第117話 見極める番人

 光の示す方向へとそれなりの距離走り続け、見えてきたのはひなびた町並みだった。『我が真銘』を発動して走っているから、下手をすれば県外に出ているかもしれない。


 景色を照らす人口の光はほとんどなくなり、今は月明かりを頼りに駆けている状態だった。


 ことここに至って、進めば進む分だけ身体が重くなるような感覚を覚えた。初めから感じていた嫌な予感も消えることなく膨れ続けている。


 恐らく戦いが近い。それも相手は『セナイ』や『アサス』すら超える猛者だろう。


 だが、それがどうした。


 たとえ待っているのが何だろうが、この進みを止めることはできない。


 瞼の裏に貼り付くカナミの姿が、胸騒ぎを焼き尽くす怒りを生む。

 戦争をやっているんだ、戦いの中で傷つき、死ぬ人間が出ることは何ら不思議じゃない。


 そんなことは分かってる。

 だから賢しらに仕方ないだろ、と割り切ればいいのか。


 ――ふざけるなよ。


 カナミをあそこまで痛めつけた輩にも、十六歳の少女に過酷な運命を背負わせる世界にも、何よりその場にいられなかった俺自身に、腹が立つ。


 もし月子を助けに行かなかったら。魔術を発動してもっと早く事態を解決していたら。


 カナミを傷つけ、リーシャを攫われたのは俺が原因だ。

 全てがない交ぜになった激情が、身体を突き動かす。


 もはや道を走る車もなく、速度を上げようとした瞬間、俺は制動をかけた。足元で火花が散り、アスファルトの破片が跳ねる。


「『‥‥』」


 誰かがいる。


 溶け込んでいた闇の中から月明かりへと姿を現したそれは、まるで影がそのまま形を取ったかのようだった。鎧を着た戦士のようなシルエットで、その手には盾とメイスが握られている。


 正体を探る必要もない、魔族だ。


『遅い到着だったじゃねーか。待ちわびたぜ、勇者様よぉ』


 影の戦士は嘲笑を込めた口調で言った。

 やはり俺の正体に気付いている。これではっきりした、こいつの狙いは俺だ。


 いや、こいつら・・・・か。


 こんな奴をアステリスで見た覚えがない。実際に戦った相手じゃないか、あるいは記憶に残らない雑兵だったか。


 どちらにせよ相手の狙いが分かったところで、やるべきことは同じだ。


「『リーシャはどこにいる』」

『そう急くなって。鍵ならこの先にいる。安心しろよ、傷一つないさ、今はな』


 そうか。


 だったらこんな奴を相手にしている暇はない。一刻も早くリーシャを助けてカナミのところに戻る。


 改めて一歩を踏み出すと、戦士はメイスと盾を構えた。


『おいおい、だからって簡単には行かせられねーぜ。我が主の眼前に雑魚を通すわけにはいかねえだろ』

「『失せろ』」


 魔力の乗った言霊を戦士に叩きつけるが、黒い影は耳障りな笑い声を上げるだけだった。


『キハハ、力で押し通ってみせろ。てめえに本当にそんな力があるならなぁ?』


 戦士は軽口を叩く。しかし次に続いた言葉は聞き逃せなかった。


『弱ぇーとよ、あの女みたいに潰しちまうぜ、グチャっとさ』




 ――あ?




 カツンッと足音が高く鳴った。捨て置こうとしていた一歩が意図せず戦士の方を向いていた。 


『キハハハ、ようやくやる気になったかよ!』


 威嚇するようにメイスが音を鳴らして振るわれる。


 それに対して俺は魔力を流し、バスタードソードを顕現させた。


 分かっている。


 これは強すぎる感情だ。感情の励起は強力な魔術を呼び起こすが、制御されないそれは剣と動きを鈍らせる。そんなことは誰に言われずとも分かり切っている。


『あいつは守護者とは思えねえぐらい弱かったからよぉ。勇者ってのはどんなもんだ? あんまりがっかりさせないでくれよ』


 ザラザラとした声が神経を逆撫でする。

 一歩一歩を踏みしめ、遂に間合いへと入った。


 戦士もそれが分かっているのだろう。あからさまな挑発を口にしながら、盾を油断なく構えている。


 その構えは腹立たしい程に堂に入っていた。

 あからさまなカウンター待ちの姿勢。恐らく受けに強い魔術なのだろう。


 だからなんだ。


 俺は躊躇なく戦士に向けて突っ込んだ。踏み込みと同時に剣を振り上げ、戦士へと肉薄する。


 駆け引きなどない正面からの袈裟斬り。剣と盾とが真っ向から衝突した。


 夜の空気がたわみ、路面に亀裂が走る。


 戦士は端から分かっていたように、盾の角度を変えながら、勢いを流そうと動いた。刃が滑れば勢いのまま身体が流れ、メイスでのカウンターを喰らうだろう。


 そう、受け流せるのであれば。


 斬ッ‼‼ と翡翠の眩い一閃が盾ごと戦士を両断した。


『ぉぐぅぉっ⁉』


 斜めに切り離された戦士が呻く。受けに自信があったのだろうか、策を巡らすのであれば互いの力量を明確に把握してからにすべきだったな。

 

 二つに分かれた断面から血や臓物が飛び出る様子は一切なく、黒いもやが溢れる。


 やはり生物じゃない。斬った感触は金属のようだから、魔術によって操られた傀儡か何かだろう。


『キハハハハァァアアッ!』


 そう考えていた時、戦士は重力に引かれながらも拳を握り、殴り掛かってきた。勢いも何もないただ振り回しただけの駄々っ子のような拳。


 だが俺はその一撃が苦し紛れのものでないことを即座に看破した。

 何らかの魔術が発動され、拳に魔力が集まっている。タリムの爆雷戦槌すらも超える威力になるだろう。


 なるほど、ここまで見据えての挑発か。

 その気になれば避けることも可能だが、こいつを相手に退こうとは思えなかった。


 棒立ちの俺に戦士の拳が叩き込まれる。


 ゴッ‼ と凄まじい衝撃と共に、夜よりも濃い黒の魔力が爆散した。


『間抜けかよ! 正面から受けやがった!』


 戦士の耳障りな声が響き渡った。


 うるせえな。


『――ぁ?』


 ようやく状況を正しく理解したらしい戦士が、呆けた声を出す。


 なんてことはない、俺が戦士の拳を正面から掴んだだけだ。その手には傷一つなく、立っている場所も変わらなかった。


 確かに威力としちゃそこそこだが、今の俺には響かない。カナミの受けた傷に比べれば、この程度はかすり傷にすらならない。


「『向こうで伝えろ、すぐに行く』」


 魔力を螺旋状に腕に集め、圧縮させる。

 答えを待つつもりはなかった。


 すぐさま臨界に達した翡翠の魔力が炸裂し、硬質化した太い杭が放たれる。


「『火撃杭パイルバンカー』」


 断末魔の叫びすら許さず、杭は腕ごと戦士の上体を貫き、四散させた。


 翡翠の残滓が闇に溶け、粉々になった破片がパラパラと地面に散る。


 こいつは恐らく数ある傀儡の中の一体。それを操作している本体がどこかにいるのだろうが、実力は想像していたものに満たない。複数の傀儡を同時に使ったとしても、カナミ相手に圧倒できる力はないはずだ。


 しかしカナミの傷は明らかに一方的な戦いによるものだ。


 それに奴は「我が主」と口にしていた。想像していたレベルには至らなかったが、『セナイ』のタリムに近い実力はあるだろう。つまり称号持ちクラスが主と仰ぐ存在。


「『‥‥』」


 俺の中で嫌な予感が実像を持ち始めた。


 喉元からせり上がる嫌なものをねじ伏せ、先を見据える。何が来ようが、障害は全て叩き斬る。リーシャはもう目前なのだ。

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