第107話 繰り返す別れ

 月子の姿が見えなくなってから、情けないことに俺はその場でへたりこんだ。


 様々なことが頭の中を駆け巡って、感情に酔いそうになる。


『‥‥大丈夫か、小僧』

「‥‥あんまり大丈夫じゃないかもしれん」


 正直今すぐ地の底に沈めてもらいたい気分だ。あるいは俺がもっと子供だったなら、自分を殴りつけていたかもしれない。そんなことをしたって得られるのはしょうもない自己満足だけだ。


 まだこいつと喋ってた方が気が紛れる。


『まあ、なんだ。男と女の関係はそうそう容易いものではない。そう気を落とすな』

「お、おう」


 まさか妖刀に男女関係を説かれる日が来るとは思わなかった。


 俺は座りながら妖刀を引き抜き、刀身を膝の上に乗せた。既に青い光は消え、鈍色の刀身は落ち行く陽を映す。よく見れば先の方は刃が欠けている場所が幾つもあった。


 最後の月子の魔術に持ってかれたのか。折れなかっただけ大したもんだ。


「‥‥もう行くのか?」


 端的な問いに、妖刀は穏やかな声で答えた。


『そうさな。儂の目的は達せられた。もはやこの世に留まる理由も力もない』

「そうか」


 俺にも分かっていた。もうこの妖刀に力はない。見た目こそまだ刀としての形を保っているが、その中身は伽藍洞がらんどう。こうして話していることさえ、死力を尽くしてのものだ。


『小僧、名は何と言う』

「ん? 俺は勇輔だ。山本勇輔」

『そうか、改めて礼を言わせてくれ勇輔殿』

「殿って‥‥」


 恥ずかしいから止めてほしいんだけど。


『いや言わせてくれ。我が宿願を果たすことができたのは他ならぬお主の力あってのもの。本来であれば弟共々生涯をかけて恩を返すところだが、知っての通り儂らは朽ち木の身。言葉しか返すことができぬ』


 言葉が響くたびに、刀身に罅が入り始める。


『ありがとう。この世嘉良孝臣せがらたかおみ、死してこの恩は決して忘れぬことを誓おう』

「‥‥ああ、どういたしまして孝臣」


 孝臣は安心したように、力を抜いた。青い魔力が燐光となって刀身から零れ落ちていく。


『まるでお主は噂に伝え聞く勇者のような男だな』

「勇者っていうと、アステリスのか?」


 聞きなれた言葉に思わず聞き返すと、妖刀は静かに答えた。


『そうだとも。悪しきを滅し弱きを救う。いずれ儂ら家族も救いの手が差し伸べられると、母が口癖のように言っていた』

「そうか‥‥」


 その望みは最後まで叶わなかった。当代の勇者が悪かったとは思わない。所詮は一人の人間、その手が届く範囲には限りがある。


 今際いまわの夢物語だと思いながら聞いていたその時、衝撃の言葉が俺の意識を全て持っていった。


『銀の鎧に包まれた勇者――案外その下にはお主のような男がいたのかもしれんな』


 ――は?


 俺は慌てて崩れ行く刀身を掴み上げる。


「待て、勇者っていうのは銀色の鎧を着た勇者だったのか?」

『ぬ? 何分数百年も前の話ゆえ、朧気なものだが、確か母がそう言っていた』

「名前、名前は分かるか? お母さんは何か言ってなかったか?」


 心臓がおかしな跳ね方をする。あり得ないと理性が叫んでいた。


 孝臣は暫く考え込み、絞り出すように言った。


『そうだ、確か』




白銀シロガネと、そう呼んでいたはずだ』




 それはあまりに不可思議な話だった。


 勇者にはそれぞれ固有の名が勇者誕生の国から与えられる。それが誕生国に与えられる最上の栄誉であり、勇者の特徴に因んだ名が多い。


 そして『白銀シロガネ』の名は日本語を使ってエリスが考えてくれたものだ。誕生国のない特異な勇者は、女神に召喚されたセントライズ王国で名を授かった。


 忘れるはずがない。


 『白銀シロガネ』は勇者としての俺の名だ。


 正直リーシャが地球での通り名としてこの名を選んだ時には、運命的なものすら感じたものだ。半分冗談で言ったのに、まさか食いつくとは思わなかった。


 どういうことだ。なんで孝臣が俺の名を知ってる?


 歴代勇者と名が被ることはあり得ない。日本語を使っているんだから当然だ。


「孝臣、お前の生きていた年代は‥‥」


 そこまで聞こうとして、やめた。


 もう刀身はほとんどが崩れ落ち、その存在は黄昏の陽だまりよりも儚かった。


 考えるのは後にしよう。今言うべきは、きっとこの言葉だ。


「ありがとう」

『礼を‥‥言うのは、儂の方よ‥‥』


 きっと孝臣も二人の元に行くんだろう。俺たちの戦いはこれで終わりだ。


 何度目だろう。こうして出会い、別れていくのは。皆口々に「人生は出会いと別れの連続だ」なんてしたり顔で言うが、その悲しみとやるせなさを軽減する方法までは教えてくれない。


 ただ今回の別れは決して悪いものじゃない。


 俺は柄を握り、心の中である話をした。あるいは人間が何百年という時を超えるような、あるいは

一人の少年が世界の運命をかけて戦うような、そんな夢の話を。


 孝臣は静かにその話を聞き、最後にぼんやりとした青い灯を光らせて笑った。


『かはは、それは何とも‥‥奇想天外な話だのう』


 その言葉を最後に、俺の手の中にあった妖刀は全てが塵となって消えていった。


 様々な疑問と悔恨を残しながらも終わった鬼の一幕。


 俺は膝に手を置いて立ち上がる。月子はどこまで探しに行ったのか、あるいは今頃俺の処遇を対魔官同士話しているのか。どちらにせよ近くにはいなさそうだ。


 よかった、それなら都合がいい。


 地面に落ちていた金属製の針を持ち上げる。多分月子が使ったものだろう、微かに魔力の残滓が感じられた。これなら丁度よさそうだ。


 それで、




「覗き見するだけして帰れると思ってるのか、てめえは?」




 魔力を高速で回転。人体の速度を超えて上体を鞭の如くしならせる。


 投擲。


 全力で投げられた針は衝撃波を放ちながら木々の枝をへし折って進んだ。


 ドッ! という音とともに森の向こうで葉が散って揺れた。


 一応当たりはしたか。相手の気が緩んだ瞬間を狙ったから、俺がやったのは見られてないと思うけど、見られていたところで、もうどうでもいいとさえ思えた。


 とにかく今は、帰ってリーシャたちに会いたい。君たちのおかげで、やるべきことはやれたと、そう伝えたかった。

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