第88話 妖刀の語り

 妖刀は先ほどまでの荒々しさはどこへやら、今はすっかり大人しくなっていた。かといってこのまま土産物屋にクーリングオフというわけにはいかないので、仕方なく鞘から刀を抜いた。


「おい、寝たふりはやめてさっさと起きろ」

『黙れ小僧。貴様一体何者だ?』


 その声は音となって出たのではなく、頭に直接響いてきた。アステリスでなら知性ある武器に出会ったことがあるけど、まさか地球にもあるとは思わなかった。


 あっちは英雄級の魔術師によって作られるものがほとんどだったはず、地球にもそれができるほどの魔術師がいたってことか。


 それにしてもこの刀、立場というものが分かってないらしい。


 腕に魔力を込めて部分的に鎧を顕現させ、柄と刀身を掴む。


「お前にその気がないなら話は終わりだ」

『小僧、貴様何をしようとしている、おいまさかやめろ!』


 やめろと言われてやめるか魔剣もどきめ。人様に迷惑かけるまえにここで鉄くずに変えてくれるわ。


 掴んだ刀身を全力で折り曲げる。ギシギシと鋼が悲鳴を上げ、刃が手の中で潰れていく。同時に別の悲鳴も聞こえてきた。


『待て待て待て! やめんか小僧!』

「断る」

『貴様本当に人間か⁉ 陰陽師にもこんな無茶をする人間はいなかったぞ!』


 なんと妖刀だけあって陰陽師とも面識があるのか。黒井さんの話が本当ならこいつは数百年前の出来事も正確に知っている生き字引ということになる。生きているかは謎だけど。


 そんなことを考えながら力を込め続けていたが、次の一言に手が止まった。


「小僧、もしや魔族ではあるまいな⁉」


 ――なに?


 思わず片手を離して刀身をマジマジと見つめてしまった。

 妖刀はといえば突然俺が手を離したことに驚いたのか、言葉を発さず妙な沈黙が生まれた。


「今なんて言った?」

『貴様本当に人間か?』

「その後だ」

『魔族ではなかろうな』


 やっぱり聞き間違いじゃない。


 なんで地球の妖刀から魔族なんて単語が出てくるんだ? 昔の日本には魔族と呼ばれる妖がいたとか。うーん、だったら言葉としてもう少し残っているだろうし。


 考えていても仕方ない。再び刀身に手を掛けると、優しく話しかける。


『おい小僧、どうしてまた刃を握る』

「お前は今から俺の言うことにだけ答えろ。妙な嘘を吐こうものなら、その瞬間に折る」

『‥‥脅すつもりか』


 失礼な。初っ端から問答無用で折らないだけありがたいと思え。


「アステリスという言葉に聞き覚えは?」


 今度驚きに固まったのは刀の方だった。言葉もなく魔力が揺らいでいることから、その動揺が伝わってきた。


 もはやその反応が答えみたいなもんだ。


 こいつはアステリスの存在を知っている。


「妖刀がどうしてアステリスを知ってる。何かの拍子に流れてきた漂流物か、それとも昔の使い手にアステリスから来た人間がいたのか?」


 日本刀なんて向こうじゃ見たことがないから、ありそうなのは後者だろう。


 しかしそんな予想を裏切るように、妖刀は重い口を開いた。


『何を勘違いしている小僧。儂はそもそも刀ではない。世嘉良孝臣せがらたかおみという一人の人間だ』

「何?」

『何故貴様がアステリスについて知っているのか気になるところではあるが、負けたのも事実。少しばかり話してやろう、儂ら二人の話をな』


 二人、その意味を問うよりも早く妖刀は語り始めた。


 文芸部の喧騒も遠い静かな夜、幾百年の時を超えて言葉は紡ぐ。運命のほつれに翻弄され続けた、ある双子の話を。




     ◇   ◇   ◇



 

『儂らが生まれたのは魔族と人族の境界に近い人族の農村であった。儂と弟は双子でな、生まれた時から酷い迫害を受けて育った』

「双子だったから?」

『違う。儂と弟が、人族と魔族の混血であったからだ』

「‥‥」


 嘘だろ。


 正直信じられない、人族と魔族が子を為すなんて、天地がひっくり返ってもあり得ない話だ。まだ松田が真人間になる方が可能性を感じられる。


『あり得ないことだ。しかしあり得ないことが儂らの身に起こっていた。母は人族、顔も知らぬ父は魔族であった』

「父親を知らないなら、確証はないだろ」

『残念だが証拠があったのだ。弟は魔族の血を色濃く受け継いでいた。誰が見ても分かるほどに』


 そうか。それなら間違えようがない。


 人族と違って魔族は個体によって身体的特徴が大きく異なる。ジルザック・ルイードのようにほぼ人族と変わらない見た目の者もいれば、明らかに人族とかけ離れた見た目の者もいる。


 しかしどの魔族であっても人族と大きく違う点がある。


 それは魔力量。


 基本的に魔力量で人族が魔族に勝ることはない。魔術において魔族は生まれながらに圧倒的なアドバンテージを持っている。


 その代わり究極の個人主義者ばかりで集団行動ができなかったり、生殖能力が低かったりといくつか難点もあるので、一概にどちらの方が優れているとは言えない。そうでなければとっくに人族は滅ぼされている。


 恐らく妖刀の弟も人族からかけ離れた魔力を持っていたんだろう。


『あそこは地獄だった。道を歩くだけで石を投げられ、殴られ、罵倒の中で生きてきた。生んだ母を憎み、消えた父を憎み、世の全てが黒い靄に見えた。それでも生きてこれたのは、皆が父の報復を恐れていたからだろう』


 暗く重い声が静かな部屋の中で情景を呼び起こした。血を吐きかけられるような罵詈雑言、理由もなく振るわれる暴力。叫ぶ力すらもなく二人の少年は互いに互いを守るように身を丸めていた。

これはイメージが直接俺に届いているのか。



 妖刀の中に刻まれた記憶の欠片がぱらぱらと落ちては俺の中で砕けた。


『そんな時、母が病で死んだ。それでも父は現れず、興味がないのだと判断した村人たちは儂らを殺そうとした。そこから命からがら逃げだした儂らは――』


 妖刀は一度言葉を区切り、真実を確かめるようにゆっくりと続けた。


『気付けばこの世界で看病されていた』

「‥‥」


 事実、なんだろう。


 信じがたい話だが、この妖刀の話には真の重みがある。それは情報の正しさとかそういう話ではない、張りぼてには決して存在しえない厚みがそこにはあった。


『儂らを助けてくれたのは農村の夫婦でな。一人娘がおった。長男を幼い頃に亡くしていて、儂らを本当の息子のように扱ってくれた』


 話は続く。


『誰も儂らを迫害しない。生活は貧しかったが、それだけで幸せだった。いつしか弟は娘と恋仲になり、夫婦となることを約束した』


 妖刀はそこで何かを耐えるように言葉を止めた。気のせいか刀身が震えた気がした。


『しかし幸せはそう続かなかった。どこぞの戦で敗れた落ち武者どもが村を襲ったのだ。数も多く武装した奴らに、儂らも対抗したが、力及ばずあらゆるものが略奪された。その中には――』


 聞かなくても分かる結末。それでも俺は止めず、妖刀もまたその現実から逃げることをよしとしなかった。


『その中には、妻となった娘もいたのだ』

「‥‥そうか」

『幸か不幸か儂らの身体は頑丈だったようでな、傷を負いながらも一命を取り留めた。しかしその日から弟は魔術に目覚め、鬼となった。武士を、いや力を持つ者たちを殺す鬼に』


 感情の励起。途方もない怒りと憎悪が魔術を呼び起こしたのだろう。


 その力があれば妻を守ることもできただろうに、全てが終わった後に力に目覚めるのだから皮肉が効いている。


『儂も理不尽を怒り、憎んだ。しかしたった一人、この世で血の繋がった肉親だ。鬼道に堕ちた弟をそのままにしておくことも忍びなく、せめてこの手で引導を渡してやらねばと決意したのだ』


 聞けば聞くほど救いのない話だ。


『儂自身魔術に目覚め弟を追ったが、結果は振るわなんだ。魔族としての力に覚醒した弟は強く、儂は何もできずに一蹴された。脚を切り落とされた状態では追うことさえ叶わず、最後には床で、高名な陰陽師が弟を封じたと聞かされた』


『誰も弟を殺せなかった。命は尽きても怨讐は消えぬまま、年月だけが幾度となく巡っていった。魔術によって刀に憑依した儂自身、弟に巡り会うことも叶わず、深い眠りについていた。――しかしここ数日のことだ、底に沈んでいた意識が浮上したのは。儂らは双子だ、儂が目覚めたということは即ち、弟の意識も覚醒し始めているのだろう』


 なるほど、大体話が掴めた。


「つまり弟を殺すために、俺を利用しようとしたのか」

『その通りだ。儂らの因縁に他者を巻き込むことは心苦しいが。この身体は見ての通り、儂一人では誰も傷つけられぬ鈍だ。頼む小僧、どうか力を貸しては貰えぬか?』

「‥‥」


 ふむ。


 事情は分かった。そういう理由ならいきなり乗っ取ろうとしてきたのは大目に見よう。しかし弟の討伐に俺が付き合う義理はない。こっちは神魔大戦をやっている最中なのだ。


「だったら俺の知り合いの対魔――陰陽師を紹介するよ。その人たちの方が妖や怪異には詳しいだろうし、刀の扱いは俺も分からん」


 加賀見さんに言えば、きっといいように取り計らってくれるはずだ。放っておけば大きな被害が出るかもしれないし、それが最善だ。


 しかし妖刀は慌てたように震えた。


『そんなことをしている場合ではないのだ! ここ数日、弟の近くにいくつも魔力の波動が近付いている。あれは鬼だ、己に近づく強者がいればすぐに目覚めるぞ、長い時の中で澱んだ怨讐が、一体どれ程の被害を生むか!』

「魔力の波動って、一体何が――」


 いや待て。


 それは近づいたから鬼が起きたのか、それとも起きたから魔力が近づいたのか。


 今俺は何を考えてた。放っておいたら大きな被害が生まれる、それを倒す専門家がいるのだから、その人たちに任せればいい。


 脳裏を過ったのは月子の姿。




「あ」




 嫌になるくらい疑問に思っていたことが繋がって一つの線になった。突然月子が合宿をキャンセルした理由。鬼が目覚め、対魔官たちが動くことになれば合宿なんて行っている暇はないだろう。


 確証はない。


 しかしそう考えると辻褄が合ってしまう。


『どうしたのだ小僧』

「いや、なんでもない」


 考え方を変えろ。


 もし月子が鬼の討伐に向かっているなら、それは最善の結果だ。初めから俺も対魔官に任せるつもりだったんだから、いくつかの過程が省かれる。


 月子の実力は少し見ただけだけど、現地の魔術師の中ではトップクラス。魔力の扱いは俺以上だし、魔術への理解度も高い。鬼となった弟もこの年月で肉体は滅びたはず。たとえアステリスの魔族といえど、肉体を失った霊体程度では相手にならないはずだ。


 だが胸中で広がり続ける黒煙の如き嫌な予感が、心臓の鼓動を加速させる。


 本来封じられた霊体は年月と共に摩耗し、弱体化していくものだ。それがもしこの妖刀の言う通り、数百年に渡って尚色褪せない憎悪だとしたら。


 途方もつかない抑圧から解放された想いは、一体どれ程の脅威になる。


 あり得ない、考えすぎだ。


 そう自分に言い聞かせても、嫌な予感は消えてくれない。


 さっきの陽向の時と同じだ。こういう嫌な予感程よく当たる。


 俺がもし何のしがらみもない立場だったら、と思う。


 しかし今は違うのだ。


 リーシャの命を背負い、神魔大戦で戦うことを決めた。ここで俺がリーシャの元を離れて月子を助けに行くのはあまりに不義理だろ。


 リーシャたちを連れていく? いや、明らかに今回の件は神魔大戦とは関係ない。俺の事情で連れまわすなんてできないし、何より不自然過ぎる。


 『我が真銘』が発動している間、誰も俺が騎士とは気付かない。


 だが絶対ではないのだ。


 状況証拠から繋いでいけば、騎士と俺が同一人物だと推測することはできる。月子程の実力者なら、少しでも疑念を持てば、どこかで必ず俺の隠蔽能力を看破するはずだ。


 それだけは、嫌だ。


「‥‥」


 なんでだ?


 最悪バレたって何の問題もない。俺と月子はもう付き合ってるわけじゃないし、むしろ俺の正体を知った方が神魔大戦の連携もスムーズになるはずだ。


 理屈では分かってる。分かっているはずなのに、心が拒絶を叫んでいた。


 そうだ。




 俺はどうしようもなく、勇者の過去を月子に知られたくないんだ。

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