第35話 修羅場っていく

 カラン、とアイスコーヒーの中の氷が音を立てた。


 午前中に降っていた雨も止み、窓の外は澄んだ青空が見渡せる。


 梅雨もそろそろ終わりだな、と俺は千切れて流れいく雲を見ながら思った。


 もう、本格的な夏が近づいている。


 きっと俺たちの想像では及びもつかないような奇跡が起こる、そんな季節が。


 ――さて、


「‥‥」

「‥‥」

「‥‥」


 現実逃避はこの辺にして、そろそろこの非情な現実と向き合うことにしよう。


 どういった因果からか、加賀見綾香、伊澄月子、リーシャ、そして俺、山本勇輔の四人が顔を突き合わせているこの現実と。


「‥‥」

「‥‥」

「‥‥」


 色々思うことはあるが、ただ言わせて欲しい。


 どうしてこうなった――。


 カラン、と俺の疑問を笑うように氷が再び音を鳴らした。




 現在、この地球では大きな問題が起こっている。


 内戦、テロ、国交関係、マクロな視点で見れば日本なんかは社会問題の巣窟みたいなもんだが、まあ問題なんてどの時代でも色々あるだろう。


 ただ、今回起きている問題はそれらと大きく質が異なる。


 問題の大小というか、放置していた場合どうなるのか全く分からないという点で、非常に性質が悪い。


 何も起きない可能性もあれば、下手をすれば世界が滅ぶ可能性もある。そんな闇の上で綱渡りをするような問題が、今起きているのだ。


その問題の名を、『神魔大戦』。


 本来なら異世界の『アステリス』で行われる女神と魔神の代理戦争であり、人族と魔族が魔術を用い、覇を競い合う世界大戦。それこそが神魔大戦だ。


 その神魔大戦が、どういった理由からか、今この地球で行われている。


 人族は『鍵』と呼ばれる人間を守り、魔族はその守りを貫いて『鍵』を殺す。期限は一年間。それまで『鍵』を守り通すことが出来れば人族側の勝利で、『鍵』を全て殺すことが出来れば魔族の勝利というシンプルなゲームだ。


 そしてそんな『鍵』の一人が、今俺の隣でニコニコしながら座っている少女だった。


 三つ編みにされた黄金の髪は工芸品のようでさえあり、赤い瞳の前では宝石すら霞むだろう。


 神様が目をガン開きにして作り込んだとしか思えない容姿は圧巻の一言であり、ただそこに座っているだけで、ここが喫茶店ではなく、なにか神聖な場所に思えてしまう。


 まさしく神に愛されたアステリスの聖女、リーシャはこの場の空気など知ったことではないとばかりにアイスティーを飲んでいた。


 いや、純粋に気付いていないというか、気にすることじゃないと思ってるんだろうけど、それにしたってメンタル強すぎるだろ。


 俺なんて冷房の効いた店内にも関わらず、さっきから冷や汗が止まらないぞ。


 何故なら、今俺たちが座っている喫茶店の四人席には、他に二人の女性が座っているからだ。


 リーシャの対面に座るのは、加賀見綾香さん。髪をポニーテールにし、スーツでバシッと決めた気の強そうな美人さんだ。俺がリーシャを助けに行った時、庇っていた女性である。なんでもこの国の対魔特戦部所属の対魔官なんだとか。


 加賀見さんたちを見た時から、そんな組織があるだろうとは思っていたけど、こうして実際に会って説明されるとそれなりに驚きだ。


 まさかこの地球に漫画みたいな秘密組織があったとは。


 そして俺の正面に座るのは、大学の同級生にして元カノというなんとも気まずい関係性にある伊澄月子だ。


 濡れ羽色の髪の下、寒気すら感じる瞳が俺を見つめている。大学生にしては小柄な体躯ながら、その大人びた容姿が可憐さと美しさを両立させている。可愛い。本当に、相変わらず可愛いな、ちくしょう。


 待て、そうじゃないそうじゃない。


 なんと驚くべきことに、月子もまた対魔特戦部とやらに所属する魔術師らしい。しかも相当なやり手だという。


 驚天動地とはまさにこのことだ。ついでに一年近く付き合っていてそれに気付きもしなかった自分にも驚きである。元勇者が聞いて呆れるわ。恋は盲目とは言ったもんだが、本当に失明していたとしか思えない鈍さだ。


 そんなラブコメ主人公ばりに鈍感な俺なのだが、流石に今この場の空気が重いことくらいは分かる。


「――あの、ごめんなさい。一度話を整理させてもらってもいいかしら?」


 息苦しさすら感じる空気を打ち破ったのは、流石と言うべきか、一番年長の加賀見さんだった。年長とは言っても、俺と二つ三つしか違わないんだけど。


 そんな加賀見さんは額に手を当てながら、さっきまで難しい顔して書いていたメモ帳を睨んだ。


「えー、そもそもリーシャさんは『アステリス』っていう世界から来た異世界人‥‥で、その世界の神様が地球で戦争を始めたと」

「はい」

「その戦争っていうのが、人族と魔族の戦いで、人族の『鍵』の役目をしている人を魔族が年内に殺し切れば、魔族の勝ち」


 リーシャは微笑みながら頷いた。それを確認して、加賀見さんは話を続ける。


「そして、リーシャさんはその『鍵』の一人で、あのフレイム‥‥ジルザック・ルイードは魔族と」

「その通りです」

「‥‥オーケー、オーケー。そこまでは分かったわ。分かったというか認めざるを得ないというか、まあどっちでもいいわね」


 加賀見さんは気を落ち着かせるようにアイスコーヒーを一口飲むと、リーシャに向き直った。


「リーシャさん、あなたの置かれた状況は概ね理解出来ました。その上で、あなたが私たち日本政府に対して支援を要請する、というのも納得のいく話よ」


 そう、実は今日の話し合いは、こんな町中の喫茶店で行うような内容ではなかった。


 世界の命運をかけて行われる神魔大戦、その舞台が地球である以上、地球人たちがいくら文句を言おうが、戦いは行われる。


 どうあっても被害を避けられない以上、それを小さくしようと思うのはリーシャも加賀見さんたちも同じだ。いくらリーシャの『聖域』が凄まじくとも、たった二人では守れる範囲が狭すぎる。


 だからこそ、ルイードが倒された後に、こうして話し合いの場が設けられたのである。 本来であれば対魔特戦部の所持する機密性の高い会議室で行うべきなのだろうが、今回は俺がリーシャに言ってここにしてもらった。


 加賀見さんや月子がどう思っていようと、場合によっては『鍵』を殺すことで戦争を終わらせようとする人間もいるかもしれない。


 だからこそ、密室になる相手のホームは避けたかった。


 一応そうならないために予防策は打っているが、それがどこまで機能するかは俺にも分からないからな。


 ただ、加賀見さんたちの態度を見るに、協力してもらえそうな感じだし、杞憂だったか。


 しかし、次に加賀見さんの口から出てきた言葉はやけに硬かった。


「その上で二つ聞いておきたいことがあるんだけど、大丈夫?」

「ええ、勿論です」

「じゃあ、一つ目」


 加賀見さんはそこで一度言葉を区切ると、何かを覚悟するように深呼吸をした。


「あの、あなたを守った銀の鎧を着た騎士は、あなたの世界の守護者ってことでいいのよね?」


 ――来た。


 間違いなくされるだろうと想定していた質問。ルイードと加賀見さんたちが戦っていた時、俺は自分の魔術、『我が真銘』を発動して割り込んだ。


 それこそが間違いなく加賀見さんのいう銀の騎士。


 つまるところ彼女の聞く守護者は目の前に座っている俺なわけだが‥‥。


「本当なら直接会って礼を言うべきなんでしょうけど、今回はこの場には来てないみたいだし‥‥」


 加賀見さんは誰かを探すように視線を彷徨わせながら言った。月子も騎士の話が出てから、警戒するように身体を固くしていた。


 そう、二人とも、まさか俺が騎士だとは露とも思っていないのだ。それは俺の魔術による認識阻害の効果だからどうしようもない。


 あの称号持ちのルイードでさえ見破ることはできなかったのだから。


 それにしても、月子の反応は少し傷つくんだけど。


 さて、そんなことはさておき、ここでどう答えるか。既にリーシャとの打ち合わせは済ませている。


「はい、間違いありません。かの騎士――『白銀シロガネ』はアステリスに居た頃から私を守ってくれている者です」


 答えは、これだ。


 俺の正体は明かさない。


 彼女たちの態度を見ても分かる通り、相当俺の力を警戒しているのが分かる。だったら、今年だけで異世界に帰る存在だとしておけば、お互いのためにもいいだろう。


 俺も魔術世界に首突っ込むつもりはないしね。ちなみに『白銀シロガネ』ってのは名前を決めている時にリーシャが気に入ってつけたものだ。


「そ、そう。やっぱりそうだったのね」


 あからさまにホッとした表情をする加賀見さんになんともいえない気持ちになるが、まあこれが一番いい形のはずだ。


 リーシャが笑いながら言う。


「あの、彼は決して無法に力を振るったりはしませんのでご安心ください。中身も気さくな方ですし」

「気さくなんだ、あの騎士、というかあの人‥‥」


 なんですか、言いたいことがあるなら言ってもいいんですよ?


 アステリスに居た頃から、魔術を発動している間は不用意に喋れないせいで怖がられることは日常茶飯事。更に中に入っているのは大罪人で顔を出せないとか、見るに堪えない醜男だとか、果ては魔道具なんじゃないか、とも言われていた。


 せめて人間扱いしてくれ。


「それじゃあ、一つ目は解決したわ。あの騎士が守っている以上、私たちに直接的な護衛を求めないのも納得だしね」

「勝敗の結果はこちらの世界の方々には関係のないことですから」


 リーシャの言う通り、今回俺たちが対魔特戦部の人たちに求めているのは被害を食い止めるためのサポートだけだ。


 逆に俺たちは加賀見さんたちに知る限り魔族の情報を渡す。そういった交渉だ。


 俺も一応こちらの世界の人間だけど、一回アステリスのゴタゴタに首を突っ込んでいる以上、当事者みたいなもんだ。


「それじゃ、二つ目の質問ね」


 加賀見さんがそう言うと、その言葉を引き継いだのは隣で今まで黙っていた月子だった。


 ギンッ! と射殺さんばかりの眼圧が俺を貫く。




「どうして、ここに勇輔がいるのか、もう一度説明してもらってもいいですか?」


 そうですよねー。

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