第247話 剣と拳

 千里には勇輔とシキンが何を言っているのか、理解が追い付かなかった。


 双修だのなんだのと阿呆みたいな会話をしていたかと思えば、不穏な単語が聞こえ、次の瞬間には空気が重く張り詰めた。


 そして直後。


 目の前で爆発が起きた。


 否、それは勇輔の剣とシキンの拳とがぶつかった衝撃だった。


 千里は全力で身体強化をしながら、後ろに跳ぶ。そうしなければ、壁と見紛わん衝撃を全身で受けることになっていただろう。


 できるだけ身体を丸め、被弾面積を狭くし、流れに逆らわず吹き飛ばされる。


 そうして何度も床を転がり、なんとか体勢を整えた時、それは見えた。


 勇輔とシキンは、あの衝撃の中心にいながら互いに一歩と退くことなく、殴り合っていた。


 けんけん


 殴り合うという表現は適切ではないのかもしれないが、緩むことのない苛烈な攻撃の応酬は、そうとしか見えなかった。


 それでもやはり恐れるべきは、シキンの体術だろう。剣を相手にしては、間合いを詰めることも難しい。


 しかしシキンは攻撃を容易く捌きながら、己の間合いにまで勇輔を捉える。肉体を強化しているのか、あるいは刃に触れず受け流しているのか、その肌には傷一つない。


 まるで奇術でも見せられているかのようで、混乱する。


 千年の間修練を続けたという言葉が、時の経過と共に現実味を帯びていく。


「よい、よい。やはりよいぞ勇輔。しかしそれでは届かぬ。全てを振り絞れ」


 シキンは戦いの最中にもかかわらず、よく通る声でそう言うと、一歩下がった。


 次の瞬間、シキンの巨体が緩んだ。


 まるで全身の骨が抜け、筋肉が溶けたかのように、柔らかく脱力する。


 退かば押す。その隙を見逃さず勇輔は踏み込み、上段から切り込んだ。


「『雲雷鼓掣電うんらいくせいでん』」


 神速の落雷が鎧を打った。


 違う。それは脱力状態からの肘撃ちゅうげき


 おおよそ人間が打ち込んだとは思えない打撃音が響き、一拍遅れて勇輔の身体が砲弾のように吹き飛んだ。 


 先ほどまでの攻撃とは明らかに違う、人を殺すための技だ。


「っ‥‥!」


 その威力もさることながら、速さが桁違い。


 間違いなく先に仕掛けていたのは勇輔の方だった。その刃が触れるか触れないかという刹那の間に、シキンは脱力から緊張へと移ったのだ。


 速度は力を生む。


 そしてシキンの動きはそれで終わらなかった。


 足首の動きで軽く地面を叩くと、着地する勇輔の上へと跳んだ。


「『嵐剣ミカティア!』」


 肺が潰れ、平衡感覚も狂い、立っていることも辛いだろう。それでも勇輔はすぐさま迎撃した。


 鵺を暗がりから暴いた、斬撃の嵐。それをたった一人に向けて放つ。


 密度の高い面での攻撃は、先ほどのように滑り抜けての回避を許さない。


 だがシキンにもその気はなかった。


「『降雹澍大雨ごうばくじゅだいう』」


 振り下ろすのは、拳と脚を使った乱打。全身を捻転させ、それを解放させるエネルギーで打撃を打ち込む。


 それらは嵐剣を容易く跳ね除け、鎧を打ちのめしていく。


 弾かれた攻撃の余波か、あるいは勇輔が沈んでいく故か、床は砕け、破片が手榴弾のように散らばった。


 嵐と雹のぶつかり合いは後者に軍配が上がった。


 剣が弾かれ、勇輔の体が泳ぐ。


 その時シキンは着地し、拳を握りしめていた。


「その堅き鎧、打ち砕いてみせよう」


 声と共に、シキンは踏み込んだ。槌を振り下ろすように、拳で胸の中心を叩く。




「『堕落金剛山だらくこんごうせん』」




 ドゴンッ‼︎ とこれまでで一番大きな音が響き渡った。


 部屋そのものが揺れ、壁面の人像たちが叫ぶように震える。床は波うち、たわみに耐えきれなくなると、まるで遠い場所で割れた。


 まともに打撃を受けた勇輔は、文字通り床の下へと沈められた。


「ぁ‥‥!」


 言葉が出ない。 


 千里から見て、山本勇輔は異次元の強さを持っていた。少なくとも正面からの近接戦闘で負けることはないだろうと、頭のどこかで思っていた。


 それがどうだ。


 蓋を開けてみれば、一方的な展開。


 異世界の勇者さえ相手にしない戦闘能力。これが新世界トライオーダー。これが導書グリモワール


 姿無きブギーマンは何故ブギーマンであるのか。


 単純な話。触れてはならない相手であり、触れてしまった者は破滅の運命を迎える。


 シキンは、想像を遥かに超えた怪物だ。


「ふむ」

「っ⁉︎」


 千里は驚愕に声を上げそうになり、喉は乾いて震わなかった。


 勇輔を叩きのめしたシキンが、目の前に立っていた。この者を相手に、距離など大した意味を持たない。


 反射的にカードを取り出し、そこで千里は動きを止めた。


「む、どうした」

「‥‥」


 取り出したところでどうする。


 千里が何をしようが、この男には勝てない。根本的に、立っているステージが違うのだ。


 それならば、戦闘にならないようにするのが最善。千里は勇輔と違い、シキンの依頼でここにいる立場だ。


 彼からすれば、戦う理由のない相手。勇輔が生きているのかどうか分からないが、今は戦いをやり過ごし、彼をここから逃さなければならない。


 千里はできるだけ声を甘く、媚びるように笑みを作った。


「さ、流石シキン様です。噂に違わぬ実力、この目で見れて光栄──」

裏切りか・・・・?」


 視線が、真っ直ぐに千里の目を射抜いていた。


 ──バレてる⁉︎


 心の裏側まで見透かされているかのような感覚と、シキンの言葉に、千里は誤魔化せないと即座に判断した。


 読心術。


 どこまで読み取られたかは不明だが、少なくとも千里が敵だということは知られてしまった。


 全力で退避しようと脳が命令を送るが、身体は動かない。


 今動いたら殺されると、勘が悲鳴を上げている。


 シキンは腕を持ち上げ、顎を指で押さえた。ただそれだけの動作に、緊張感で心臓が破裂しそうになる。


 そして彼は笑った。


「よい! その気概、面白いぞ。組織としては許されぬだろうが、我は許そう」


 あり得ない反応だった。


 そこで千里は改めて実感する。この男は、まともではない。真っ当とは程遠い千里をして、理解できない思考回路をしている。


「それで、どうする?」

「‥‥」


 呼吸が浅く、魔力の巡りがよどむ。


 どうするもこうするもない。戦うどころか、今の段階では一矢報いることさえできない。


 みっともなく床に頭を擦り付け、命乞いをするか。そんなことをしたところで、この男が手を止めるだろうか。


 つまらないと、頭を踏み潰される気さえする。


 どうする、どうしたらいい?


 どうすればこの場を切り抜けられる?


 千里の頭の中で、過去の映像が流れた。あの時自分は、命を拾われた。


 土御門の手足となり生きることを選んだ。


 今ここですべきは何か。


「は‥‥」


 カードを指に挟み、千里はシキンの目を見据える。魔力を目に集中させ、これ以上の読心は許さない。


 賭けるんだ。


 土御門のために、自分ができることはたった一つ。


 勇輔の生存を信じ、時間を稼ぐ。一分でも、一秒でも、彼が回復する時間を作り出す。


 シキンが笑みを深くし、千里は魔力をカードに流した。


 避けられぬ死の直感。


 それをかき消すように、銀の閃光が瞬いた。

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