第413話 六天星宮
◇ ◇ ◇
白亜の庭園を炎が舐めた。
獅子の赤いたてがみは、
「『
上空から翼を広げたイリアルが、炎に向かって幾万の槍を放った。
沁霊術式へ至った彼女の魔術は、これまでとはまさしく物が違う。格段に威力の上がった
「なっ――⁉」
空にいるのは彼女だけではない。
『
イリアルはその存在を認めた瞬間回避行動に移り、叩き落とされた。
既に彼女の周りには
――『
落ちるイリアルの真下に、黒い矢が音もなく滑り込んだ。それは真っ黒な口を開けると、そのままイリアルを飲み込んで閉じる。
床に落ちる影を移動するネストは、
「うぐ‥‥かはっ!」
「無事、か」
「はぁ、はぁ――助かりました」
銀髪は血と土埃で汚れ、全身に裂傷が刻まれている。
イリアルの魔術、『
ネストは弓に矢を
「正面からぶつからず、術師を狙う――」
斜め上から狼の
翼を展開しようとするイリアルも、半身を影に沈めたネストも、気付かない。
二人がそれの存在を知覚したのは、ダイヤモンドの牙が閉じられる瞬間だった。
ガツン‼‼ と合わせられた顎は周囲の光すらも削り取り、一瞬の闇を生じた。
人など、原形どころか
「馬鹿‼ 気ぃ抜くんじゃねえ‼」
寸前で二人を救出したコウガルゥが切羽詰まった声で叫んだ。
「選択を間違えるな! 死ぬぞ‼」
勢いのまま二人をぶん投げながら、コウガルゥは目の前の敵から目を離さなかった。
敵は
どの敵も
烏と獅子の攻撃は広範囲を殲滅する。軍を構えていれば被害は甚大だが、今回は少数精鋭だ。
その上こちらにはエリスがいる。
彼女の『
厄介なのが、狼だ。
速く、突破力が高い。
奴にエリスを取られたら、この戦いは終わりだ。
『
『
シキンすら一撃で消失させた攻撃を、狼には既に何発も叩き込んだ。
しかし狼は
火力だけではない。
この
そんなことは分かっている。
それでも、
「クソが、近付けねえ――‼」
攻撃の圧が強すぎて、まともに距離を詰められない。
コウガルゥが今できることは、仲間たちを殺されないようにフォローに駆けることだけだった。
同時にコウガルゥ以上の負担を負う者がいた。
「――――っはぁ――‼」
肉体の限界を迎え、思い出したように呼吸をする。
エリスは充血した瞳から血を流しながら、レイピアを振るって魔術を奏で続けていた。
彼女が今行っているのは、ユースケの治療と敵の攻撃の防御、仲間たちの支援だ。
『
エリスがいなければ、イリアルもネストも、既に三桁以上死んでいた。
毒を用いてバイズ・オーネットを倒した『
三日三晩、魔王軍の攻撃から自軍を守り続ける持続力。
エリス自身の魔力だけでは足りない。
敵の魔力を己の魔力とする反則級の術式だ。
「はぁ――はぁ――‼」
それでも尚、彼女は限界の
個人が扱うには膨大すぎる魔力を回し続け、五感を超えて周囲の状況を探知し、それに合わせた術式を発動する。
一手一手が必殺の攻撃。ほんの少し判断を誤れば、ミスをすれば、誰かが死ぬ。
口の中は血の味が
冷たい身体の中で、頭だけが熱をもって回転し、魔術を発動し続ける。
いつ倒れてもおかしくない状況で、エリスが戦えるのは、彼女を支えるのは、たった一つの思いだった。
――ユースケ。
彼が倒れていた。
――ユースケ。
間に合わなかった。
――ユースケ。
もう二度と離れないと。
――ユースケ‼
この奇跡を手放すものかと、そう誓ったのに。
「ぁぁあぁぁあぁあああああああああああああああ‼‼」
レイピアを振るう速度が上がる。炎を切り裂き、嵐を貫き、更に上がる。
一気に膨れ上がった『
「エリス‼‼」
コウガルゥが叫んだ。
今ここでやるのだと、彼も瞬時に理解した。
コウガルゥは戦いが開始してから初めて、足を止めた。そして――溜める。
誰よりも速く、その直線を駆け抜けるために。
天使の人型を舞い踊らせ、イリアルが槍を放つ。
「『
同時に影から飛び出したネストが三本の矢を放った。
「『
歪でありながらも神々しい輝きを放つ白亜の槍が、その光の影に隠れるように三本の矢が、壁と立ちはだかる
そして、嵐の中に人一人分の穴が
「――――」
ユリアス・ローデストへと至る一本の道が繋がった時、コウガルゥは地を蹴った。
『
力を溜めた足が、爆発した。
己の骨も肉も粉砕し、時を加速させる。
誰にも止められないその進撃に、一体だけが反応した。
そこへ突っ込めばどうなるかなど、予想の必要もない。
「『
それに対し、コウガルゥはギアを上げた。
加速に加速を掛け合わせる。
そしてそのままに、
双方の衝突は、銀と
狼の身体は周囲の茨と炎を丸ごと消し飛ばし、破裂する。
全身に牙を食らったコウガルゥは、残った足で地面を蹴飛ばした。
「がぁぁぁあぁああぁああああああああああああああ‼‼」
穴を抜け、ユリアスを眼前に捉えた。
両脚と、
それでも残った左腕を振り上げ、魔力を圧縮する。
その顔面を殴り飛ばす。
単純明快に最強な攻撃を前に、ユリアスは動かなかった。
動く必要がなかった。
「『
ユリアスのすぐ隣に、金の
加速した時間を進むコウガルゥに対し、完璧なタイミングで魔法を合わせたのだ。
それは大きく、更に体長の数倍はあろうかという曲がりくねった角を持つ山羊だ。
角が雷光を発し、爆ぜる音を響かせた。
音などより遥かに速く動いているはずのコウガルゥは、確かにその音を聞いた。
「
山羊の頭を、雷の槍が吹き飛ばした。
それは勇輔を片手に抱きかかえたまま、空に浮かぶ月子の一撃。
心臓マッサージを続けながら、同時に攻撃を放っていたのだ。
「――」
初めてユリアスが驚きに目を見開いた。
そして英雄は、その隙を逃さない。
「『
加速した拳が蒼と銀の尾を引きながら、ユリアスの顔を真っ直ぐに殴り飛ばした。
玉虫色の頭が吹き飛び、身体が宙を舞う。
「『
そこへ、
その力を示すように、白い光は
それはまさしく戦いの終わりを示す
「素晴らしい力、美しい連携だ」
絶望の声が、入口から聞こえた。
「そんなっ――⁉」
「馬鹿な‥‥」
戦士たちの後ろ、皆が背を向けていたそこに、ユリアス・ローデストが立っていた。
傷どころか、息一つ乱さず、凛とたおやかに立っていた。
「今ので‥‥死んだはずじゃ‥‥」
震える声を絞り出したイリアルに、ユリアスは穏やかにほほ笑んだ。
「ああ、私は今間違いなく死んだよ。回避の隙すらなく、
「では‼」
どうして生きている、と言葉は続かなかった。
「一度死んだ程度では、死ねない身体なんだ」
どこか
矛盾する言葉が、どうしてか事実だと
どさりと、何かが倒れる音が聞こえた。
「――――はぁ――ぁ――」
限界を超えて地面に伏したエリスが、
もはや指一本動かす力も残っていないだろう。
それでも彼女の目は、喉を食い破らんとする意志に満ちていた。
その奥では、両手足から血を流すコウガルゥが倒れている。
もはや勝敗は決していた。
それでもユリアスは手を緩めない。それが四英雄への最後の手向けだと言わんばかりに、魔法を発動した。
「『
獣たちの乱舞が、空間を洗い流した。
風が、炎が、大地が、雷が、樹々が、水が、混じり合い、絡み合い、全てを
◇ ◇ ◇
伊澄月子は動けなかった。
眼下を津波とも
知らず、勇輔を抱く腕に力が込められていた。
「月子、その様子だと魔術が
「ッ――⁉」
目の前にユリアス・ローデストが立っていた。
今の月子は『
しかし月子が驚いたのは、そのことではなかった。
この距離で、真正面からユリアスを見た時、そこに感じたのは恐怖ではなかったのだ。
――懐かしさだ。
似ても似つかない。
あり得ないのに、彼女はその呼び名を口にした。
「
死んだはずの当主の名を受け、ユリアスはよく見た笑みを浮かべた。
そうまるで、孫娘を見るような柔らかな笑みを。
「やはり君の才能は私の血筋の中でも、一際輝いている。まさか本当にここまで来れるとは、思っていなかったよ」
「‥‥そんな、どうして‥‥」
ユリアスの言葉が、暗に月子の言葉を肯定していた。
ユリアス・ローデストは、伊澄天涯である。
そんなはずがないと頭の中の冷静な部分が叫んでいるのに、もっと別の奥深く、本能が語っていた。
目の前の人間が、自分と血を分けた肉親であると。
「元々伊澄家は、日本で活動するために興した家なんだ。随分と居心地が良くて、長く一か所に留まってしまった」
ユリアスは懐かしむように言った。
「月子、君は伊澄の家でも特別だ。『
「そんな、そのために、私を‥‥」
握った金雷槍が、途端に冷たくなっていった。
魔力が重く
脳裏に駆け巡る、幼少の記憶。厳しい鍛錬の中でも、確かに感じていた天涯の愛情。
それが全てまやかしだったと、作り物だったのだと、頭が理解し始める。
そこへ、甘いささやきが滑り込む。
「月子、私ならユースケも蘇生できる。今より不自由な身体にはなるだろうけれど、君と共に暮らす分には問題ないはずだ」
「――‼」
腕の中で冷たくなっていく勇輔の感触に、心臓が跳ね回る。
たす、かる。
勇輔が、助かる。
それはあまりに甘美な言葉だった。
彼と二人で幸せに暮らすことができれば、それ以上は望まない。それが、願いだった。
「さあ、月子。共に
差し出される手に、手を伸ばす。
勇輔が、最愛の人が助かるのなら、
『私は‥‥私は、もうあなたに傷ついてほしくないの。それが我が儘でも、結果的に勇輔と離れることになっても、それでも』
『私の、大事な人だから』
倒れた勇輔の姿が、フラッシュバックする。
もう二度と傷つけさせないと誓った彼が、ぼろぼろになって倒れていた。
それをしたのは、ユリアスだ。
バチィッ‼ と金雷が走り、ユリアスの手を弾いた。
「‥‥それが、答えかい?」
「黙りなさい。私は人類の守護者よ。敵と手を組んだりはしない。何より――」
月子は顔を上げた。
絶対に勝てないと思っていた相手の目を、真正面から見据えて言う。
「大切な人を傷つけた手を握れるような女じゃないわ‼」
カッ‼ と
その中でも、彼はほほ笑んでいる。
分かっている。
勝てないってことくらい。
それでも、引けない。
「はぁぁぁああああああああああああああ‼」
魔力が稲光となって爆ぜる。
「『
神の魔法を前に、月子は目を閉じなかった。せめて最後まで戦おうと、雷を放ち続ける。
そんなものは意にも介さず、天地創造の波が迫った。
月子は目を開けていたからこそ、その瞬間を見た。
「――――え」
ユリアスの魔法が、月子の目前で止まった。
まるで何かに遮られるかのように、うねり、叩き、壊そうともがき、行き場を失って流れていく。
光が照らしだすのは、まさしく黄金の城。
術師の信念を表すかのように、何よりも強固な壁。
『聖域』である。
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