第275話 狂獣の力

 約束の時は、よく晴れて空気が澄んでいた。


 月子が用意してくれた場所は県外の山だった。元々は曰くつきの村があった場所らしいが、今でこそ廃村として久しく、その名残は開けた土地くらいのもの。


 戦うにはちょうどいい広さだ。


「さて、始めるか」


 昨日と違い、黒い毛皮のコートに、手首には金環を巻いたコウが言った。


 お互い準備運動なんて必要とはしないが、そういきなり始めるわけにもいかない。


「少し待てよ。リーシャ、聖域張ってくれ」

「はい、分かりました」


 リーシャは頷くと、その場で舞を踊り始めた。金の粒子が舞い散り、ドームのように光が周囲を覆う。


 これなら多少無茶したところで、周囲に大きな被害は出ないだろう。聖域の外では、月子とカナミ、シャーラがこちらを見ている。


 彼女たちをちらりと見たコウが、軽く言った。


「シャーラはともかく、どいつもこいつもいい女だな。女運は世界をまたいでも変わらずか」

「初めの言葉は否定しないが、そういう発言はよせよ」


 というか、聞こえたらシャーラに殺されるぞ。


「かははは、楽しくやってるみたいで安心したんだよ。これならエリスの話なんて聞かない方がいいんじゃねーか? 聞いたところでどうこうなるものでもないだろ」

「‥‥」

「なんだ、かんに障ったか?」

「いや、お前の言う通りだと思うよ」


 あの時の真実を聞いたところで、今が変わるわけじゃない。既に結果は出ているのだ。エリスが隠そうとしたことを暴き立てたところで、きっと誰も幸せになんかならない。


 それでも、俺はもう過去を過去のままにはしない。


 いや違うな。それだけじゃない。


 ただどうしようもなく知りたいんだ。聞いた先に胸を焦がす地獄が待っていたとしても、彼女の思いを、俺は知りたい。


「安心しろ。迷いはないから」

「‥‥それなりに、いい目に戻ったじゃねーか」

「ぬかせ」


 俺たちは互いに歩み寄り、無造作に間合いに入る。そして合図もなく魔力が膨れ上がり、俺の全身を銀の鎧が覆い、コウの身体から黒い火花が散った。


「『はぁぁあ‼』」

「らぁっ‼」


 そして、何も考えずに拳を振るう。


 相手の顔面を吹き飛ばすためだけのストレートが閃光となって放たれ、衝突した。


 轟ッ‼ と翡翠と黒の雷が弾け、衝撃が球形に膨らんで弾ける。


 得物えものを用いない、徒手空拳としゅくうけん。それが俺とコウが試合の初めにやる、定番だった。


 拳と拳は完全に拮抗きっこうし、絶対に道を譲らない。


 ここで退いた方が負ける。


 それはコウも同じだろう。大地を砕かんばかりに踏み込み、更に力を増してくる。


 半年前ならいざ知らず、押し負けるかよ。


 ミシミシと俺たちは相手の拳ごと押し潰さんと力を込め続け、均衡きんこうはあっさりと崩れた。


 どちらが逸れたのかは分からないが、解き放たれた俺たちの拳はすれ違うようにして進み、相手の顔に突き刺さった。


 ドゴンッ‼ と鈍い音と衝撃が光となって頭の中で響いた。


 いってぇ‥‥なあ‼


「かはははは‼」


 俺は即座に次の拳を振るい、ほぼ同時にコウも身体をひねって打撃を放つところだった。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ‼︎ 音がずれて響く、身の毛もよだつ打撃の応酬おうしゅう


 コウのそれはシキンのように洗練されたものではない。


 技術などしゃらくさいとばかりに、ただ荒々しく、破壊の限りを尽くす暴力。


 その回転数と威力は、少し油断すれば全て流れを持って行ってしまう。


「『相変わらずだな』」


 俺は冷静に拳を払いのけ、反撃を打つ。


「おっと」


 しかしコウはそれをあっさりと避けた。まるで初めから攻撃が来ることを知っていたかのように、身体をひるがえす。


 くそ。これがあるからこいつとの戦いは厄介なんだ。


「もっとませろよ。ぬるいぜユースケ」


 ゴッ‼ と鎧に連撃が入って骨身に染みる。


 コウの武器は類まれなフィジカルだけではない。野生の魔物をもしのぐ、直感。


 エリスに言わせれば、魔力の微かな揺らぎ、起こりを察知できる超感覚の持ち主らしいが、相手するこちらからすれば、どちらにせよ理不尽極まりない話だ。


 このままこいつを調子に乗らせると、こっちはサンドバッグだ。


 圧は凄まじいが、動きそのものは読みやすい。


「『温いかどうか、確かめてみろ』」


 ズンッ‼ と拳に鈍い感触が伝わってくる。コウの拳に合わせてカウンターを腹に入れたのだ。


 いくらこちらの動きを察知しようと、自分が攻撃に入っていれば、避けることはできない。何回お前と戦ってきたと思っているんだ。久しぶりだろうが、身体が覚えている。


「っ! かは!」


 しかし次の瞬間、腹を殴られたまま放ってきたコウの蹴りが俺の横っ面を捉えた。


 っ‥‥‼


 少しはひるむとかしろよ、野生獣か。


 そこからは完全な乱打戦。止まることなく動き続けながら、打ってもらってを繰り返す。


 どれほどそうしていただろうか、俺たちは距離を取った。


 それなりに身体も温まってきたけど、それは向こうも同じみたいだ。


「案外、悪くないな。もう少しなまってるかと思ったが」

「『お前も女遊びに呆けていたわけではなさそうだ』」

「お前に言われたくねーよ」


 コウは言いながら腕を上げると、その手に向かって一本の布に包まれた長物が飛び込んできた。


 ここから本番か。


「さて、そろそろ行くか」


 グルン、と自分の身長を優に超す長物を片手で回すと、布が払われ、その中身が晒される。


 コウが手にしたのは、黒に金の装飾が為されたこんだった。


 懐かしいな、それ。


 日本の杖術じょうじゅつは突かば槍、払えば薙刀、持たば剣などと言われているが、その言葉通りコウの棍もまた、千変万化の動きで攻撃を放つ。


 しかしその本質はまったくの別物。杖術における不殺の理念など一切念頭に置かない技の数々は、数多の魔族を貫き、薙ぎ払い、叩き潰してきた。


 俺もバスタードソードを顕現けんげんさせ、相対する。


「このままやり合ってもいいが、まあ本気で怪我させるわけにもいかねーしな。次で終わりにしてやるよ」

「『それは俺の台詞せりふだ』」


 そう言うと、コウは笑みを消して淡々と言った。


「この世界に来てよくよく理解したよ。お前の人生は本来こちら側で、帰ってきてからは平和に生きてきたんだろ。誰に頼まれたのかは知らねーが、今更こっちの戦いに手を貸す義理もない。いや、手を出すべきじゃない」

「『何が言いたい?』」

「戦うというのなら覚悟を見せろ。俺もシャーラもメヴィアも、そしてエリスも。お前が生半可なまはんかな思いで戦いに参加することは許さねえ」


 コウはそう言うと、棍を右手で回し始めた。クルクルと緩やかに回り始めたそれは、すぐに目で捉えることさえ難しく、加速する。


 なるほど、言葉に偽りなし。本気で俺を試すつもりだ。


 今更戦いに参加するな、か。


 前回の戦いは俺を女神が呼んだせいで無効になったそうだが、今回は俺の意志で参加している。何よりコウはそんなことをいちいち気にするたちではない。


 だったら何か別の理由があるんだろう。


 俺は剣を構え、無限の魔力を圧縮し始めた。


 どちらにせよ、俺のやるべきことは変わらない。お前がなんと言おうが、この戦いから引くことはない。完膚かんぷなきまでに打ちのめして、全部聞かせてもらおうか。


 コウの棍はもはや回転しているかどうかも分からない黒い円盤と化していた。そこから聞こえるくぐもった音と、歪む周囲の景色だけが、その異常性を示している。


 俺の剣には翡翠の光が走り、今にも内部から崩壊するのではないかというほどに震えている。


「リーシャ、すぐに聖域を強化して」

「え、あ、はい!」


 シャーラがリーシャに指示を出すのが聞こえた。


 それがきっかけだったのか。あるいは直感めいたものだったのか。


「『──!』」

「──!」


 俺もコウも同時に前に出た。


 コウは高く、俺は伏せるように。


 黒い円盤が掲げられ、太陽を覆い隠した。


 コウの魔術、『暴躯アクセル』は強化対象をひたすらに・・・・加速させる・・・・・


 どこまでもシンプルで、限りなく強い理不尽な魔術。


 光にも等しい速度で振り下ろされる棍は、もはや打撃の域にとどまらない。大地を割り、地鳴りを起こす災害。


 黒い円が、縦一閃に落ちてきた。




「『黒楔アスワラード』」




 見てからでは避けることも、迎撃することも不可能。


 だから俺は感覚に頼った。コウの攻撃は爆発的な加速故に、フェイントはない。殺気は攻撃よりも先に俺に突き刺さっている。


 腰だめに構えた剣を、一直線に振り上げた。


 『焔剣フローガ』。


 翡翠の炎と、黒いいかづちがぶつかった。


 その瞬間、剣を伝って衝撃が全身をバラバラにした。筋肉の一本一本から神経の隅々まで、破壊が駆け抜ける。


 これがコウガルゥの一撃だ。


 俺たちの前に立ち塞がったあらゆる困難を、常に真正面から粉砕してきた最強の英雄。


 頼るべき仲間。



「『‥‥はは』」


 懐かしいな。本当に俺は今、コウと再び戦っているんだ。もう二度と、顔も見られないと思っていたやつと。


 顔を合わすより、声を交わすより、こうして剣を交えた瞬間にそれを実感するなんて、ふざけた話だ。


 魔力が歓喜の声を上げるように、衝撃を押し退けて全身を巡る。


 鎧から火花が眩く散り、剣から放たれる炎は勢いを増した。


 何が戦いに参加するなだ。


 調子に乗るのも大概にしとけよ。


「『コウガルゥ‼︎』」


 斬ッ‼︎ と剣が黒ごと空を薙ぎ払った。


 ギイィン‼︎ と聖域に切れ込みが走り、その先の雲が割れる。


 しかし既にコウはその場にいなかった。暴躯アクセルによって加速する肉体は、空だろうがなんだろうが、蹴り飛ばして移動する。


 地面に立ったコウが、棍を地について舌打ちした。


「チッ、それなりに本気で打ったつもりだったんだがな」

「『つまらない負け惜しみだな』」

「言ってろ」


 彼は心底不服そうに言った。


「今回はお前の勝ちだユースケ。もう呪い・・は解けてるみたいだしな」

何?


 今おかしな単語が紛れているように聞こえた。黒楔アスワラードを正面から受けたせいで、まだ頭がバカになっているのか。


 それを聞き直すよりも早く、コウは後ろを向きながら言った。


「仕方ねえな。約束だ、話してやるよ。あの時の真実をな」

「‥‥」


 鎧が解けて消える中、俺はその事実に今更ながら気づいた。この戦いに勝つということはそういうことだ。


 そして知りたい真実が、俺にとって都合のいいものなんて保証は、どこにもない。


 冷や汗が吹き出し、膝が震える。


 それでもだ。十分逃げてきた。これでは腹の中の獣に笑われてしまう。


 エリス。あの時の君に、もう一度会いに行こう。

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