第414話 恋をしたから

    ◇   ◇   ◇




 シュルカの『汪眼』によって映されたユリアスの戦いは、希望を抱くことさえ許されない一方的なものだった。


 リーシャたちが一番初めに見たのは、倒れる勇輔と、それを見下ろすユリアスだった。


 あまりにも現実感がなかった。


 勇輔は強い。


 それは勇者としての過去だけではなく、この半年間でリーシャが見続けてきた真実だ。


 その勇輔が、この短時間でぴくりとも動かなくなったという事実に、頭がついて行かない。


 現実の上にフィクションの映像を張り付けられたような、ちぐはぐさ。


 それでも、そう思っていられたのは次の戦いが始まるまでだった。


 導書グリモワールとの裁定を勝ち抜いてきたネスト、イリアル、エリス、月子、コウガルゥがユリアスの前に立ったのだ。


 彼らは勇輔を奪い返すと、そのままユリアスを倒すために戦いを挑んだ。


 そこで知る。


 勇輔とユリアスの戦いで何が起こったのか。


 どれ程残酷で、惨いことが行われていたのか。


「‥‥神、様‥‥?」


 ぽつりと呟いたのは呆然とネストを見上げていたベルティナだった。


 聖女の資質を持つからだろうか。彼女たちにはユリアスの持つ神性が、あまりにも鮮明に見えた。


 ユリアス・ローデストは神である。


 振るうのは人のことわりたる魔術ではなく、かくあるべしと断じられた神秘、『魔法』である。


 その身に宿す力は、人が打ち勝てるものではない。


 それを証明するように、月子を除いた全員が魔法の濁流に飲まれて倒れていった。


 円卓に座るリーシャは、それを遠い目で見つめていた。


 赤い瞳からは涙が絶えず流れながら、それでも閉じることなく、見続けた。


 ――私は何をしているのだろ。


 皆、必死に戦っている。


 一人一人が守りたい者のために、大義のために、信念のために、命を懸けている。


 勇輔が倒れていた。


 呼吸をしているのかどうかさえ分からない。映像から伝わってくる冷たさに、自分がどこまでも落ちていくような気持ちになる。


「――――」


 リーシャは円卓に置いていた両手を持ち上げた。


 まるでその先にいる誰かに触れるように。


「今度は、私が助ける番ですね」


 映像の中では月子がユリアスと対峙していた。彼女は最後まで腕に勇輔を抱き、ユリアスへと拒絶の雷を放った。


 その姿に憧れる。


 この世界に来てから、勇輔の姿をずっと見てきた。彼が無意識に伊澄月子へと送る視線はあまりにも優しく、はかなく、あの人の思いが透けて見えるようで、苦しかった。


 憧れて、嫉妬して、それでもこれでいいのだと、思えた。


「‥‥あなた、何をしているの?」


 リーシャの様子に気付いたシュルカが聞いた。


 その問いにリーシャは答えず、自分の内側にだけ目を向けた。


 リーシャという少女のルーツ。聖女として生きることを運命づけた根源。


 教会で教えられた方法ではなく、ただ真摯に己の内を進み続ける。


 光に浸食され、『昊橋カケハシ』の一部と化した腕が、バチバチと音を立てた。


 自分たちはこの『昊橋カケハシ』の鍵なのだと言われた。最後のピースなのだと。


 ならば動かせないはずがない。


 勇輔も同じことをしただろう。


 最後の瞬間まで決して諦めない姿を、ずっと後ろで見てきた。


「無駄よ。そんなことをしても、魔術は発動しない」


 シュルカの声が聞こえた。


 もうどうでもいいことだ。


 何を聞こうと、自分がすべきことは変わらないのだから。


 リーシャの全身から火花が散り、黄金の魔力がキラキラと舞った。魔法陣に侵された全身は、今にも内側から裂けそうなほどに震えている。


 それでもやめない。


 全ての魔力を回し、運命にあらがう。


「――――‼」


 あまりの負荷に心臓が止まるその瞬間、自分の心の奥底に、誰かが立っているのが見えた。


 自分たちとよく似た、黄金の髪が光を零れさせている。


 もしかしたら、この人はずっとここで自分を待っていたのかもしれない。そう思った。


 彼女が振り返る。


 苦しくなるほどに懐かしい顔が、笑っていた。




『あなたは、恋をしたのね』

 ――はい。


『大変で、辛いことばかりかもしれないわ』

 ――はい。


『それでも自分に正直に、愛に生きるのね』

 ――はい。


 そう、と彼女が言った。


 そしてゆっくりとリーシャを抱きしめ頭を撫でる。暖かい香りは、遠い記憶の中でかすむ、母のそれに、よく似ていた。


『頑張りなさい』




 優しい声を最後に、意識が現実に引き戻される。全身が痛みで張り裂け、呼吸もまともにできない。


 その中で真っ先に、勇輔の顔が、声が、匂いが、仕草が、頭に浮かんだ。


「――ユースケさぁぁああん‼」


 どうか届いて欲しい。


 この思いが、この心が。


 私はこんなにもあなたを想っています。


 命なんて惜しくはありません。


 ただあなたのいない未来を想像することが、一番怖いんです。


 この両手が砕けて消えてしまっても、あなたを一瞬でも守ることができるのなら、それでいいんです。


 だって私は、あなたの居場所だから。


 あなたが、帰ってくる場所だから。


「ぁぁぁぁぁあああああああああああああああ―――――‼‼」


 黄金の光は浸食する『昊橋カケハシ』の魔法陣を塗り替えていく。空間そのものが黄金に輝き、魔術が発動する。




 『聖域』。




 それが展開されたのはここではない。


 映像の中で、月子を守るように黄金の領域が広がっていた。


「そんな馬鹿な――⁉ 『昊橋カケハシ』に干渉して魔術を発動したの⁉」


 シュルカの声が響いた。


 リーシャたちは既に『昊橋カケハシ』の一部として魔法陣に取り込まれている。それを逆手に取り、昊橋カケハシの力を使って、月子の前に聖域を発動したのだ。


 無茶苦茶な力技だ。


 そんなもの、すぐに破綻はたんする。


「っはははははは――‼ やるじゃねーかよ‼」


 呆気にとられたのも数秒、メヴィアは高笑いを上げながら、リーシャと同様に手をかざした。


「私が見ている前で、簡単に死ねると思うなよ‼」


 『天剣』。


 光が重なり、円卓が明るく照らされる。


 それを追うように、ベルティナとユネアも手を出し、魔力をリーシャたちに乗せた。


「ネスト‼」

「姉さん‼」


 しかし『昊橋カケハシ』もまた聖女たちの力に反発するように、力を増した。


 光の幾何学模様きかがくもようが、四人の首を、顔を、全身を締め付ける。


 それでも誰も止めなかった。


 自分たちの声が大切な人たちに届くのだと信じて、最後の瞬間まで、あらがい続ける。


 誰の顔も見えなくなる程に光が強くなる中で、リーシャは確かにその声を聞いた。




『ありがとう』



 

 それを聞けば安心した。もう大丈夫だって。


 陽だまりの中で眠るあの時のような心地よさを感じながら、リーシャは目を閉じた。




『ずっと待っています、ユースケさん』

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