第125話 騎士の矜持

 勇輔たちが去った後、グレイブとラルカンの二人は奇妙な静寂の中で向かい合っていた。

 槍斧ハルバードを手にしたラルカンが消えた勇輔たちの方を見つめたまま呟いた。


「今ので斬るつもりだったが」

「勇者は我ら人族の希望よ。たとえ魔将といえどそう容易く届かせるわけにもいくまい」


 グレイブは大剣を油断なく構えながら答えた。


 魔将のことは当然知っていた。ラルカン・ミニエスは戦場で見たこともある。しかしたった一度打ち合っただけで、自分の見積もりが甘かったことに気付いた。


 未だ手に残る痺れと首筋を流れる冷や汗が、それをひしひしと伝えてくる。


 『歪曲の魔将ディストル・ロード』、ラルカン。


 あらゆるものを捻じ曲げる魔術と、鍛え上げられた武術。それらを駆使して戦場を蹂躙する、最も人族に身近で危険な魔将だ。


 ラルカンはそれに対し構えることもなく首を曲げた。


「『サイン』にすら至らぬ身で俺と戦うつもりか」

「ほう、流石の魔将も彼の者たちは脅威と見える」

「脅威に至るかはその者次第だが、俺を戦場で沸き立たせた人族は全て『サイン』であった。それだけだ」


 侮られている。


 それならばそれでいい。どちらにせよやることは変わらないのだから。


「ではここで認識を改めることになろう。我が名はグレイブ・オル・ウォービス。誇りあるセントライズ王国近衛騎士団が一人。そして貴様を討ち果たす者よ」

「俺を前に名乗りを上げる気概は称賛に値する。このラルカン・ミニエス、せめて全身全霊を持って眠らせてやろう」

「なっはははは、やってみせろ」


 開戦の合図などありはしなかった。


 予備動作もなくラルカンの槍斧ハルバードが大気を切り裂いて強襲した。『真理へ至る曲解アンロスト』によって捻じ曲げられた刃は、複雑な軌道を描いて迫る。


 それに対しグレイブは前に踏み込み剣を振るった。大剣と槍斧ハルバードが正面からぶつかり合い、激しい火花が散った。


 ラルカンの攻撃は防がれようが止まらない。まるで鞭のように滑らかな動きで長大な槍斧ハルバードが四方八方から襲い掛かる。軽やかな取り回しに反してその威力は絶大。一発一発がグレイブの巨体を吹き飛ばさんばかりだ。


「ぬ、ぐぅ!」


 身体強化には絶大な自信があったグレイブだが、数を重ねる程に重さを増す斬撃に膝が折れる。


 防戦一方だが、もし勇輔たちがこの場に残っていたら、その絶技に声を失っていただろう。


 剣というにはあまりに巨大な大剣を残像が見えんばかりの速度で振るい、変幻自在の槍斧ハルバードを弾き続けているのだ。


「っ、ぬぐぅぅああああああ!」


 もはや受けの上から叩き潰さんという攻撃の豪雨に耐えながら、グレイブは一歩を踏み出した。たった一歩だ、この圧と間合いの中ではあまりに小さな前進。


 だがその一歩を見たラルカンは目を細めた。

 攻撃の手は一切緩めていない。それどころか回転数が増える度に速度は増している。


 にも拘らずグレイブは潰れなかった。


 その全てを正面から弾き飛ばし、更に前進し続ける。

 そして遂にその時が訪れた。


 一層激しい衝突音と共に槍斧ハルバードが弾かれ、ラルカンの体勢が揺らいだ。


 瞬間グレイブは己の間合いにラルカンを捉えた。全身に纏う魔力は燃え盛る大炎のようで、先ほどまでの人間とは明らかに別次元の力を宿していた。


「セァアッ‼」


 踏み込みながら腰を落とし、大地から得られた力をまとめて剣に乗せる。胴を両断する横一閃。

 ラルカンはそれを槍斧ハルバードを立てて防いだ。


 驚くべきことが起きた。


「っ⁉」


 巨人の拳すら片手で受け止めるラルカンが、真横に弾き飛ばされたのだ。


 即座に脚を地面に突き立て勢いを殺しながら、ラルカンは驚きに目を見開いた。油断していたつもりはない。大剣を逆に砕くつもりで防いだはずが、正面から力負けしたのだ。


「なっははははは、予想だにしなかったか」


 再び大剣を構えたグレイブが笑う。

 確かに驚きはしたが、己を捻じ伏せた力の正体をラルカンは既に看破していた。


「『騎士道ナイトプライド』か。そこまでの練度を目にしたのは初めてだ」

「お褒め頂き恐縮だ。魔将に認められたとなれば、我が魔術も一層冴えるというもの」


 グレイブの扱う魔術、『騎士道ナイトプライド』はセントライズ王国どころか、世界的に見ても珍しい魔術ではない。


 この魔術を開花した者こそ真の騎士であると言われる程だ。

 その効果は至って単純。


 ザンッとグレイブの足が地を踏みしめる。そこから一直線にラルカンへと光の道が走る。まるで己が意志を示すように、その道は夜を断つ。


「この騎士道、貴様に曲げられるか?」

「曲げる必要もない。その矜持ごと打ち砕いてやろう」

「上等!」


 グレイブは叫びラルカンへと突進した。


 『騎士道ナイトプライド』は前に進めば進んだ分だけ力を増す単純な魔術だ。一度でも魔術の発動を止めたり、後退すれば効果を失う。その実直さ故に、効果が重なった時の強さは尋常ではない。


 それこそラルカンを相手に押し勝てる程に。 


 肉薄するグレイブにラルカンは構えを取った。


 間髪入れず放たれるのは音を置き去りにする刺突だ。騎士道ナイトプライドの魔術を知るラルカンは迷うことなく脚を狙ってくる。当たる寸前で捻じ曲がる穂先を防ぎ、避け、グレイブは進み続ける。


 間合いを詰めた分だけ跳ね上がる身体能力。


 大剣がそれに呼応するように輝き、唸りを上げた。


 騎士道ナイトプライドの強みは強化が重なり続けるところだ。当然練度によって上限があり、一歩でも下がれば全ての効果を失うが、グレイブのそれはそこらの騎士とはレベルが違う。


 その強化をラルカンが許すはずもなかった。


「『空折ウォーゼ』」


 空間が奇妙なうねりを得た。


「ぬっ⁉」


 グレイブの判断は迅速だった。自分の進行方向で捻じ曲がらんとする空間を迂回するようにして避ける。風に流された木の葉が巻き込まれ、粉々に散った。


 だが攻撃はそれだけでは終わらない。


「『渦廻スペル


 視界を埋め尽くすように、夜を巻き込む黒い渦がいくつも現れた。

 持続して空間を捻じ曲げる破壊の渦だ。下手に近付けば大気ごと引きずり込まれるだろう。


「『エンブレイド』」


 グレイブは走る脚を急停止させ、その反動を脚から腕、剣へと伝える。


 放たれるのは魔力によって作られた斬撃だ。それは渦の間を縫うようにしてラルカンへと飛来した。


 しかし当たる直前で、新たに出現した渦廻スペルがそれをかき消してしまう。


 グレイブはそれでも連続で剣を振った。


 渦によって複雑に歪む空間を剣閃が潜り抜けようとしては阻まれる。


 初めからグレイブとてこれで渦廻スペルを抜けられるとは思っていなかった。

 見極めるべきは、渦の作る流れ。


 グレイブは口を引き結び、黒い渦の中に突っ込んだ。空間そのものを捻じ曲げる渦の前に重さや硬さなど意味を為さない。ほんの少しでも掠れば全身を持っていかれる危険の中、グレイブは冷静に道を探し突き進んだ。


 そしてついに渦廻スペルの壁を抜けた時、そこには誰もいなかった。


 瞬時に視線を巡らせながら、魔力を探る。


 ――上か!


「素晴らしい反応速度だ」


 夜空からラルカンが降ってきた。青い刃が落雷の如き速度で振り下ろされる。それがただの斬撃でないことはすぐに分かった。


「『ライジングウォー』!」


 グレイブは大剣を振り上げ、真っ向から槍斧ハルバードを迎え撃った。


 ギィイン‼ と森がたわみ、地が放射状に砕けた。


 竜すら撃ち落とす対空剣技。噴火の如き斬撃は槍斧ハルバードごとラルカンを両断するはずだったが、その力は拮抗した。


「空中では身動きも取れまい!」


 グレイブは即座に切り返し攻撃を重ねた。確実にこの隙を狩る。


「そうかな」


 だがラルカンの動きはグレイブの予想を容易く上回った。


 グルンッ! とラルカンが不自然な軌道で回転し、剣を避けたのだ。


 魔術で自身の周囲を歪ませたのだと気付いた時には、真横から処刑の刃が迫っていた。


「ぐっ!」


 危ういところで防いだが、その衝撃は尋常ならざる力で全身を蹂躙した。ここで吹き飛ばされてしまえばこれまで築いてきた騎士道ナイトプライドの効果が消え去る。


「舐める、なよ」


 グレイブの筋肉が隆起し、大剣を握る手は砕かんばかりの力を込める。まるで巨木。絶大な力の籠った槍斧ハルバードは微塵も進まない。


 想像以上の力にラルカンの動きが止まった瞬間をグレイブは見逃さなかった。

 魔力を燃やし、自然と言葉が出た。


「――我、騎士なり。背に守りし者は見えず、進むは赤き一本道。誰がこの歩みを止めようか、誰がこの誇りを砕こうか。国に捧げし我が心こそまことつるぎなり」


 言葉を唱える度に祝詞は力となり、魔力は意思を持つかのように熱く脈打つ。


 誰も傷つけはさせない。まだ羽化を待つ勇者も、幼少の頃より守り続けた姫も、次の世代を託す若者も。


 これまで鍛えてきた力は、磨き上げてきた剣技は、今この時のためにある。




「いざ、行かん――『勇騎邁進ナイトグローリー』‼」




 グレイブの覇道が輝ける奔流となり、ラルカンを飲み込んだ。


 一歩踏み込む度に必殺の斬撃が走る。防がれようが避けようが関係ない。極限の集中力と高密度の魔力はグレイブそのものを一つの魔術と化し、全ての障害を切り払って突き進む。


 それは地を駆ける流星であった。


「ッ――!」


 最強の魔将とさえ称されるラルカンが、退かざるを得ない程の圧。


 そして退けば進む。


「っがぁぁああああああああああああ‼」


 咆哮を上げながら剣を振るい続けるその様は、まさしく戦鬼。空気が断裂し、余波で大木が破裂する。まるで山そのものを根こそぎ切り刻まん程の威力。


 更に恐れるべきはその一閃一閃がまるで別種の技であることだ。重く、速く、震え、滑り、惑わし、断ち切る。荒々しい暴力の中で光る精緻せいちな技巧は、ラルカンをして受け切るのは不可能だった。


 少年のような顔に赤い筋が刻まれ、激突の度に魔力が削れる。


 槍斧ハルバードが恐ろしい速度で回転し、グレイブの大剣を捌くが、それも長く続かないのは明白だった。


 ラルカンの魔術は強力無比だが、発動は遅く速い展開の中で差し込むのは難しい。それを当たり前に使い熟しているのは、純粋な魔力操作の技量によるものだ。


 グレイブの速度は今、それを上回っていた。


 強固な防御をこじ開け、斬撃を通す。


 『勇騎邁進ナイトグローリー』は限界を超え、太陽のように眩く瞬いた。


 青を抜け、極光の剣が遂にラルカンの首を捉えた。


「――――――‼‼」


 もはや受けは間に合わず、躱す術もない。グレイブとラルカンの視線が光速の中で交わり、互いに終わりが訪れることを知った。


 ラルカンは槍斧ハルバードを手放し、胸の前で両手の指を絡ませた。


 それはまるで祈りのように。自分を追い詰めた戦士に送る賛辞のように。


 青い魔力の波が静かに、しかし恐ろしさすら感じる速度で引いていった。


 そして首に食い込んでいく刃を意にも介さず、ラルカンは小さく呟く。



 

「沁霊術式――解放」




 次の瞬間、世界が暗転した。

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