第175話 グレイブの剛剣

 それから二時間ほど、舌打ちをされながらも俺は仕事をやり切った。途中から舌打ちは投げキッスだと思うようにしたが、どいつもこいつも男なので、非常に気色悪いことこの上ない。


 ムカつくか気持ち悪いかという究極の二択。接客ってこんなに大変なのかよ‥‥。落ち着け、私はメイド、私はメイド。相手はお金、相手はお金。


 客が金貨に見えると言い切った娼婦の気持ちが、今なら分かる。ちなみに酒の席で絡まれただけで、断じて買ったわけではない。


 そういや昔、酔っぱらった時にこれも経験だと、一度グレイブに娼館まで連れて行かれたな。


『いいかユースケ。この店は私の行きつけでな。どの子も最高だぞ。おすすめはベテランのマーサさんだ。あの柔らかくて豊満な身体が最高でなあ』


 なんだこのエロじじい。俺は夜の剣捌きも抜群だぞってか。


『今宵も私の剛剣が唸るぞ!』


 本当に言ったよこいつ。


 確かに? 大人の男、しかも勇者として女を知らないというのも恥ずかしい話だし? これもたしなみと、出陣しようとしたら、店にエリスが乗り込んできた。


 そこからのことはあまり覚えていない、というか思い出したくない。


 凄まじい勢いで開け放たれた扉と、腰抜かす嬢たち。扉の向こうに、がっつり目を見開いたエリスが立っているのを見た時は死を覚悟した。


 目が覚めたら俺は半裸で床に倒れていたし、グレイブは縛られた状態で庭に捨てられていた。ええぇ‥‥。


 近衛騎士が捨てられているのもそうだが、何より恐ろしかったのは、エリスが笑顔だったことだ。


『ああいうのは良くないわ。行く人を否定しているわけではないのよ、ただあなたは勇者だし、イメージも大切だもの。ね?』


 昨晩一体何があったのか、どんな折檻せっかんをされていつ気を失ったのか、グレイブは生きているのか、俺は逃れるために何を口走ったのか。


 何も思い出せないが、とりあえず無言で首を縦に振っていた。どの土産物屋に売っている赤べこよりも首を振った。


「どうしたんですか? そんな遠い目をして」

「っああ、なんでもない。リーシャも終わったのか?」

「はい。もう出ていいそうです。カナミさんはまだ続けるって言ってました」

「そっか、じゃあしばらくは俺たちで回るか」


 できればカナミとも一緒に文化祭回りたかったんだけど、そういうことなら仕方ない。まだ三日間あるし、どこかでまた声を掛けよう。


 俺とリーシャは背後にお客さんの視線を感じながら外に出た。


 普段では考えられない人の気配と、ざわめき。講義棟の外からバンドの勇ましい音が響いてくる。当たり前だけど、そこには祭りの雰囲気があふれていた。


 隣を見れば、リーシャが目をキラキラさせて窓の外や人込みに見入っている。


 そうだよな。こんな雑多な祭りの空気なんて初めてだよな。


 いろいろとやらなければいけないことはあるけど、せっかくだからリーシャにはしたいことをさせ

てやりたい。


 きっと娘を持った父というのは、こういう気分なんだろうな。相手もいないのに父性に目覚めてどないすんねん。


「それで、リーシャはどこに行きたいんだ?」

「そうですね」


 うちの崇天祭は俺たちみたいな飲食系だけでなく、様々な出し物や出店がある。ダンスやバンドのライブ、お化け屋敷、学校全体を使った謎解きイベントなんかもあったはずだ。


 リーシャはおもむろに崇天祭のパンフレットを開いた。そこには何枚もの付箋たち。


 何それ、受験生の英単語帳じゃん。


 彼女はそれを真剣な目で見ながらゆっくりとページをめくり、考えがまとまったのか口を開いた。




「ではまずは――ラグビー部の大盛ソース焼きそばから行きましょう」


 なるほど?

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