第324話 研ぎ澄まされる牙

     ◇   ◇   ◇




 対魔特戦本部のロビーは、類を見ない騒々しさに荒れていた。現場に出るために準備をする者、怪我の治療のために戻ってくる者、それらの対応をする者。


 誰もが未曾有みぞうの危機を前に、血相を変えて動き回っていた。


 その女がロビーに入ったことに、ほとんどの人間は気付かなかった。


 気付いた一部の人間も、誰も気に留めなかった。


 モンスター出現の対応に追われ、それどころではなかったのだ。


 だからパーカーを着た女は誰に邪魔されることもなく受付へと進んでいった。


 受付に座っていた女性が、目の前に立った女にようやく気付いた。


 うつむき、黒い髪で顔を覆い隠した女は明らかに異様だった。それでも対魔官の中にはおかしな人間がいくらでもいる。


 受付嬢はいつも通りの対応をしようとした。


「も、申し訳ございません。対魔官であればIDの確認を――」

『私が犯人』

「‥‥あの、え、はい?」


 受付嬢は何を言われているのか分からなかった。


 女は視線を合わせることなく、スマホを操作する。無機質な機会音声が、騒々しいロビーの中でやけに鮮明に響いた。




『私がこの事件を引き起こした魔術師』




 女――榊綴さかきつづりはうつむいたままそう言った。


 瞬間、一迅いちじんの黒い風がさかきへと吹き荒れた。


 その正体は双刀そうとうを逆手に握った男だった。


 彼は駆け抜け様に、一直線に榊の首へ刀を走らせる。


 榊は動かなかった。避けようとも、防ごうともしない。あるいは自身が攻撃されていることにさえ気付いていなかったかもしれない。


 しかし必殺の刃は榊には届かなかった。


 ギィン‼ と火花を散らし、襲撃した男は弾かれる。


「右藤さん⁉」


 受付嬢が思わず叫んだ。


 着地した男は、既に低い姿勢で構え直していた。


 男は右藤真理の実兄じっけい、右藤まことである。指示を受けるために、たまたま本部に来ていたところに、榊の声が聞こえたのだ。


 右藤は周囲に聞こえるように声を張り上げた。


「こいつ、ガチの黒だ! ここを手薄にした上で、直接襲撃に来やがった‼」


「で、でもまだ決まったわけじゃ‥‥」


 現場に出ることのない受付嬢は、震える声で言った。


 実際、ロビーにいた多くの対魔官たちも迷っていた。まさかという思いがあり、動けないでいる。


 そこに右藤は駄目押しの一言を告げた。


「よく見ろ! そいつだけ、間抜けな体力が出てねーだろ!」

「っ‥‥⁉」


 右藤の言葉は真実だった。ロビーにいる全ての人間の頭上に浮かんだHPバー。榊にだけは、それが存在しなかった。


 この異常な状況において、ただ一人、普通でいるという異常。


 それは疑いを確信に変えるには十分すぎた。


 対魔官たちが、無言で魔術を構え始める。


 右藤もまた飛び込もうとするが、それができない理由があった。


「‥‥くそったれめ」


 自分の不意打ちを完全に防いだ存在。


 いつの間にか、榊の後ろには長身の男が立っていた。銀の長髪に、黒いコートを着た痩せた男だ。


 いつ、どのように出現したのか、まったく見えなかった。


 そいつの頭上には右藤たちと同じようにHPバーが浮かんでいる。だから、それを削れば倒せる存在なのだろう。


 だがそいつは得体の知れない雰囲気を発していた。


 それが右藤の動きを押しとどめる。下手に踏み込んだら殺されると、脳内でアラームがわめいている。


 しかし相手は待ってはくれない。


『そう、私が黒幕。だから、こういうことをしに来た』


 機会音声がそう言うと同時、男が動いた。犬歯をむき出しに笑い、両手を真横へ広げる。


 そこから全方位へと放たれたのは、赤い矢、あるいは針の弾幕だった。


 ゴガガガガガガガッ‼ と機関銃をぶっ放したような音があらゆる場所で弾け、全身を衝撃が叩く。


「っ――!」


 右藤は何とか自分に放たれた矢を双刀で叩き落としたが、全ては不可能だった。脚や腕に突き刺さり、HPバーが半分近く削れる。


 そして攻撃が止んだ時、右藤は最悪の光景を目の当たりにする。


 ロビーにいたほとんどの対魔官たちが、今の攻撃をもろに受けたのだ。防御術式を発動できるような人間は数名だけ。


 それ以外の全員が、HPを吹き飛ばされた。


 つまり、死んだのだ・・・・・


 倒れた人たちの身体が、死体すら残さず光となって消えていく。まるで、存在することさえ許されないとばかりに。


「てめぇぇえええええええ‼」


 右藤は刀のつかを砕かんばかりに握りしめ、突貫した。


 もはや生かしてはおけない。こいつは正真正銘の、純粋な悪だ。


 肉体の限界を超え、右藤は爆破的な加速を得る。


 銀髪の男はそれに対し、再び赤い矢を放った。


 もはや防ぎも避けもしない。右藤は極限の集中力で、致命傷になる矢だけを見つめた。


 そして魔術を発動する。


 『天地返し』。


 真理と同じ魔術。天地、すなわち身体の上下を強制的に入れ替えることで、反転させる術式だ。


 右藤誠うどうまことはそれを応用して使用した。赤い矢の進行方向ベクトルを逆さまにひっくり返す。結果、右藤へ向かっていた矢の何本かが、男へとそのまま返された。


 ゴッ‼ と更に地面を蹴り、前へ進む。


 銀髪の男は天地返しによって跳ね返された矢を受け、ぐらつく。そこへ右藤は踏み込み、心臓と喉へ刀を突き刺した。


 完璧なタイミングだった。


 不可避の一撃は、しかしむなしい手応えを残して男を通り過ぎる。


「っ⁉︎」


 男の身体が霧状に散り、攻撃がすり抜けたのだ。


 ガッ! と男の腕が右藤の首を掴んだ。人外の力で、そのまま宙吊りにされる。


 男が右藤を下から覗き込んだ。赤い目がギラギラと輝き、剥き出しの犬歯が、もはや牙と呼べるほどに長いことに気づいた。


 無双の剛力に、霧状になる異能。


「は、てめえ吸血鬼かよ。化け物が」


 右藤は呟きながら、刀を振るった。それが届くよりも早く、吸血鬼のき手が右藤の胸を貫き、HPバーを削り切った。


 右藤の身体が光となって散り、吸血鬼は無言のまま榊の後ろに立った。


「は‥‥ぁ‥‥」


 それをすぐ近くで見ていた受付嬢は、声も出せず停止していた。逃げるべきだと分かっているのに、それができない。


 もうロビーに戦える対魔官たちはいなかった。


 さかきは受付嬢の方を向いたまま、動かない。それがまた不気味だった。


「‥‥」


 吸血鬼が無言で動き、受付嬢を上から見下ろした。


「や、やめ──」


 拒絶は無意味だった。白い首に向かって、吸血鬼の首が伸び、口が大きく開かれる。


 その牙が柔らかな肌に触れ、赤い玉を浮かべながら沈んでいく。


 吸血鬼にとって吸血とは食事だ。食料がどうなるかなど、考えるまでもない。


 受付嬢が自身の未来に絶望した時、それは来た。


 ゾンッ、と身の毛のよだつ音が鳴り、吸血鬼の頭が落ちた。


 口を開け、見ようによっては断末魔をあげているような顔のまま吸血鬼の頭が転がっていく。




「やあ、お楽しみの最中さなか申し訳ないね」




 場違いなまでに飄々ひょうひょうとした声がロビーに行き渡った。


 カツン、カツンと音を鳴らしながら歩いてくるのは、くすんだ灰色の髪をした男だった。竜の刺繍が入ったスーツを着て、左手には鞘に収まった太刀をぶら下げている。


「まったく、やってくれたね。上にもいろいろと放ってくれたおかげで、ここまで来るのに時間がかかったよ」


 そう、この対魔特戦本部は全てが魔術領域の中にある。つまりその気になれば、どこにでもモンスターを湧かせられるのだ。事実、榊の出現とほぼ同時に、建物の中は魑魅魍魎ちみもうりょう蔓延はびこるモンスターボックスと化していた。


 この男は、ここに至るまでに、それら全てを叩き斬ってきたのだ。


 他の対魔官が言えば、冗談だと笑われるだろう。


 しかしこの場にいる誰もが知っている。この軽い口を回す男ならば、それが可能だということを。


 日本最強の対魔官、第一位階──土御門晴凛。


 新世界トライオーダーの影で研ぎ続けた牙が、今抜かれようとしていた。

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