第11話 いいところで登場する、主人公だもの

「この世界の魔術師殿とお見受けします。どうか、話を聞いてはいただけないでしょうか」


 凛と、頭の奥にまで響き渡るような綺麗な声。


 綾香が振り返った先に居たのは、天使か化生かと見紛うばかりの美しい少女であった。


「‥‥」


 言葉すら出ない。月子というとびきりの美少女を幼馴染に持ち、自身も十分に美女の部類に入る綾香から見ても、飛び抜けた美貌。


 黄金の髪は夜であっても輝き、紅玉のような瞳は怪しい魅力で綾香を見つめる。


 その身を包むのは白を基調とした修道服のような衣服。


 フレイムとはまた別の、浮世離れした存在感を放つ少女だった。


「あなたは‥‥?」


 ポツリと呟いた綾香の疑問に、少女ははっきりと頷いた。


「私の名はリーシャ。女神聖教会において恐れ多くも聖女の称号を授かる者です」


「‥‥女神聖教会? ‥‥聖女?」


 まるで聞きなれない単語に、綾香は聞き返すことしか出来なかった。


 その言葉に答えることなく、金髪の少女――リーシャは続けた。


「疑問は多くあると思います。ですが、まずはこの状況を脱するのが優先でしょう」


「それは、そうだけど」


 リーシャの正論に、混乱する綾香は口ごもった。


 分かるのは、このリーシャという少女が当面は敵ではないということ。そして恐らく今綾香を守ってくれている光のヴェールは、リーシャが作り上げてくれたものだということだ。


「この状況を脱するっていったって、どうやって」


「今は私の『聖域せいいき』で止めてはいますが、今の私にはさほど魔力が残っていません。凌げるのはあと数分といったところです」


「‥‥それじゃあ足りないわ。応援が来るまで、少なくともその数倍はかかる」


 場合によっては、それ以上にかかるだろう。第二位階以上の魔術師が招集できればいいのだが、それが出来なければ、この大鬼を倒せるだけの戦力を整えるのに相当の時間がかかる。月子を呼び戻そうにも、携帯もこの魔力の嵐の中ではまともに機能しない。。


 綾香の言葉にリーシャが顔を悲痛に歪ませる。


「‥‥申し訳ございません。元々この騒動の原因は私たちにあります。あの大鬼は必ず私が滅しますので、どうかお逃げください」


「それって、どういうことよ」


「‥‥申し訳ありませんが、詳しいお話をすることは出来ません」


 リーシャはか細い声でそう言うと、綾香の隣を通って大鬼へと向かおうとする。地球の魔術師は、アステリスから来たリーシャたちにとって決して味方ではない。


 あるいはそうすることも可能かもしれないが、不確定要素の大きい賭けに出ることは出来なかった。


 場合によっては、『鍵』があるからこそ戦闘が起こるとして、敵に回る可能性だって大いにあり得るのだ。


 しかし、魔力の異変を感じ取ったリーシャが綾香を見捨てることもまた出来なかった。


 たとえ箱入りであろうと、世間知らずであろうと、その魂はどこまでも高潔であり慈悲深い。それこそが聖女という存在なのだ。


 故に、神魔大戦に巻き込んでしまった責任を取って、リーシャは前に出る。彼女を中心に白い光が溢れ、大鬼を食い止めるヴェールが薄く輝いた。


 聖女であるリーシャが扱う魔術、『聖域』は悪しき者の侵入を阻み、中にいる人間を癒す黄金の領域。


 しかし『聖域』は護ることに関しては随一と言って良い魔術だが、反面何かを害するような使い方は出来ない。


 どれだけ護ろうと、勝つことは不可能だ。


 そんなことは分かっている。


 それが分かっていて尚、そこに傷つき悲しむ人が居るのなら、絶対に退くことはない。聖女が教会から出ることがないのは、ただその身が尊いというだけではないのだ。


 彼女たちは外の世界で生きるには、あまりにも優しすぎる。


「ちょっと、待ちなさいよ」


 そんなリーシャの腕を、綾香は掴んだ。


「‥‥なんでしょうか」


「なんでしょうかじゃないわよ、私に子ども一人置いて逃げろっての? 冗談じゃないわ。そんなやり方で生き残るくらいなら潔く死んだ方がマシだわ」


 綾香は「はー、最近のガキんちょは」と頭を掻く。


「ですが」


「ですがもなにもないっての。いい、なんとしても二人で生き残るわよ。私は綾香。加賀見綾香よ」


 そう言って、綾香は笑う。


 ここで死ぬつもりだったし、状況はさっぱり把握出来ないが、とにかく少女が戦うというのだ。ならば、ここでその命を散らせるわけにはいかない。それは、大人の義務だ。


(まったく、姉の義務を果たしたと思ったら、今度は大人の義務と。本当酒飲めるくらいじゃ割合わないって)


 とはいえ今キンキンに冷えたビールを飲めるなら、どんな仕事も二つ返事で受けるだろうが。


 よし、この仕事が終わったら報告書とか後にして居酒屋に行こうと綾香は決めた。


「それじゃ、あとどれくらいあいつの攻撃を防げそう? 戦闘の最中に盾みたいに結界を張ったりは出来る?」


「‥‥私の魔力も万全ではありませんし、この魔術はさほど使い勝手のいいものではありません。こうして守護する領域を作り出すことしか出来ませんし、『聖域』を発動している間はこちらから攻撃することも出来ません。‥‥ただこの攻撃ならあと数分は維持できます」


「成程ね」


 綾香は参ったな、と周囲を確認した。


 ヴェールの向こう側で炎の大鬼は未だ拳を振るい続けている。その勢いはまるで衰えていない。相手の魔力が尽きるまで籠城するという作戦は取れなさそうだ。


 綾香は左手の琥珀のブレスレットを外しながら言った。


「それじゃ、その聖域とやらが切れる瞬間に最大魔力の魔術を叩き込むしかないわね。悪いけど、少し準備があるから防いでもらっててもいい?」


「分かりました。‥‥それで、倒せるのでしょうか?」


「さあ? 少なくともあの大鬼を出したやつよりは倒し易いんじゃない。ま。私の魔術がどれくらい通用するかは分からないわね」


 こんなことになるのなら月子に居てもらいたかったが、月子も『天穿神槍』を撃つのにほとんどの魔力を使ったはずだ。やはり撤退させて正解だったろう。


 綾香は外したブレスレットをバラし、琥珀を地面に置いていく。そしてポケットから小さな麻袋を取り出すと、中に入っていた木の実や丸い石、フリーズドライされた花も地面に置いていった。


 その様子を見ていたリーシャが呟いた。


「‥‥魔術領域ですか?」


「良く知ってるわね、って、あなたの魔術もそんな感じだものね。そんなところよ。私は生物に干渉する魔術の方が得意だからこっちは本職程じゃないけど、あれ相手じゃ分が悪いし。少しでも勝てる確率を上げておかないとね」


 綾香はそう言いながら、再び魔導水を取り出し、地面に散らばった琥珀の間に零していく。そして最後に自らの右手に魔導水を溜めた。


「それじゃ、人事を尽くして乾坤一擲けんこんいってき、大勝負と行きましょうか」


「分かりました。戦士のあなたが立つ以上、聖女としてこの身は決して退かぬことを約束します」


「いや、私が失敗した時点でさっさと逃げてよ、まったく」


 見た所まだ十代だろうに、なんという覚悟だろうか。


 死に急ぐ若人に綾香はため息を吐きたくなるが、そんな彼女もまだまだ若い二十代だという事実は棚上げされていた。


 どちらにせよ、これが失敗すれば二人共生き残れる可能性は一気に低くなる。


 綾香はなけなしの魔力をかき集め、自身の身体だけでなく周囲に散らばった琥珀にも魔力を流した。


 作り上げるのは、魔術を補強するための擬似的な空間。木の実と琥珀は樹々を、固められた花は野を、丸い石と魔導水は流れる川を。


 生命の循環する場を創造し、綾香は深呼吸を繰り返しながら大気に漂う霊力を取り込んでは体内に巡らせ、再び外へと逃がす。これは本来魔力を生み出すことに長けた西洋魔術とは異なり、自然界に満ちる霊力と一体化する仙術と呼ばれる術理だ。西洋でも東洋でも源流とする力が同じだと証明された現代では、まとめて魔術と称されることが多いが。


 綾香は自らの存在を巨大な自然の一部と化し、右手の魔導水と琥珀のブレスレットへと魔力を流す。


 琥珀のブレスレットは波動を強化する役割を担い、魔術領域によって創られた擬似的な川の流れは魔導水に自然の重みを与えた。


 はじめは蛇の如き小さな流れでも、幾つもの流れが重なりあい、長い時を経れば竜の濁流へと変わる。


 綾香の波動はただこの一瞬、掌に溜めた少量の水を、魔術領域を用いることで竜のあぎとへと変化させた。


「今ッ!!」


 綾香の鋭い一声と共に、リーシャは『聖域』を解き、同時に綾香は引き絞った右腕の掌打を炎の大鬼へと打ちこんだ。



 ――『黒蛟竜くろみずち』。



 波動を乗せた魔導水が、夜を戦慄かせる唸り声を上げて、大鬼の喉元へと牙を立てた。 


 火と水とが、激しくせめぎ合う。蛟竜の牙は確かに大鬼の炎の肉体へと潜り込み、その身体を食い千切らんとした。


 対して大鬼は人の頭程もある拳で水の波動を掴み、強引に引き剥がそうとする。


 火の身体が引き裂かれる音と、水の身体が焼ける音が響き渡った。


「――っく!?」


 それでも尚、綾香は呻き声を上げた。


 間違いなく黒蛟竜は大鬼にダメージを与えている。鮮血もかくやと赤い火が噴き出すのがその証左だ。


 だが、足りない。


 大鬼の分厚い身体を少量の水で作り上げた蛟竜では完全に食い千切ることは出来なかった。


 蛟竜が徐々に薄くなり、右手が焼かれて激痛が走る。


 綾香はそれでも魔力を込めて、大鬼を構成する魔力そのものを崩そうと波動の魔術を撃ち込んだ。


 ここで退けば、もはや勝ち目も、生き残る可能性も存在しない。


 波動の魔術が炎を揺らめかせ、大鬼の黒い口腔から叫び声が上がるが、大鬼は少しも動きを止めようとはしなかった。


 劫火の拳が着実に綾香に迫り、その命を燃やし尽くさんとする。


 背後でリーシャが『聖域』を発動させようとする気配があるが、ここまで魔力を使ってしまえば、もはや綾香は出涸らしだ。


 ここで綾香を守ったところで、共倒れになるだけである。


 故に、綾香は叫ぼうとした。最後の力を振り絞って大鬼を足止めし、リーシャに「逃げて!」と。


 ――ォォォオオオオオオォォオオオオオ!!


 その瞬間、大鬼が咆哮し全身から火炎を迸らせて波動の魔術を強引に消し飛ばした。


 魔術ごと構成していた魔術領域が散り散りになり、驚愕に目を見開く綾香へと大鬼の拳が迫る。


 そこへ、すんでのところでリーシャの発動した『聖域』が割り込んだ。


 バチバチ! と光のヴェールと大鬼の拳が衝突し、火炎がヴェールを舐める。


「‥‥っ!? はやく逃げなさい! もう無理よ!」


 自身の敗北と死を悟った綾香は、リーシャに向かって叫んだ。しかしリーシャはそれに対して首を横に振った。


「なりません! 私が『聖域』を維持している間に加賀見さんこそお逃げください」


「子供が何言ってんのよ! こんな身体でも時間稼ぎ位は出来るんだから、さっさと逃げなさい!」


 お互いに一歩も引かず、叫び合う。


 そうは言っても、リーシャから見て綾香はもうボロボロだ。


 服と髪はいたるところが焼け焦げ、波動の魔術を使った右腕は酷い火傷に爛れていた。『聖域』によって徐々に回復するとは言っても、『聖域』の本質は守護。治癒は本来おまけでしかない。


 魔力もなく、意識を保っているだけでも限界だろう。


 一方で、リーシャも万全とは程遠い状態だった。


 連日の逃亡生活で魔力は枯れ、体調も優れているとは言えない。


 それでもリーシャの頭に逃げるという選択肢は存在しなかった。


 思い出すのは、リーシャを救ってくれた青年の姿だった。


 聖女として多くの英傑と呼ばれる人間、将軍、王族といった人々を見てきたリーシャからすれば、それこそなんのオーラも持たない一般人。


 しかし、その青年が使う魔術は、まさしく規格外の代物だった。リーシャは自身の行使する『聖域』を超える魔術というものを、生まれてこのかた見たことがなかった。魔族に追われてもたった一人で逃げ続けられる理由は、ひとえに『聖域』のお陰と言って良い。


 そんなリーシャから見ても、その本質さえ理解出来ない魔術構築。


 きっとリーシャがこれまで会ってきたどんな人間よりも強いだろう。その確信を無条件に持ってしまう程の魔術だった。


 けれど、そんな彼は言った。


 アステリスの問題はアステリスのもので、ここに生きる自分には関係ないものだと。


 まさしくその通りだ。


 女神の崇高な思考をリーシャの如き小娘が分かるはずもないが、少なくともリーシャにもこの神魔大戦が地球の人々にとって歓迎すべきものでないことくらいは分かった。


 だから、退けない。


 そこに傷つく者あれば癒しなさい、そこに悲しむ者あれば寄り添いなさい、そこに理不尽があれば立ち向かいなさい。


 女神聖教会に身を置く者としての義務だけでなく、アステリスの人間として、神魔大戦に現地人を巻き込んで見捨てるなどという恥知らずな真似は決して出来ないのだ。


 気持ちとは裏腹に、光のヴェールに亀裂が入り始める。


「――ッ!」


 限界を超えた『聖域』の使用に、斧で割られるような酷い頭痛が響く。


(‥‥これでは、折角買ってもらった服が無駄になってしまいますね)


 最後にリーシャの頭に浮かんだ思いは、それだった。


 嫌だ、協力するつもりはないと言いながら、最後までリーシャの身を案じてくれていた人。リーシャの肩を掴んで別れを告げた彼の顔は、まるで泣きそうな子どものようだった。


 あれ程強い彼にさえ、傷はある。きっと深く深くまで刻まれた、大きな傷が。もし神魔大戦なんて関係なく彼と会うことが出来ていれば、その傷を癒す手助けが出来たのだろうか。


 そんな益体もない夢想を浮かべた矢先、聖域がついに破られた。


 綾香が咄嗟にリーシャを背に庇い、リーシャは綾香の肩から大鬼の拳が振るわれるのを見つめていた。


 視界の全てを染める赤。


 そこに、光が駆け抜けた。


 火の明かりも夜の闇も、全てを一瞬にして両断し、その存在を知らしめる鮮やかな銀の閃光が。


 その瞬間、燃える炎の音すらも一刀の元に斬り伏せられ、夜の静寂が思い出したように舞い降りる。


「な‥‥どう‥‥して‥‥」


 呆然と呟いたのは、リーシャだった。


 そこに居たのは、絶対に来るはずのない人。綾香とリーシャを守るようにして立つ、白銀の鎧を纏った騎士。


 確かに決別したはずの、勇輔の姿だった。


「‥‥」


 白銀の騎士は翡翠の光を目に宿し、リーシャを無言で一瞥すると、大鬼へと視線を向ける。


「な、なに‥‥?」


 リーシャを抱いて庇っていた綾香が、振り向きそこで言葉を失った。


 二人の視線を受ける銀の騎士は、静かに大鬼と対峙していた。


 綾香の知るどんな魔術とも違う、異質な空気。いや、これは本当に魔術なのだろうか。


 その白銀の騎士を見た綾香は、その全てがあまりにも自分の知る常識とはかけ離れていて、無意識の内に恐怖で肩を震わせていた。


 フレイムも異質といえば異質だが、目の前の存在に比べればまだ分からないということが理解出来る範疇だ。


 しかし目前の騎士は、少し気を抜けば認識することさえ叶わなくなる、それ程の存在だった。


 ――ォォォオオオオオオオオ!


 驚きに固まる二人と異なり、確実に殺せるという瞬間に邪魔をされた大鬼は、苛立たし気に雄叫びを上げて拳を振り上げた。


 そして鋼鉄の塊さえ溶かしぶち抜く拳打を、白銀の騎士に向かって振るう。


 たとえ全身を鎧で覆おうと、炎の大鬼からすればなんの意味もない。中の人間が蒸し焼きになるのが先か、直接火炎が身体を燃やすかの違いでしかないのだ。


 そして大鬼の拳が銀騎士に直撃し、パンッ! と軽い音と共に打ち払われた。


「‥‥‥‥‥‥は?」


 そう間抜けな声を漏らしたのは、綾香だ。


 それも無理はない。何故なら銀騎士は、その場を一歩も動かず、ただ左肩にかかった朱のマントを振り払っただけなのだから。


 ただそれだけで必殺のはずの拳は、全てが軽い火の粉のように散らされた。


 大鬼が拳を振り払われた勢いで、一歩、後ろに下がる。


 たとえ黒蛟竜に喰いつかれようと、殺意のままに己の身も顧みず前に進んだ大鬼は、さながら子供に遊ばれる玩具のように、簡単に退かされたのだ。



 そして、その開いた距離を埋めるように、銀騎士が一歩を踏み出す。


 重く。その一歩は数万の軍勢による行軍に等しい力で大地を踏みしめた。

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