第244話 意味の分からない変態

 いや違う。


 あれ、もしかして違わないのか?


 待て待て違うだろ。


 あまりにも堂々とした返答に、俺が間違っているのかと思ってしまった。


 身体を反らしたせいで、下腹部が余計に目立っているし、そもそも下からのアングルって時点で結構アウトだろこれ。


 四辻が「うわぁ‥‥」とドン引きした声で肩を落としている。悪いけど、ここまで連れてきたの君だからね。


 本当にこいつがシキンで合っているんだよな。自分で言っていたし、大丈夫だよな。


 やばい、頭痛がしてきた。


「‥‥待ってくれ、あんたの言い分は分かったが、話の内容が頭に入ってこない。何か着るものはないのか?」

「ふむ。櫛名といいお主といい、細かなところにこだわるものだな」

「何でもいいから、さっさとしてくれ」


 細かくねえよ。松田だってもう少し慎み深いわ。いやちょっと審議の必要があるかもしれないけれど、現状ではかろうじて松田に軍配が上がるだろう。多分。


「仕方あるまい」


 シキンはそう呟くと、軽く首を傾げた。


 直後、長い黒髪が一人でに動き出し、シキンの身体を覆った。上は薄い上着を羽織り、下には膨らみのある、裾が絞られたズボン。


 黒髪で編んだはずの服には、菊の鮮やかな刺繍がなされていた。


 今の、魔術か?


 それにしては魔術を発動した素振りも、魔力の発露もなかった。


 どういう理屈で動かしたんだよ。


 シキンは軽く身体を動かして感覚を確かめると、改めて俺たちを見下ろした。


「それでは改めて名乗ろうか。我が名はシキン。新世界トライオーダーの『導書グリモワール』を務める一人よ」


 今なんて言った?


導書グリモワール?」

あるじを目指す場所へと導く知識、力を備えた者たちのことよ。端的に言ってしまえば、幹部とでも言えば理解が早いか」

「なるほど、お前がその内の一人ってわけか」


 『導書グリモワール』ね。確か魔術本とかを指す言葉だった気がする。新世界トライオーダーにも魔将ロードのような存在がいるのか。


 つまるところ、こいつは新世界トライオーダーの中枢に位置する魔術師。だったら話が早い。


「俺は山本勇輔。櫛名がそっちにいるなら、俺がどういう人間かは知っているんだろう」

「ああ、異世界での英雄だったと聞いている」

「そうだよ。今日はお前に聞きたいことがあってきた」

「呼びつけたのは私だ。答えられることであれば答えよう」


 そうか。


「今回の神魔大戦、お前たちは何を企んでいる?」

知らぬ・・・


 シキンは真顔で言い切った。


 どういうことだ、幹部だったんじゃないのか。それともはぐらかそうとしているのか。


 それにしては、シキンの目は少しの曇りもなく、真っ直ぐに俺を見ている。


 なんと言っていいか分からずシキンの顔を見ていると、彼は顎に手を添えた。


「それだけでは返答としては不十分か。我が主は、此度の戦において、悲願を成就しようとしておられる。しかしそれがいかなるものか我は知らぬ」

「‥‥分かった」


 さっき話にも出た主。


 土御門の話では新世界トライオーダーは古く巨大な組織だ。組織である以上、それを統べる者がいるのは当然だが、そいつが絡んでいる。


 シキンは悲願と言った。


 既に敵のいない支配者が、異世界の戦いを利用して、何をしようとしているんだ。


 やっぱり、この戦いを終わらせるためには、お前らはここで確実に切り崩していく必要があるようだ。


「それでシキン、その主はどこにいる? ぜひ会って話をしてみたい」

「さてな。我もしばらく会っていない」


 そこでシキンは笑みを浮かべた。


「願うのであれば、導書グリモワールを倒していけば、自ずと会えるだろう。我も、櫛名もその一人よ」


 やることが分かりやすいのは助かる。


 俺は『我が真銘』を発動し、鎧を身に纏った。


 土御門の話がどこまで真実かは分からないが、さっきの鵺の件もある。油断できる相手じゃない。


「おお、それがお主の魔術か。昔相手した騎士を思い出す。さて、異世界の英雄とやらが、まずはどれ程のものか見せてもらおう」


 シキンはそう言うと、首を回した。




 直後、目の前にそれは立っていた。




「『っ!』」


 目前に来て分かる、巨大な肉体と凄まじい威圧感。


 つい一瞬前まで間合いの外にいたはずのシキンが、肉薄してきたのだ。


 右足で地面を踏み締め、左足は上へとまっすぐに伸び上がっている。


 まさかという思いと同時に、俺は四辻の襟首を掴んで後ろに放り投げ、左手を上げた。


 同時に振り下ろされる初撃は、まさしく晴天の霹靂。目を覚ますようなかかと落としだった。


 ゴッ‼︎ とシキンの足を受け止めた瞬間、床がたわみ、空気が膨れて弾けた。


 おい、待てなんだこの重さ。


 弾き飛ばすつもりで迎え撃ったのに、弾くどころか受け流す余裕もない。芯を真上から捉えられ、徐々に沈められていく。


 いい加減にしろよ、この野郎。


 翡翠の光が鎧から火花となって散り、全身に力がみなぎる。


 タイミングは刹那。受けていた左手を脱力させて自由になると、踵が頭をかち割るよりも先に動く。


 打ち込んだ拳は、空を切った。


「ふむ、速いな」


 手を伸ばせば届く距離。そこで半身になり、シキンは俺の拳を見下ろしていた。


 こいつ。


 驚愕している間に、シキンは散歩にでも行くかのような気楽さで、俺の股下に一歩を踏み込んだ。  


 音と衝撃の壁が、全身に叩きつけられた。


 至近距離からの当て身で、俺は後ろに吹き飛ばされた。


 肘の一撃だ。全身の運動量を打撃に乗せ、ほぼ予備動作なしで打つ寸勁すんけい


 それだけで説明できる威力じゃなかったけどな。


 間一髪、左腕を差し込んで防いだおかげで、急所には入らなかった。


 俺は床を踏み締めて衝撃を受け止めると、構えた。


 そこには追撃することもなく、自然体で立つシキンがいた。


「良い受けだ。我の技を続けて受けて立っていられた者は久しぶりだぞ」

「『そうか。それなら今度はこちらから行かせてもらおう』」


 バスタードソードを顕現けんげんさせながら、俺はシキンの動きをうかがう。


 今の一回でよく分かった。


 こいつの近距離戦闘の腕は並外れている。それこそ、竜爪騎士団の団長を務めていたバイズ・オーネットとは比較にならない。


 こんな奴が地球にいたとは、驚きだ。


 柔らかく握っていた柄を握り直し、しかし必要のない力は抜く。


 間合いは五メートル前後。普通の人間なら遠いが、俺とシキンにとっては鼻を突き合わせているのに等しい距離だった。


 俺も受けより攻めの方が得意だ。


 踏み込みと同時に、右下から左上へと切り上げる。


 『月剣クレス』。


 刃は床を撫でるような軌道で滑り、胴を狙って跳ねた。


 後退するか、迂回してくるか。


 俺の予想は全て外れ、シキンは第三の選択を取った。剣を避けて、その場で軽やかに跳んだのだ。


 上を取られた。


 空中軌道のすべがなければ、そこは袋小路と同義だぞ。


 即座に落ちてくるシキンに向けて剣を振るう。徒手空拳が得意だというのなら、地に足のついていない状態では、まともな踏み込みもできず威力は半減。


 シキンはそれに対し、焦ることもなく俺を見下ろした。


 剣と足が触れる。


「『⁉︎』」


 衝突ではない。刀身を渡り歩くようにして、落ちながら身体を回す。刃は肌を掠めることもなく、虚を薙いだ。


 網目を水が通り抜けるように、シキンは全ての斬撃を滑り抜けたのだ。


 ‥‥冗談だろ。


 一瞬、身体を透過させているのか、あるいは幻影でも見せられているのかと疑ったが、違う。今のは単純な体技だ。


 アステリスでも、このレベルの体術は見たことがない。


 驚く俺の前に、シキンが何事もなかったかのように舞い降りる。巨体に見合わぬ、静かな着地。


 そして横殴りの衝撃が来た。


 理屈は単純。着地と同時に軸足で回転し、回し蹴りを叩き込んできたのだ。先の寸勁と同様に、ノーモーションからトップスピードの一撃が飛んでくる。


 右腕を立てて受ける。


 防御の上から首を蹴り砕かんという力に、身体が浮きかけるが、踏みとどまる。


 いつまでも好き勝手やってんな。


 攻撃の後なら、その紙一重の回避もできないだろう。


 俺は回し蹴りを受けたまま、左手に持ち替えた剣で霆剣ギルヴをシキンへと突き込んだ。


「おぉ──」


 指一本分。


 その距離を切っ先から保つような速度でシキンは後ろへと下がった。


 おいおい、どう動いたら霆剣と同じ速度で下がれるんだよ。しかも片足しか地面についてなかったんだぞ。


 蹴りを受けた右腕はまだ痺れが残っている。夏の頃ならいざ知らず、ラルカンと戦った俺と近接戦闘で渡り合える奴なんて、そうそういない。


 シキンは身体の感覚を確かめるように腰を捻り、言った。


「真に驚嘆すべき技量だ。二度、殺すつもりで技を放ったが、まさかまともな傷も負わせられぬとは」

「『それはこちらのセリフだ』」


 並の魔族なら既に斬っている。しかも今の戦い、完全に俺が押されていた。ここまで技量で圧倒されたのは、久しぶりだ。


 不本意ながら、師匠を思い出したよ。


 シキンは俺の言葉を受けて、愉快そうに笑った。


「そうかそうか。それならば聞こう勇輔。お主、剣を握って何年だ?」


 剣を? ブランクのあった時期もあるが、初めて剣技を習ったのはアステリスに召喚されたばかりの頃だから、


「『七年程度だ』」







「私は千年だ」







「『は?』」


 意味が分からず、間の抜けた声が出た。

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