第248話 無窮錬

「なっ⁉」


 真横から、凄まじい速度で勇輔が切り込んできたのだ。


 千里は声を上げながらも、動くことはなかった。正確には、動くことができなかった。


 千里を中心として繰り広げられる攻防。


 髪の毛が、服の裾が衝撃に引っ張られ、音が容赦なく鼓膜を叩く。


 それでも動けない。


 一歩でもこの場から動けば、その瞬間千里は剣と拳に粉々にされるだろう。


 ゴッ‼ と鈍い音が聞こえたと思ったら、シキンが吹き飛んだ。自分の背後から伸びる腕を見て、千里は勇輔が殴り飛ばしたのだということを遅れて理解した。


「『すまない、遅れた』」

「いや、あり、がとう」


 忘れていたように襲い掛かってくる恐怖心に、千里は膝を折らないようにするので精一杯だった。


 勇輔はそんな千里の前に立つ。


 鎧どころか、大地ごと砕かんという一撃を受けたはずなのに、その立ち姿は堂々たるものだ。


「す、すごいね。もう立てないかと思った‥‥」

「『鎧は魔力で修復できる。中身はボロボロだ』」

「えっ‥‥」

「『安心しろ。約束は守る』」


 それはつまり、シキンを倒すということか。


 一発こそ当てたものの、それ以外は圧倒され続けている。そんな千里の思いを感じ取ったのか、勇輔は不服そうに言った。


「『言っておくが、俺も攻撃自体は当てている』」

「そうなの?」


 千里は改めてシキンの方を見た。彼は殴られてからも余裕を崩さず、こちらを見ている。何かしてみせろと言わんばかりに。


 おごりであり、油断。それが許されるほどの強さ。


「『ああ、しかし刃が通らない。何かに防がれているというよりは、密度が高すぎて進まないんだ』」

「そんなことある? 人間の肌でしょ」

「『何らかの魔術だろうな。肉体の操作かと思ったが、それにしては度を超している』」


 そう言われても、千里から見れば勇輔もシキンもどちらも理解の外にいる。しかし魔術の世界で戦い続けた勇輔が言うのであれば、それは真実なのだろう。


「でも、アステリスの魔術は個人によって違うんでしょう。もしシキンがそれに似た力を持っていたとしたら、あながちない話じゃない」

「『そうだな。確かに反則じみた魔術師はいくらでもいる』」


 千里は知る由もないが、魔将ロードなどその最たるものだ。彼らは時と場合によって、理不尽な初見殺しを押し付けてくる。


 そういう意味では、『夢想パラノイズ』を倒したシキンが同等の魔術を使っていたとしても不思議ではない。


 しかし勇輔は全く別の感覚を覚えていた。

 どんな魔術師であっても、個人である以上、その出力には限界がある。


 そこに例外はないはずだ、本来なら。


 だがシキンは違う。魔術の底が見えない。何か不透明なものを斬っている感覚。


「『あいつの魔術は、他と何かが違う』」


 勇輔がそう言うと、不気味にこちらを見ていたシキンが口を開いた。


「ふむ。我の魔術が知りたいのか?」

「『何?』」

「知りたければ教えよう。別段隠し立てするものでもない」


 あまりにも軽い口調だった。魔術師にとって魔術とは、自分の切り札であり、己の魂そのもの。戦いにおいても精神的においても、おいそれと人に話すようなものではない。ましてや敵同士。


 やはりシキンの精神性は、他の何者とも違う。タリムのように誇るでもなく、公平性のためでもなく、欲するのであれば与えようという、ただそれだけ。


「我が魔術の名は『無窮錬むきゅうれん』。積み重ねた修練がそのまま身体へと確実に蓄積される。ただそれだけだ」

「修練が、蓄積?」


 千里は今いち意味が分からず、首を傾げた。


 修練とは蓄積して当然のものだ。それをわざわざ魔術にするという意味が分からない。


 しかし勇輔の方は違った受け取り方をしたらしく、兜の奥で息を呑む音が聞こえた。


「それって、何の意味があるの?」

「『現実はゲームではない。修行すれば修行しただけ強くなれるなんていうのは夢想であり、理想だ』」


 そこまで言われて千里ははっとした。修業とは常に一進一退。微かな前進を積み重ね、確かな実感を得られるのは長い年月が過ぎた後だ。


 そして何より、人には限界がある。肉体の限界は、すなわち時の限界だ。成長が止まれば、そこからは老いるのみ。


 だがもし、もしゲームのレベルアップのように、積み重ねた修行の時間がそのまま強さに変わるとしたら。


「『理想の魔術と、永遠に近い時』」

「‥‥」


 千里は気付かぬうちに、シキンを注視していた。


 シキンの言葉が全て本当だとしたら、彼は千年レベルアップをし続けたことになる。


「『それは、刃が通らんわけだ』」

「いや、通ってはおるぞ。我にここまでの手傷を付けられる者は、そうおらん」

「『つまらない慰めはよせ』」

「事実なのだがなあ」


 ひょうひょうと言ってのけるシキンを前に、現実を理解し始めた千里は汗が引いていくのを感じた。


 今自分たちが向かい合っているのは、時間そのものだ。


 千年という時が人の形に重なり、拳を握っている。


 その密度、その質量はいかほどのものか。恐れるべきは、ただ重なり合っているのではなく、渾然一体こんぜんいったいと圧縮されているのだ。


 そんなもの、絶対に勝てるはずがない。


 諦観に似た思いでうつむきかけた千里に、勇輔の声がかかった。


「『四辻、やはり妙だ』」

「え?」

「『あいつの魔術が言葉通りのものだとしても、千年を生きる理由にはならない。どんな修練も、命を積み上げる術はない』」


 彼は最悪の状況を認識しているはずなのに、平然とした様子で言った。敵は不条理な強さで当然。勝機はあるものではなく探るもの。歴代最弱の勇者として選ばれ、格上を相手に幾度となく死線をくぐり続けた勇輔にとって、この状況は珍しいものではなかった。


「そ、それはそうかもしれないけど」

「『違和感を感じる。そして恐らく、地球の魔術に詳しくない俺は、その正体に気付けない』」


 勇輔がそう言い切るのには理由があった。


 シキンからは、『沁霊』の気配を感じないのだ。アステリスでこのレベルの魔術を発動できるとすれば、それは沁霊に他ならない。


 だがシキンからはその気配を感じなかった。


 故の違和感。対魔術師戦においては破格の経験値をもつ勇輔だからこそ気付けるものだ。


「『四辻、あいつの魔術の正体を暴いてくれ。それまでの時間は俺が稼ぐ』」

「そりゃ確かに、なんとなく分かる部分もなくはないけど、そんなことが分かったところで、戦いには影響しないでしょ」

「『さて、どうだろうな。魔術師同士の戦いは、単純な力比べで終わらないものだ。奴の魔術への理解が深まれば、俺の剣も冴えるだろう。少なくとも、得体のしれない輩を相手にするよりはいい』」


 そんなのもはや根性論じゃないか。


 そう言いかけて、千里は口を噤んだ。勇輔の言葉からは一切の嘘偽りを感じなかった。


 怪物同士の戦いは、既に千里の知る次元ではないのだ。


「でも、何かが分かるなんて保証もないし、時間を稼ぐって言ったって」


 たった数十秒。その間に勇輔はシキンに沈められたのだ。言うのは容易くとも、実現は難い。


 そんな千里の不安に、勇輔は振り向くことなく答えた。


「『安心しろ。君には傷一つ付けさせない』」


 そう言い残し、勇輔は前へ進んでいく。千年の重さを前に、その歩みが止まることはない。


 三度、勇輔とシキンは真っ向からぶつかった。

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