第412話 至った真理

    ◇   ◇   ◇




 時は月子たちが扉を開ける前にさかのぼる。


 ユリアスに斬りかかった俺は、すぐに違和感に気付いた。


 七振り。


 ガレオさえも仕留めた『七色連環剣ななしきれんかんけん』は、くうを斬った。


「『相変わらず、避けるのが上手いな』」

「武芸はたしなむ程度でね」


 少し離れた位置で、ユリアスが笑っていた。


 忘れようにも忘れられない魔術。


「『転生しても魔術は変わらずか。『調和レゾナンス』だったな』」


「嬉しいよ。覚えていてくれたのかい」


「『散々身体を削った魔術だ。忘れるものか』」


 『調和レゾナンス』。


 ユリアス・ローデストが使う魔術であり、最強の魔術。


 その力は、自身の存在をあらゆる物と調和させる。


 大気と調和すればユリアスの身体は風となり、海と調和すれば津波を起こす。


 森羅万象を文字通り我が物とし、自在に操る魔術だ。


 一人で天変地異を引き起こすのだから、その力はもはや魔術師のレベルを超えている。


 更にユリアスはこの地球で六千年を生きている。


 千年間、修練を続けたシキンがあの強さだ。ユリアスは推して知るべしだろう。むしろ予想出来る程度なら、可愛いものだ。


 今の俺の剣も、身体を風にして避けたのだろう。斬るなら星剣ステラで魔術を分解してからになる。


「『ふぅ――』」


 感情の励起れいきによって魔術の力が高まるといえど、余分な気合は気負いになる。


 息と共に吐き出し、脱力する。


 斬る。


 曇りなくその一点に焦点を合わせ、バスタードソードと長剣を構える。


 ガレオとの戦いから使い続けている『無限灯火フレム・リンカー』は、もう長くはもたない。


 ユリアスは『無限灯火フレム・リンカー』の力を知らない。勝ち筋があるとすれば、そこだ。


 その覚悟に水を差すように、ユリアスが唐突に言った。


「そういえばユースケ、私がどうやってこの第二次神魔大戦を始めたのか、詳しい説明をしていなかったね」


「‥‥何の話だ?」


「神魔大戦の術式は本来、人が手を加えられるような代物じゃない。無意識の集合体だからね。規模も、システムの抽象性も超次元のものだ」


「何が言いたいんだ?」


 要領を得ないユリアスの話に苛立ちがつのる。


 まさかこれも作戦か? いや、ユリアスはそんなまどろっこしい小細工はしない。


 語らなければならない理由があるのか。


「元々はアステリスから漂流した少女、シュルカと出会ったのが始まりだ。聖女リィラの血を引く彼女は、特別な魔術の素質を持っていた」


「特別な魔術?」


「『汪眼おうがん』と呼ばれる魔術だよ。聖女リィラがアステリスを発見した魔術だ。術者のイメージ次第で、空間を超えてあらゆる場所の光景を見ることができる」


「それで地球からアステリスの状況を観測していたのか」


「その通りだよ。見ることができれば、干渉できる。しかし干渉できたからといって、神魔大戦を書き換えるのは不可能だった」


 だから、とユリアスは言葉を区切り、その手に一羽のからすを出現させた。


 二対の翼を持つそれは、俺たちに『昊橋カケハシ』への招待状を届けた烏だ。


 同時にこの世界に来た皆が言っていた。



『神の使いに呼ばれた』と。



 誰もが神魔大戦を疑わなかった。


 何故ならそこには人知を超えた神の気配があったからだ。


 人々の無意識が生み出した神の術式である『神魔大戦』。それに干渉できる力は、もはや人の域を超えている。


 朗々ろうろうとユリアスの言葉が響いた。


「神魔大戦を書き換えるだけの力を手に入れるのは、個人では不可能だった。どれだけの時間を修練に費やそうと、到達できる段階には限界がある。だから、『新世界トライオーダー』を作った」


 ――待て、土御門が言っていたはずだ。


 『新世界トライオーダー』は遥か昔から存在し、歴史の影で魔術師たちを組織化してきたと。


 導書グリモワールにばかり目が行っていたが、その組織の巨大さは、どれ程のものだ。


 この地球に、魔術師は何人いる?


「元々、迫害される魔術師たちを救済し、生きていける環境を作りたかったんだ。それが聖女リィラと魔将グレンの願いでもあったからね。同時に彼らには、ある役割を担ってもらうことにした」


「『まさか‥‥貴様‥‥』」


 点在していた予想が線を結び、形を作る。それはさながら星空に星座を見つけるように。


 ユリアスが烏を持ち上げ、空に放つ。


 二対の翼は空に溶け、次の瞬間、城内を打ち払った。


 床に叩きつけられた天狗風てんぐかぜは、一瞬で城を満たし、逃げ場を求めて天井を、壁を吹き飛ばした。


「『ッ――⁉』」


 ただ羽ばたいただけだ。それだけで吹き飛ばされかけた。


 全身から魔力を発して対抗しなければ、壁もろとも外に放り出されていただろう。


 魔王城の外に広がっていたのは、宇宙のように遠い光が散乱する黒の空間だった。


「神は原初において存在しない。人々の願いが、祈りが重なって器となり、そこに想いが注がれて動き出す」


 ユリアスの上にいた烏は、その姿を変えていた。


 翡翠ひすいの風が二対の巨翼となり、ドームのように広がる。


 これが答えだ。


 ユリアス・ローデストが到達した、真理。


「世界を変えるために、私はこの魔術を創り上げることを決めた。傲慢ごうまんで、不遜ふそんで、独善どくぜん的な最低の魔術だ。そう、君たちにならい名を付けるなら――」


 聖女リィラと魔将グレンがまつり上げられた座。


 ユリアスは人でありながら、人であるからこそ、人を辞める選択を取ったのだ。



 

「『選定の神デウスエクスマキナ』」




 人々の無意識が神を創る。


 六千年という途方もない時間をかけて、ユリアスはある考えを魔術師たちに浸透させたのだろう。


 『新世界トライオーダーの主は、神である』と。


 現代の宗教でも実在した人間が神として扱われる実例がある。


 ユリアスの崇拝者は決して表には出ない魔術師たちだ。密かに、社会に現れないところで、その考えは当たり前のものとして根付いたのだろう。




 ユリアス・ローデストは、神である。


 神話として語られ。


 虚像ではなく。


 今を生きる。


 最も古き。


 魔術師たちの、神である。




 聖女リィラや魔将グレン・ローデストと同様に、ユリアスは神格を得た。


 唯一違うのは、求めたものか、そうでないか。


選定の勇者ブレイブフェイス』でさえ、ただの中学生を勇者にまで押し上げた。


 それを超えるだろう『選定の神デウスエクスマキナ』がどれだけの力を持つのか、鎧をビリビリと震わせる圧が、物語っていた。


 榊綴さかきつづりが発動した魔術の中で、神格を持つ敵とは戦った。


 しかしあれはあの空間限定の作り物だ。


 あのレベルでさえ、もう一度戦って勝てるか分からないのに、笑ってしまう。


 こいつは、本物だ。


 ――疑いようのない、本物の神だ。


「ユースケ、申し訳なく思うよ。君とは、自分の力だけで戦いたかった。もはや私自身、私が私であることを止めることができないんだ」


 これ程か。


 こんなにも違うものかよ。


 存在の肌触りが、俺が会ってきた何物とも違う。


 剣が震える。


 それが武者震いでないことは、自分が一番よく分かっていた。


「今から使うこれは、私は魔術とは呼べない。自分の中にあった沁霊は、気付いた時には姿を隠してしまった。対話も術理もなく、そうあるべきと断ずるこれは、魔術ではないんだ」


 翡翠の鳥が身じろぎした。それだけで、突風が吹き荒れ、凍てつく刃のように鎧を斬りつけた。


 風の中で、ユリアスの声が聞こえた。


 「これは、『魔法・・』だ」と。




「『大鳥の座アルタイル』」




 翼が空間を打ち払い、颶風ぐふうじれた。


 ――剣を、技を――‼


 考えられたのはそこまでだった。


 足が浮かされ、次の瞬間には宙に放り出されていた。全身が激痛にさいなまれ、鎧には爪痕のような傷が刻まれていた。


 待て。今のは風か? 嵐というにもあまりに強すぎる。


 思考がまとまらない。俺は今どういう状況なんだ。


 ゴッ! と殴られたような衝撃で、地面にぶつかったのだと理解した。


 立て。立って剣を構えろ。魔力を回せ、まだ動けるだろ!


「『がぁあああああああああ‼』」


 魔力で鎧を補強し、更には身体を強引に動かして立ち上がる。


 まだだ、まだ戦える。まずはユリアスの魔術を見ろ、それが魔術であるなら、星剣ステラで斬れる。


「凄まじいな。島を吹き飛ばし、大陸をならす風だ。導書グリモワールでも耐えられる者はいない」


「『舐める、なよ‥‥』」


 くれないの魔力がほとばしり、刀身が鳴いた。


 思ったよりも距離が離れていない。この距離なら、からすが翼を動かすよりも先に斬れ――。


「『うぐぉっ⁉』」


 ガンッ‼ と空からの衝撃に膝が地面に着いた。


 即座に剣を地面に突き立てて耐えるが、あまりの重さに立ち上がることもできない。


 っ⁉ これは、なんだ。上から、何かに押さえつけられている。


 垂れた頭に、ユリアスの声が聞こえた。


「ユースケ、私の魔法の原型は『調和レゾナンス』だ。ただ、その規模は魔王であった時代とも比較にならない。神としての力を手にした今、私が調和しているのは、この星そのものだ」


「『ほ‥‥し‥‥?』」


「息吹で嵐を起こし、足を踏み鳴らして大地を揺らす。手ですくった水は津波になり、瞬きは雷を落とす」


「『‥‥冗談にしては‥‥面白くない、な‥‥』」


「事実だよ。君は山を斬れるだろう。海に穴を穿うがつことだってできるはずだ。しかし、大陸を両断できるかい? 海を干上がらせることは? 私がいるのは、そういう次元なんだ」


「『安心しろ‥‥俺が斬るのは、星じゃない。お前だ‥‥!』」


 言いながら冷や汗が背中を伝うのが分かった。


 もしユリアスの言葉が本当だとしたら、まずい。人は自然には勝てない。人間は自然を利用することはできても、打ち勝つことはできない。


 それはひどく単純なスケールの違いだ。この星に生きる物なら、当たり前の摂理。


「終わりにしよう、ユースケ。君と話ができて、嬉しかった」


「『勝手に終わりにするんじゃねーよ』」


 ――ふぅ。


 『我が真銘』から膨大な魔力を引き出し、全身を満たす。頭の先からつま先まで、水で満たすように魔力を回す。


 俺個人が使うには、限界を超えた魔力量だ。


 それでもここまで魔力を圧縮すれば、外部からの影響に対して強くなる。


 地面に足を突き立て、上体を起こす。


 この重さは重力ってわけだ。全ての生命を星に縛る鎖、軽いわけがない。


 それでも立てる。前を向けば、剣を構えられる。


「『行くぞユリアス』」


 この状態でいられるのはあと数分が限界だ。


 そこで勝負を決める。


 極限まで意識を研ぎ澄ませ、技を冴え渡らせる。


 魔法だろうが魔術だろうが、魔力で動いているのは変わらない。そしてそれを動かしているのはユリアス個人だ。


 バイズ・オーネットの複合術式を打ち砕けたように、出力が強大であっても、無敵ではない。


「君のそういうところが、私は好きだよ」


 ふっと笑ったユリアスは地面を軽く踏み鳴らした。


 直後、ユリアスの背後から紫紺の獣が現れた。


 見上げなければ頭が見えない狼。


 狼が一歩を踏み出す度に、床は砕け、空間が揺れる。


 透き通った体毛の中で、キラキラと粒子がきらめいていた。


「『貪狼の座テーリオン』」


 ――来る‼


 そう思った時には地面を蹴っていた。


 重力の束縛から逃れ、走る。


 ドドドドドド! と俺の行く手を読んでいるように重力の力場りきばが作られるが、それを全てすんでのところでかわす。


 あと少しでユリアスに届くというところで、それが来た。


 狼が前脚を叩きつけてきたのだ。


「『くっ⁉』」


 星剣ステラで分解しようとするが、あまりにも魔力の密度が高い。刃は紫紺の毛皮を浅く斬りつけ、要所を斬るには至らなかった。


 それでも攻撃の反動で身体をずらす。


 今こいつとやり合う余裕はない。すり抜けて、ユリアスの下へ行く。


「――」


 あごがすぐ近くで閉じられた。


 当たるはずのない一撃に、左腕を長剣ごと食われる。


 鉄壁の鎧は、バキバキと音を立てて食い破られ、万力に挟み潰されているようだ。


「『がぁぁぁあああああああああ‼』」


 右手一本で嵐剣ミカティアを放ち、狼の喉を斬る。浅い傷だが、ひるんだ隙に左手を引き抜きながら距離を開けた。


 くそったれが、あの狼そのものが、重力の塊かよ‥‥⁉


 奴の牙に俺が引き寄せられた。しかも狼の体内でキラキラと輝いていたのは、ダイヤモンドだ。


 からすが飛ばした瓦礫が狼の体内で圧縮され、ダイヤモンドに姿を変えたのだ。


 いかれている。


 左腕は変形し、使い物にならない。鎧は再生できるが、繊細な技が打てる状態ではなくなった。


 頭の中にガンガンと響く痛みで、意識が飛びそうだ。


 ユリアスは一歩も動いていない。


 あと少しなのに、それがとてつもなく遠い。


「『炎獅子の座レグルス』」


 ユリアスの声が聞こえた瞬間、その場を飛び退いた。


 同時に石の床が燃えた。ただの炎ではない。ガスと灰と、滅亡を運ぶ噴煙ふんえん


 ――今度は炎かよ‼


 黒と赤の入り混じったたてがみが、全身にまとわりつく。


「『ぐぁぁああああああ――‼』」


 いくら剣を振ろうと振りほどけない。炎は水分を蒸発させ、肺を焼き、肌を炭化させる。


 地面を無様に転げまわり、少しでも安全な場所を探す。


 背中が壁に当たったと思ったら、そこは俺が入ってきたはずの扉だった。そこだけが、この異常気象の中で無事に残されていた。


 ひゅうひゅうとか細い呼吸が喉を鳴らす。手足の感覚はほとんどなく、身体の奥が冷たい。


 ――そういえば、皆はどうしているかな。


 まだ生きているのなら、ここに来てはいけない。


 炎の奥で、烏と、狼と、獅子と、大蛇と、猿と、山羊が俺を見ていた。


 はははは。


 笑うしかないな。


「『‥‥!』」


 血の吹き出す膝に手を乗せ、気力だけで、立ち上がる。


 ごめんな皆、俺じゃ、どうしようもできなさそうだ。


 それでも少しくらい役に立たないと、剣を取った意味がない。


 あの日リーシャを守ると誓った言葉が、嘘になる。


 弱弱しい手で構えた剣は、刀身のほとんどが砕けていた。維持する魔力すら、操作できていない。


 必死で剣を振り上げ、魂を吐き出すように叫んだ。


「うぉぉぉおおおおおおおおおおお‼」



 ――頼む皆。



 ――――どうか、生きてくれ。



 ちっぽけな勇気を踏みつぶすように、災害の咆哮ほうこうが重なり、とどろいた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




いつもお読みいただきありがとうございます。

最終決戦、ラストまでノンストップで駆け抜けます。

ぜひ最後の時を共に見届けてください。

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