには大して役立たない。
まあ、これは勇者とかは関係ないか。
「よし、じゃあ俺も手伝うから探すか」
「‥‥いいの?」
「見つからないと帰れないだろ? で、どの辺で遊んでたんだ?」
「今日は、あそこから、こっちの方まで」
そう言って女の子は公園の端から端までを指さしていた。
おおう、ほぼ全域じゃないですか。
これは本当にバッグを見つけるのが先か、俺が通報されるのが先かのチキンレースの様相を呈してきたぞ。
嘆いていても仕方ない。俺は女の子を伴って夜の公園を散策し始めたのだった。
「‥‥ぉ、おい! これ! これじゃないか!」
「あっ、私のバッグ!」
「よっしゃ!」
俺は思わず快哉の声をあげた。
時間的にはそんなに経っていないが、女の子を早く家に帰すために足をフル回転させてバッグを探し続けていたのだ。
その甲斐もあって、なんとかバッグを見つけることが出来た。微妙に可愛くない黒猫、もとい黒兎が書かれた女の子らしいバッグだ。
俺は駆け寄って来た女の子にバッグを渡してやった。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
「おお、もう落とすなよ」
本当、何をどうしたら公園の雑木林の中にバッグが落ちることになるんだか。子どもの行動原理は全く読めない。
これでようやく通報される心配から解放される‥‥、と安堵していると、女の子が不思議そうな顔で俺の顔を見上げてきた。
いや、早く帰れよ。女の子は少しモジモジした後、意を決したように口を開いた。
「あ、あの、どうしてお兄さんは一緒に探してくれたの?」
「なんでそんなこと聞くんだ?」
「‥‥一緒にいた友達は、皆帰っちゃったから‥‥」
「それはまあ、しょうがないかなあ、門限とかあるだろうし。どうして‥‥ね」
別にこれといって理由があったわけじゃない。
あえて言うなら、そうだな。
「大人だからな、子どもが困ってたら誰だって助けるよ」
「そうなの?」
「君のお母さんたちもそうだろ。そういうもんなんだよ」
「そっかぁ」
「ほら、分かったらもう早く帰りな。車に気を付けて帰るんだぞ」
「うん、分かった! ありがとう!」
女の子は汚れた顔に満面の笑みを浮かべてそう言った。そして大きく手を振ると、走って公園を出て行く。気を付けろと言ったばかりだというのに、大丈夫だろうか。
それにしても、自分の口から自然と出た言葉に笑ってしまいそうだ。
大人だから子どもを助けるなんて当たり前。別に勇者じゃなくたって、自然とやることだ。
「なるほどなあ」
俺はぽつりと呟いた。
ほどほどに頑張って、ほどほどに生きていきたいってのは嘘じゃない。でもそれは、なにかから逃げるための口実に使うようなものじゃなかったはずだ。
小学生と高校生だって、両方子どもなことに変わりはない。バッグを探すのも、命を賭けて戦うのだって、ちょっとばかし規模が変わっただけで本質は一緒だ。たぶん。
ほら、RPGの勇者だって最初はおつかいから始まるしね。おつかいの延長線上が魔王とのバトルということである。
「さてと‥‥」
昔は誰かの正義に乗っかってりゃ楽だった。戦うことよりも、自分の道を自分で選んで決断すること。その簡単そうなことは、実は何よりも難しい。
逃げ道があるのが大人なら、逃げる時と戦う時を自分で決めなければならないのも大人だ。
まあ、どんな選択をしたって人生案外なんとかなるもんだ。
その瞬間だった。
まるでこちらのタイミングを見計らったように、魔力の気配がうっすらと漂ってきた。
ここから結構遠いし、そもそもリーシャが関わっているかどうかも分からないけれど。
全身を魔力が走り抜け、意識が夜の中でより鋭く、明確に際立っていく。
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