狂気穿つ魔弾

第34話 プロローグだと思われる

 歩道に置かれた自転車を蹴り飛ばし、男が走る。


 くたびれたスーツを着た、どこにでもいるような中年だ。男はまるで何かから逃げるように、必死に路地を走っていく。


 事実、男は追われていた。


「はぁ‥‥はぁ‥‥」


 月は雲に隠れ、街灯もない裏路地は見通しが悪く、曲り角も多い。


 逃げる側も度々なにかにぶつかるが、その分追跡者も追うのには苦労するはずだった。


 もう随分長い事逃げ続けている。そろそろ、追手も諦めたんではないだろうか。


 そう考えた瞬間だった。


 ドッ! と男の肩に風穴が空いた。


 暗闇でも尚分かる赤い血が飛び散り、男は思わず転げそうになった姿勢を慌てて立て直した。


 だが、追手の攻撃はそれだけでは終わらない。


 空気を切り裂く音を連続させて、男に次々攻撃が襲い掛かる。


「クソッ!」


 男は悪態を吐きながら再び走り始めた。身体の各所から血が飛び散り、その度に男の身体がグラつく。


 そして、ついに男の行く手が壁によって阻まれた。土地勘のない場所で走り回れば、いずれ訪れる結末だった。


 コツ、コツ、と背後から死神の靴音が聞こえて来る。ソプラノの場違いなまでに澄んだ声が男にかけられた。


「いい加減、鬼ごっこはやめにしません? そろそろ面倒になってきましたわ」


 雲が風に流れ、月明かりが袋小路を照らす。


 光の下に現れたのは、すみれ色の髪を緩やかに巻いた少女だった。白い肌と黒の陰影の中に浮かび上がるのは、ゴシックドレスに包まれた妖艶な体つき。


 年は二十に届く程だろうか、美しく、どこか人を狂わせるような怪しさを持つ美貌の中で、濃紺の瞳が男を貫く。


 一見しただけならば、容姿こそ人並み外れたものであるが、大の大人が追い詰められるような脅威はない。


 しかし、少女の両手にはその華奢な見た目には不釣り合いな物が握られていた。

 

 銀色の輝きを放つ、回転式六連拳銃リボルバー


 銃身は分厚く、銃その物の大きさも相まって鈍器のようでさえあった。


「はぁ‥‥待て、待ってくれ」

わたくし、あなた方の命乞いを聞く程暇ではありませんのよ。疾く速く、無駄な抵抗はせずに死んでくださいまし」


 男の制止を一蹴し、少女は銃を構える。


 それでも男は言葉を止めなかった。


「いや、おかしいだろう! なんでお前みたいな化け物が俺を殺そうとするんだよ! 俺が何かしたのか!?」


 スーツは血によって暗い色にそまり、身体中に傷をつけた状態で男は叫んだ。この場をなんとしても生き残るために。


 それに対する少女の答えは、至極単純。


 ダァンッ! と重い炸裂音が路地に響き渡った。


「聞こえませんでしたの? 命乞いを聞く気はないと言ったつもりでしたけど」


 少女の放った銃弾は寸分の狂いなく男の眉間を貫き、その脳内を蹂躙して後頭部を吹き飛ばした。


 血や脳漿を撒き散らしながら、男の身体がそのまま背後に倒れ込む。


 静寂の中、その様子を見ながら少女は小さく呟いた。


「まったく、人を化け物だなんてよく言えましたわね」


 双銃がゆっくりと持ち上がる。銃口を倒れた男に向け、引き金にかかった指に力が込められた。


本当の化け物が・・・・・、随分人の猿真似が上手くなったものですわ」


 直後、男の死体に変化が起きた。


 スーツの下でボコボコと何かが蠢き、生命活動を停止したはずの身体が不自然な動きで持ち上がる。


 そして少女に向けられた顔は、既に人の物ではなかった。より正確には、穴の空いた頭を無理矢理に閉じたせいで、顔のパーツが歪んでいる。


 口から意味の分からない音を吐き出しながら、男の身体が沈んだ。まるで元からそうであったように四本の手足で地面を掴み、一気に少女へと走り出す。


 異形と化した男は距離を詰めると跳びあがり、その筋張った手で少女へと掴みかかろうとした。


 それに対し、少女の手に握られた双銃が咆哮を上げる。


 発砲音が立て続けに重なり、その度に弾倉が回転する。男の身体が食い破られ、路地の壁が火花を散らして砕かれた。


 ガガガガァン!! と銃弾は横殴りの豪雨となって男を撃ち抜いていく。腕を吹き飛ばし、腹に大穴を空け、頭を潰す。少女による銃撃が止んだのは、男の身体が肉塊を通り越して肉片となる頃だった。


 もう、男だったものが動くことはなかった。この肉片たちも、いずれは跡形もなく消えるだろう。そういう存在だということを、少女はここ半月ほどの戦いで知っていた。


「‥‥さて」


 男の完全な死亡を確認すると、少女は路地の壁を蹴って一気に空へと跳びあがる。そのまま建物の屋上に到着すると、その縁に立って夜の街並みを見渡した。濃紺の瞳が月明かりを映す水面のように輝き、何かを探して動く。


 そして、見つけた。


 たしかな彼女・・へと続く金色の痕跡を。


 少女は様々な思いを噛みしめるような複雑な面持ちで、誰に言うわけでもなく言った。




「ようやく見つけましたわよ‥‥迷子聖女!」

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