第274話 痛む場所

     ◇   ◇   ◇




「とまあ、そんな感じだったんだよ」

 古傷をナイフでえぐるような思いで、俺はリーシャたちに帰還の時の話をした。もう過去のことだし、ダメージも和らいでいるかと思いきやそんなことはなかった。


 今思い出しても普通に痛い。


 キツイとか辛いとかじゃなく、痛い。シキンに殴られた鈍痛ではなく、心臓に直接刃物を突き立てられているかのようだ。


 意識的に忘れようとしていたから気付かなかった。どんな別れ方をして、どれだけの年月が経っても、エリスは特別らしい。


 多分、気持ちとか記憶とかとは別の場所に刻まれてしまっているのだろう。


 喉が渇いたからお茶でも取ってくるか‥‥。


 そう思った瞬間、柔らかな感触が顔にぶつかってきた。


「んぐっ⁉」


 なんだ、敵襲か⁉


 思わず伸ばした手が、何か細い腰のようなものをつかんだ。頭の中に甘い香りが広がって、クラクラする。


 あれ、これ。


「ユースケさん、ごめんなさい。辛い話をさせてしまいました」


 上からリーシャの声が降ってくる。


 そこで正しく状況を理解した。どうやらリーシャに抱きしめられているらしい。


「私、そんな、勇者様が――ユースケさんがそんな扱いをされていたなんて知らなくて‥‥ごめんなさい。ごめんなさい」


 グッと俺の頭を抱く手に力がこもる。


 ‥‥そうだな。


 リーシャは聖女だ。立場的に、勇者に尽くせとでも教わって生きてきたのだろう。純粋無垢な彼女のこと、それを信じて疑わなかったはずだ。


 その勇者が放逐されるような形で地球に戻ってきたと知って、責任感を感じているのかもしれない。


 ただそれは違う。


 これは俺とエリスの個人的な問題であって、リーシャが気に病むことはない。


 それに俺はリーシャに救われたのだ。


 腰を掴んだ手に力をこめて、リーシャを引き離す。ちょっと、いやかなりもったいない。だがあと数秒この体勢でいたら、俺はリーシャ中毒と化してロリコンの烙印らくいんを受けることとなっただろう。


「っ、息ができないだろ」

「でも‥‥」

「昔の話だよ。確かに当時は少し‥‥いや大分傷ついたけど、今はこうして近くにいてくれる人がたくさんいる」

「私はユースケさんの近くにいます!」


 そう言ってリーシャはさっきまでシャーラがいた俺の隣に座った。誰も物理的な近さの話はしてないんだが。横から柔らかさが襲い掛かってくる。


 やばい、なんか話さないとよくないぞ、これは。


「それに、コウの言葉が本当なら、芝居だったみたいだしな」

「何か理由があったかもしれないってことですか?」

「そうだな。まあ、わざわざ嘘を吐く理由が分からないから、本当に必要なくなった可能性もあるけどさ」

「そんなことあるはずがありませんわ!」


 うお、びっくりした!


 バンッ! とカナミが机に手を置いて立ち上がっていた。どうやら今の音は手を思い切り叩きつけた音らしい。


「‥‥え、あ、そう?」

「カナミさん‥‥?」


 いつも冷静沈着なカナミにしては珍しく、目を見開いて荒い息が口から漏れている。


 俺とリーシャはそろって身をすくめ、カナミを見上げる。


 彼女も自分の状態に気付いたのか、居住まいをただして座り直した。


「も、申し訳ございませんわ。少し取り乱しました」

「そ、そうか」


 少しっているレベルではなかったけど。俺が地球人だって知った時と同じくらいの動揺っぷりだったぞ。


 何か彼女の中で踏んではならない場所を踏み抜いたらしい。


 でも変だな。エリスとカナミってそんなに接点ないはずだし、かといってリーシャと同じ理由でもなさそうだ。


わたくしは何か理由があったのだと思いますわ。そうでなければ、コウガルゥ様もあのようには言わないでしょうし」

「それは確かに。でも、本当それ以外理由が思い浮かばないんだよな」


 婚約者云々うんぬんはとりあえず置いておくとして、俺がアステリスで危険な存在だというのは、間違っていないと思う。


 魔王を倒す人間だ。戦勝気分が薄まれば、その事実に脅威を覚える人はいくらでもでてきただろう。


 それもこれも、明日コウを倒せば分かるのだろうか。


 俺は間違いなく荒れるであろう明日の戦いを思い浮かべ、リーシャを横に置いたまま目を閉じた。


 地球に帰ってきた時、もう二度と思い浮かべることはしないと誓ったのに、言葉が頭の中に浮かんでくる。


 なあエリス、君は今何を思っているんだ。


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