第147話 黄金の嵐

 意識が浮上しては沈んでいく。


 その繰り返しだ。


 まるで波間を揺蕩たゆたう羽根のように、思考がまとまらない。


 カナミはもやのかかった白い天井をぼんやりと眺めていた。


 勇輔はどうなっただろう。リーシャは助かったのか。


 相手は恐らく魔将ロードクラス。勇輔であれば負けないはずだが、相手は一騎当千の怪物だ。


 手助けに行くこともできず、生と死の境目さかいめをさまよう自分が不甲斐ふがいなかった。


 同時に頭にへばりつくのは、恐怖だ。


 もし二人が帰ってきても、戦線復帰できなければ、自分はいる意味がない。


 守護者としての役目をまっとうできない戦士になんの価値があろうか。


 あの人に並び立ちたいと、力になりたいとここまで来たのに、なんという無様さだ。


「‥‥」


 言葉もなく、目から涙がこぼれた。


 情けない。怖い。


 いっそこのまま死んでしまった方が、誰にも迷惑をかけず、失望もされないのではないか。


 そんな考えさえ頭を過った。




「おいおい、本当にやべえじゃねーか。どうなってんだこれ」




 突如、病室には似つかわしくない声が響き渡った。


「それはメヴィア様が日本食うめーと油を売っていたからかと」

「っせーな馬鹿! ユースケがいてこんなことになると思わねーだろ! あの馬鹿は何やってんだよ、神罰だ神罰!」

「メヴィア様、そんなことをおっしゃっている間に、容体は悪くなるばかりかと」

「んなことは分かってんだよ。しゃしゃんな殺すぞ」


 ――何ですの?


 かすむ目をなんとか動かすと、ベッドの横に誰かが立っているらしかった。


 対魔官の誰かだろうか。それにしてはメヴィアという名前は日本人らしからない。


 そして、その名はどこかで聞いた覚えがあった。


 一体どこで。


 記憶の引き出しを開けようとした時、再び声が聞こえた。


「ま、メヴィア様にかかればこんな怪我、秒だけどな、秒」


 直後、魔力がカナミを包んだ。


 どうやら何らかの魔術を発動させたらしい。ほのかな熱が全身に染み渡った。


「っ! 何者ですの!」


 カナミは反射的に跳ね起き、髪に隠していたナイフを引き抜いた。

 そこで気付く。


「おいおい、治ったからっていきなり身体動かすもんじゃねーぜ。ま、私の魔術は完璧だから問題ねーけどよ」

「流石ですメヴィア様。このセバス、感服いたしました」


 ベッドの傍に立っていたのは、一人の少女と礼服を着た老年の男だった。少女の方はパーカーにショートパンツ、更には黒いキャップを被っているため、二人並んで立つと違和感がぬぐえない。


 しかしそんなことはどうでもいい。


「治ってる⁉」


 つい先ほどまで死にかけていたはずの身体が動く。魔力の流れも淀みなく、下手をすれば平時よりも動きが軽い。


 考えられる理由は一つだけだ。少女が発動した魔術、あれが治癒魔術だったのだろう。


「あなた方は一体‥‥」


 治癒魔術自体が希少であり、あれだけの怪我を一瞬で治すなんて尋常の技ではない。


「あん? 私が誰かって?」


 キャップの奥で少女の目が光った。鮮やかな金髪に赤い瞳。


 まるで神が手ずから作り上げたような美貌に、カナミは見覚えがあった。


 こちらの方が幼いが、見た目はリーシャそのものだ。


 メヴィア、聖女と同じ見た目――。


 そこまで考えて、正常に回り始めたカナミの頭に電流が走った。


 いる。


 世界最高峰の治癒魔術を持ち、聖女という立場ながら問題行動ばかり起こす有名人。


 そして、勇輔と共に魔王を倒すために旅した一人。


「『聖癒の座ヒール・サイン』、メヴィア様!」

「なんだ知ってるじゃねーかよ、さっさと寝ろ馬鹿が」


 魔将ロードに対なす人類の英雄。沁霊術式に至った者だけが与えられる『サイン』の称号を持つ聖女。


 それがメヴィアだ。


 カナミもランテナス要塞で出会ったが、あの時は聖女らしい姿と立ち振る舞いをしていたため、気付かなかった。


 だが話には聞いたことがある。


 魔術の腕こそ超一流だが、その素行はとても聖女とは思えない、破戒はかい聖女だと。


「何故貴方様がこんなところに」


 メヴィアは面倒くさそうな顔で隣の男性を小突くと、男性は即座に煙管きせるを取り出して火をつけた。


 メヴィアは煙管を吸うと、ゆっくり息を吐いた。


 複雑に入り混じった香りが煙と共に立ち込める。煙草ではなく、どうやら様々な香草をブレンドしているらしい。


「私も『鍵』の一人なんだよ。ここにいたってなんもおかしくはねーだろ」

「メヴィア様が、『鍵』?」

「そこからか、面倒くせえ」


 溜息代わりに再度煙を吐く。そして男性の膝裏を蹴ってひざまずかせると、その上に当たり前の顔で腰かけた。


 な、なんですのこの状況。


「一々説明している暇はねー。というか、かったるくてやってられるか。とりあえずお前」

「は、はい」

「ユースケに伝えろ。私たちはもう一人の『鍵』を確保しに行く。こっちでも妙な動きがあるから気をつけろってな」

「妙な動き? それはどういったものでございますか?」

「そんぐらい自分で考えろ馬鹿が」


 メヴィアはにべもなくカナミの疑問を切り捨てた。そして煙管を指でくるりと回し、カナミの鼻先に突きつける。


「てめーもてめーだ。守護者やってんなら魔将ロードの一体や二体に簡単にボコされてんじゃねーよ」

「それは」

「言い訳はいらねー。こっから先は力のある奴だけが主張通せる世界なんだよ。置いてかれたくなけりゃ、どんな手を使ってでも強くなるんだな」


 メヴィアはそれだけを言うと立ち上がり、「おら行くぞ」と男性に蹴りを入れて立ち上がらせる。

 最後に振り向き、笑った。


「いい女は男を笑って待つもんだ。その腑抜けた面何とかしろよ」

「ま、待ってください。ユースケ様たちがどうなったのか知っているのですか⁉」

「あん?」


 メヴィアは思いもよらぬことを聞かれたという顔をすると、煙管きせるをくるくる回しながら軽く言った。


「お前勇者舐めてねーか。『鍵』を助けに行ったんだろ。だったら必ず勝って帰ってくるさ、そういう男だ、あいつは」


 疑いも不安も何もなく、当たり前の事実だと言わんばかりの口調で。


 その言葉にカナミはそれ以上聞くことができなかった。


 仲間として戦ったメヴィアの言葉には、絶大な信頼と重みがあった。


 もはや引き留めることもできず、メヴィアたちは部屋を出ていった。嵐のような一時は、それ以上の衝撃をカナミに残した。


 もっと強く‥‥。カナミは自分の胸に手を当てる。


 それは抽象的な目標であってはならない。確実に達成しなければならない使命だ。


 気付かない間に戦争は加速している。メヴィアは多くのことを知っている様子だったが、自分は何も知らないのだ。


「置いていかれるわけには、まいりませんわね」


 身体は動く。ならば先に進む他ない。


 カナミは再び凛と立ち上がると、冷たい床に足を下ろした。その顔には既に弱気な表情はなく、誇り高き皇女としての輝きを取り戻していた。


 まずはメヴィアの言う通り、勇輔とリーシャを迎えよう。


 そして、必ず強くなる。リーシャも勇輔も守れるように。

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