第174話 竜胆かたり
「こちら、ホットのアールグレイと大正クッキーになります」
「ちっ」
「‥‥」
松田たちの広告が功を成したのか、あるいは袴のおかげか。我らが『大正文芸喫茶』の客入りは上々‥‥どころか店の外にも長蛇の列ができる盛況ぶりとあいなった。
いや、おかしいだろ。ここ喫茶店だぞ。しかも素人の書いた文芸雑誌がメイン。こんなに客が入るはずがない。
「山本君、次これ三番テーブル!」
「はい!」
そんなことを考えていても仕方ない。俺は渡されたケーキセットを手に三番テーブルに向かう。そこには大学生の二人組が座っていた。
「お待たせしました。ケーキセットです」
「ちっ」
「ちっ」
「‥‥ご、ごゆっくり」
ピクピクと頬が引き攣るのを、全力で抑え込む。
落ち着け、接客はスマイルこそ基本。たとえどんなお客様であっても、満面の笑みで対応しなければならない。
新規の客が座る席に行き、にこやかに笑いかける。スマイルスマイル。
「ご注文、お決まりでしょうか?」
「ちっ、ホットコーヒー」
「ちっ、同じものを」
スマイル、スマイル。ひっひっふー。
「店員さん」
「はい、なんでしょうか」
さっきの男子二人組に呼ばれて行くと、二人は空になった紙コップを指差した。
「お冷のおかわりくれる?」
「あっちの金髪の子にお願いして欲しいんだよね」
スマイ‥‥。
「あとさあ、写真のサービスとかないの? なんだっけ? チェキとか言うやつ」
「あの紫髪の子もいいよなあ。あの子も呼んでよ」
スマ‥‥。
「連絡先とか教えてくんないかなあ」
ス。
「じゃんけんで負けた方が聞いてみようぜ」
「お、それで行こうぜ!」
「おいこら、ここはメイド喫茶でもキャバクラでもねーんだよ」
思わずドスのきいた声が出た。
何がスマイルだふざけやがって、お客様が神様なわけねーだろ調子乗んな。
「ひっ」
「な、なんだよ」
男子二人がガタリと後ろに下がる。
こんな奴らにリーシャとカナミが接客する必要なんてない。今ここで店から叩き出してくれるわ。
そう思って前に出ようとしたら、横から柔らかい手が凄まじい力で俺を横に押し退けた。
割って入ってきた袴姿の女子は、すぐさま頭を下げる。
「お客さま、申し訳ございません。こちらの馬鹿は可愛い彼女から振られたばかりで、少しばかり気が立っていますもので」
「いや、でもよ」
「撮影はご遠慮していただいておりますが、ご迷惑をお掛けしましたので、クッキーをサービスいたしますね。後ほど、二人のどちらかがお届けします」
「そ、そうか」
「それならまあ」
女子に下手に出られては弱いのか、二人は頷いた。
いやなんでだよ。こんな奴らにそこまでしてやる義理はない。
反論しようとするが、乱入してきた女子は俺の口物理的に塞ぎ、そのままぐいぐいと裏の待機スペースに連れていかれた。
「いきなり何するんだよ」
「何するんだよじゃないわよ、あんたこそ何考えてるわけ、馬鹿じゃないの⁉︎」
小さな声でキレる彼女は、
うちの文芸部じゃ有名なイケイケ女子で、陽向と微妙にキャラが被っている俺の同級生である。
「でもな、あいつらうちをメイド喫茶かなんかと勘違いしてるんだぞ」
「そんなのほとんどの客がそうだから。そもそもこれで売り出してる時点で、そういう手合いが来ることくらい予想できるでしょ」
竜胆は袴をつまみながらため息を吐いた。
「どちらにせよ、客が入らないことには部誌だって売れないのよ。あんな輩は、適当にあしらっておけばいいんだから」
「適当につったってなあ」
「リーシャちゃんもカナミさんも、あんたの百倍はうまくやってるわよ」
え、マジで?
言われて裏から店を覗くと、確かにリーシャもカナミも問題が起きているようには見えない。存在感が違いすぎて、声を掛けられ辛いというのもあるだろうが、それでも俺の五倍は呼ばれている。
忙しすぎてよく見れてなかったんだよな。
リーシャは純真無垢な笑顔で下心を消滅させ、カナミは如才なく男たちをあしらっている。
「もしかして、俺より接客うまい‥‥?」
「もしかしなくても、誰がどう見たってそうでしょ」
「ええー」
なんでなん。
「分かったら、さっさと働きなさい。あんたは影、心を殺して黒子に徹しなさい。何を言われてもひたすら動き続けるマシーンになるのよ」
「ブラックの新入社員だって、そこまで露骨に言われないだろ‥‥」
ちょっと勇者新人時代思い出して泣きそうになっちゃった。すると、竜胆はふっと息を吐いて遠くを見た。
「あんたなんか、まだマシな部類よ」
「え、そうか? 既に三十回以上舌打ちされてんだけど」
「そりゃ男だからでしょ。私なんか、テーブル行くたびに、あからさまに『悪くないんだけど、君じゃないんだよなー』って顔されるわ」
「そ、そうか‥‥」
それはなんというか、なんというか。女性という同じステージに立っているせいで、露骨に比べられるのか。あれと。
想像しただけでしんどい。
というか俺も経験がある。アステリスは比べるだけ無駄っていうイケメンが多くて、そうそうに諦めがついたものだが、きっついんだよなあ、あれ。
「泣くな竜胆。話くらいなら、いつでも聞くからさ」
「いや、そういうのいらないし気持ち悪いから。あと気持ち悪い」
「なんで二回言った?」
「大事なことだからよ」
「悪口でそこまで断言することある?」
そういう仕打ちは松田しか喜ばないんだが。
他のメンバーに対しては普通なのに、俺に対して当たり強い気がする。あれか、リーシャたちを連れてきた諸悪の根源だからか、ごめん。
「ほら、早く行く」
「分かったよ‥‥」
背を押され、なんとも釈然としない気持を抱えながら、俺は接客へと戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます