第19話 世の中容姿も才能も性癖も生まれる家も選べないんだから、せめて人生位は自分で選べ

 バチバチィ! と激しい音を立てて、雷が走る。


 それは瞬く間に目標へと食らい付くと、貫き四散させた。


 目標代わりに立てた複数の式神は獰猛な紫電に一瞬で消し飛ばされていく。


「‥‥」


 その行程を複数回繰り返し、金雷槍を手にした伊澄月子は無言で石突を床に叩きつけた。


 ムシャクシャが治まらない。


 訓練場をわざわざ使って月子がしていたのは、到底訓練とも言えない憂さ晴らしだった。


 いや、憂さ晴らしというよりも、八つ当たりという方が正しいかもしれない。


 月子は再び魔力を金雷槍に込め、雷を穂先に宿す。


「っ‥‥!」


 雷を放つ瞬間、月子の頭の中に浮んだのは、今日大学で会った、勇輔の顔だった。

 今日はフレイムの出現報告もなく、仕事も落ち着いていたので月子は学校に行った。同じ授業を取っているのだから、そこで勇輔と顔を合わせることだって分かっていたし、そうなっても普通に接しようと決めていた。


 振ったのは自分だから。彼にそこで気を使わせちゃいけないと、そう思っていた。


 けれど。


 金雷槍から放たれた雷が、無軌道にうねり、壁や床を焼く。


 その様子は、まるでまとまらない自分の心のようだった。


 月子の顔を見た瞬間の、勇輔の顔が、頭に焼き付いて離れない。


 彼の口から小さく呟かれた自分の名前に心が高鳴って、そしてその表情が泣きそうに歪み、俯いていくのを見て、月子はその場から逃げ出した。 


(‥‥今までと同じようになんて、馬鹿みたい)


 力なく槍を手にぶら下げて、月子は自嘲した。


 別れる前までは、出来ると思っていた。恋人という関係がなくなっても、友達でいられると。


 一度関係を進めたのに、それをなかったことにして元に戻れるほど、単純じゃないということに、月子は今になって初めて気づいたのだ。


 月子と勇輔が会ったのは、大学の入学式のことだった。


 誰かに見られていると思って月子が振り向いた先に居たのは、別段目立つわけでもない、着慣れないスーツに身を包んだ男だった。


 三白眼で少しキツイ目つき以外は、本当に特徴らしい特徴もない人で、普段の月子ならすぐにでも忘れていただろう。


 月子と目が合って彼はすぐ視線を逸らしたが、月子はそれから暫くの間、彼から目を離せなかった。


 その時月子が考えていたのは、たった一つ。


 ――なんて綺麗な立ち方をする人なんだろう。


 月子の生まれた伊澄家は過去は陰陽師の一族として、途中から西洋の魔術様式を取り入れることで発展してきた家だ。 


 それなりに伝統と格式のある家であり、月子は生まれた頃から魔術師としての修行以外にも、様々な教養を叩き込まれてきた。


 そんな彼女から見ても、その男の立ち姿は非の打ち所がないものだった。芯がブレず、足は地面に根が張ったように力強く、それでいて背中から頭までは空へと綺麗に伸びている。


 あれはちょっとやそっとの訓練でどうにかなるものではない。たとえ月子が後ろから不意を打っても、床に倒すことも出来ないかもしれない。


 子供の頃から戦闘訓練を受け続けてきた自分がだ。


 月子にしては珍しく、少し、興味が湧いた。


 どんな人生を送ればあんな立ち方をすることになるのか、あるいは自分と同じ側の人間なのか。伊澄月子という名はそれなりに知られている。同年代の人間を使ってどこかの組織が接触してきても、なにもおかしくはない。


 それでもいいと思える程に、月子は彼に興味を持ったのだ。


 しかし驚くべきことに、彼――山本勇輔は至って普通の人間だった。


 一般家庭の生まれで、なにか格闘技を習っていたということもない。どこの組織の影も見えない。ただ四年間以上、消息不明になっていた時期があったのだ。


 勇輔自身何も覚えていないそうだが、月子は間違いなくそこで何かがあったのだろうと睨んでいた。


 それから暫くの間、サークルが同じということもあって、月子は勇輔のことを調べるつもりで色々と話す関係になっていた。 


 ずっと家と仕事のせいで交友関係を狭めてきた彼女にとって、それは初めての関係で、月子が勇輔に好意を持つようになるまで、そんなに長い時間は必要なかった。


 そして勇輔もまた月子を好きになってくれて、二人は付き合うことになった。 


 幸せだった。


 男女の関係は驚きと戸惑いと、勇気が必要なことばかり。魔術師としてなら熟練の月子も、恋愛は初心者だ。月子にとって、勇輔と恋人になってからは、自分の人生に色が付いて行くようだった。


 だから、幸せに溺れていたせいで、忘れていた。


 月子がどれだけ人に寄り添っても、ふとした瞬間に、違いは浮き彫りになる。自分は、当たり前に過ごすことは出来ないのだと、現実が嫌な真実を突き付けて来る。


 ある勇輔とのデートの日、隣を歩く勇輔の近くに、何かが浮かんでいた。


 それは、数日前に月子が仕事で滅したはずの怪異、その生き残りだった。


 ――はやく滅さないと。


 月子はそう思って、そこで動きを止めた。


 自分がそれをする、これまで生きてきて当然のようにしてきたことが、普通じゃないということが、普通の幸せの中に居る時、どれだけ異常に見えるのか。


 月子は、何も出来なかった。


 早く滅さなければ何かが起こると分かっていたのに、自分なら対処できるからと自分を誤魔化して、見て見ぬふりをした。


 そして月子が眼を離した瞬間に、わき見運転の車が勇輔を轢く動きで走ってきた。


 勇輔がギリギリのところで避けられたから大事には至らなかったものの、勇輔は腕にかすり傷を負った。怪異は、いつの間にか姿を消していた。


 その時月子は気付いたのだ。


 自分は当たり前を望んではいけない場所に生まれたのだと。普通の幸せを、甘受してはいけないのだと。


 だから、勇輔と別れることを選んだ。


 きっと自分と付き合っていたら、また同じことが起こる。自分のせいで、好きな人を傷つけてしまう。


 そうなるくらいなら、離れた方がいい。近づかなければ、ちょっと話をするくらいの友達なら、傷つけなくて済むから。


 そう思っていた。


 けれど月子は知らなかったのだ。関係を終わらせるということは、その人の価値を否定することに近い。


 いつも飄々としていて、月子の前では笑ってばかりだった勇輔。彼が、泣きそうな顔で俯いていた。


 傷つけたくなかったはずの人を、別れを告げて一番傷つけたのは、月子だ。


「ぁああ!」


 月子は嫌な記憶を振り払うように金雷槍を構え、魔力を流し込む。

 槍が、雷そのものとなって輝いた。

 それを投げ放たんとした瞬間、後ろから月子の腕を掴む手があった。


「いや、あんた、訓練場ごと吹っ飛ばすつもり?」


「‥‥綾香」


 月子が振り向いた先に居たのは、幼馴染みでありながら上司でもある綾香だった。彼女は呆れた顔で月子を見ていた。


「何にイラついてんのか知らないけど、そんなの撃ったら訓練場も無事じゃないから。ちょっと冷静になりなさいよ」


「‥‥」


「はぁ‥‥ったく」


 黙り込んだまま槍を下ろした月子に、綾香は大きく息を吐いた。


「‥‥私も話聞いてないから、何があったかまでは分からないけどさ、これでもあんたより長くこっちの世界で生きてるから、まあ何となく分かるわよ」


 月子が、じろりと綾香を睨む。


 同僚たちの言う通りだ、子供の頃から、周りから期待されて、厳しくしつけられて、友達と遊ぶことなんてほとんどなかった月子は、あまり感情を表に出さない。


 綾香も月子も、心が揺れるのは、弱さだと教わって生きてきたから。


 そんな彼女がここまで感情を露わにするのだから、その想いは本物のはずだ。


「‥‥綾香も、そういう経験があるの?」


「‥‥」


 綾香は無言で月子の手を取ると、訓練場の壁際まで行くと、彼女を座らせて自分もその横に座った。


「この世界に生きてれば、大なり小なり、皆似たような経験はしてるわよ。中にはそれで大事な人を亡くした人だっているわ」


「辞めたくならないの?」


「辞められるなら辞めたいわよ、こんな仕事」


 前髪をかき上げて、綾香は前を見る。


 魔術師としての才と家柄に恵まれ、その生に疑問を抱かなかった少女が、今葛藤している。凡人ならもっと早くぶつかる壁に、天才ゆえに、今更出会ってしまったのだ。


 だからその先達として綾香が示せるのは、答えではない。


「好きにしたらいいと思わよ、私は」


「好きに‥‥?」


「どの家に生まれたって、どんな才能があったって、結局月子は月子だから。自分の人生自分で決めなくて、何を決めるっていうのよ」


「私の人生‥‥私が決められると思う?」


 思っていないことを言われたという表情で綾香を見る月子。


「そりゃそうでしょ、あんた以外に誰が決めるのよ。今時親の言われた通りに生きるとか、家同士の結婚なんて時代じゃないわよ。月子が辞めたいっていうなら辞めて彼氏とヨリ戻しなさい」


 綾香はそこで言葉を切ると、月子の目を見て続きを言った。


「それがあんたの決めた選択なら、私はそれを応援する。でも、決めるのは月子自身よ」


「綾香」


「さ、話はこれまでよ、まだフレイムとか色々と仕事は立て込んでんだから!」


 パン! と手を打って綾香は立ち上がった。


「ほら、行くよ月子」


「‥‥うん、分かった」


 天才で、いつも冷静で、年よりも大人びて見える美しい姿。そんな月子は、無邪気な顔で微笑んだ。


 普段は不愛想な月子も、綾香と話す時はどこか子どもの頃に戻ったようになる。その姿が、綾香には可愛くて仕方がないのだ。


(‥‥あれ、これってお母さん的思考? 待って、まだ二十代前半よ、私。お姉さんよね、お姉さん!)


 そうしてふと湧き上がった疑念を、綾香は一人ねじ伏せるのだった。

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