第212話 呪われし虚像

 第一軍を全員殴り倒した後、灰が引いていく。

 

 しまったな、身体を動かすのに夢中になっていて、しっかり時間を稼がれてしまった。


 軍の方で新たな動きがあった。


 ようやく真打登場か、予想より早かったな。


漂白の座ホワイト・サイン』――バイズ・オーネット。


 禍々しいまでに濃密な魔力が、軍の足元へと集まっていく。それは紛れもなく、あの白い灰から感じる魔力と同質のものだ。


 『サイン』が率いる軍は、本質的に彼らのためのものだ。これまで積み重ねてきた訓練、装備、命に至るまでがサインの魔術を高めるために存在する。


 それを証明するように、バイズは魔術を発動した。


ふるえ、叫べ、恐れるな。これなるは死の象徴、終わりと救いの証明。己が命を種火として仮初かりそめの命を与えん」


 淡々と声が響く。


 どうやら禍々しいと感じた俺の感覚は正しかったらしい。これまで幾人ものサイン魔将ロードの沁霊術式を見てきたが、ここまで利己的で、醜悪な、魔術師らしい魔術はそうない。


「沁霊術式――解放」


 白い灰が軍の中心で噴火した。あらゆるものを巻き込み、灰は一本の巨大な柱となって空へ昇る。


 そう、バイズ・オーネットも自軍の兵士たちをも丸ごと飲み込んで、それは現れた。



 

「『灰被りの戦姫シン・アギス』」



  

 降臨したのは、周囲の壁を優に超える巨人だった。


 その外見は巨人と一言で済ますにはあまりに優美。そう、まるで戦乙女のような美しいかんばせと女性らしい体つきをしていた。竜を模した兜を被り、左手に槍を、右手には剣をたずさえている。


 大きさにさえ目をつむれば、芸術品にも見えただろう。


 しかし、それは呪われた像だ。


「『――貴様』」


 この『灰被りの戦姫シン・アギス』の中には、残っていた八千余りの兵士たちが、飲み込まれた。


 白い肌に透ける血管のように、赤い光が巨人の中で脈打っている。


 バイズ・オーネットは八千人分の魔力を燃料として、この『灰被りの戦姫シン・アギス』を作り上げたのだ。


「『貴様、部下を自らの手で殺すつもりか!』」


 こうしている今も、兵士たちは魔力を灰に奪われ続けている。放っておけば、間違いなく命すらも搾り取られ、死ぬ。


 返答は戦乙女の顔から聞こえた。


『殺すつもりはない。しかし勝利のために死ねるのであれば、それこそが兵としての本懐だ』

「『違うな。貴様は間違っている』」


 確かに将軍は、時として部下の命を使い潰すことも覚悟しなければならない。


 だがこれは違うだろう。


 兵として鍛え上げた技を用い、己の死力を尽くして果てるのと、まるで兵糧のように食い潰されることが同じだとは、思えない。


『勇者ともあろう者が、心痛めるか。戦場における命は資源、最も効果的に使ってこその将だ。我が兵の中に、それを憂う者も、恐れる者もいない』


 そうか、そうかよ。


 たった今、お前と俺の信念はぶつかった。


 俺は初めから決めていたんだ。


 『この戦いでは、誰も殺さない』と。


 勝手に殺すんじゃねえよ。


「『貴様の言いたいことは理解した。もう、口を開く必要はない』」


 俺は剣を構えて魔力を循環させた。


 全員、死ぬ気で生きろ。俺がすぐに決着をつける。



 

     ◇   ◇   ◇




 奇しくもそれは、ジルザック・ルイードとの戦いを彷彿ほうふつとさせた。


 ルイードもまた最後に魔王の遺骸を用いて、『赤の化身アスピタ・シルグエラ』という魔物を顕現させた。


 だがこれは格が違う・・・・


 軍としての質もそうだが、この『灰被りの戦姫シン・アギス』は個人が使用できる魔力量を遥かに凌駕しているのだ。


 八千人分の魔力は、個人が扱うには大きすぎる。


 それを制御するために、バイズは相当数の兵士の脳を利用しているのだろう。


 生きた人間を術式の回路替わりにし、膨大な量の魔力を処理している。言ってしまえば、『灰被りの戦姫シン・アギス』はバイズ・オーネットの魔術であると同時に、複合術式でもあるのだ。


 兵士を強化しているのを見ていたが、こいつの魔術は軍での運用に特化している。


『行くぞ白銀』


 言葉と同時に剣と槍が振るわれる。大きさの割に俊敏なそれは、もはや隕石に等しい威力で迫ってきた。


 それを紙一重で避けながら、考える。


 実際に攻撃もしてみたが、刃は白い肌の表面を斬るに終わった。恐ろしい硬度だ。純粋な魔術の出力で比較した場合、絶対に勝てない。


 『我が真銘』は無限の魔力を生み出せるが、俺の身体で運用できる量には限りがある。それは瞬発的に使える魔力量に限界があるということだ。


 一方向こうは、魔力を蓄えておける身体がいくらでもあるのだ。


 ある意味では、複合術式の極致きょくちともいえる魔術だな。


 それでも俺はこれを認めない。お前のやり方を、信念を否定する。


『逃げるのが上手いものだ』

「『己の下手な剣技の責任を押し付けるのはやめてもらおうか』」

『まだ減らず口を叩ける余裕があるらしいな』


 直後、灰被りの戦姫シン・アギスが攻撃の手を止め、その背後で何かが広がった。


 それは空を覆い隠す、一対の巨大な翼だ。


 飛ぶつもりか?


 そんな俺の予想は、すぐに否定される。


 隠れたはずの空に、太陽が現れた。


「『まさか』」


 それは翼の前で展開される立体魔法陣。赤黒い心臓のような魔力の塊が、片翼につき三つ。合わせて六つ出現したのだ。


 おいおい冗談だろ。


『今度は止められるか?』


 灰被りの戦姫シン・アギスの肌に赤い血管が浮かび上がり、魔力がとめどなく流れていくのが見える。


 命を食らって膨れ上がった魔法陣が収束し、炎の槍と姿を変えた。




『『壊劫にて火坑を穿つエゴ・イフレーリア』』




 一発一発が大地を炎の海へと変える槍が六本、同時に放たれた。


 シャーラの『冥開』であっても、この規模をまとめて凍らせるのは無理だ。


 だったらどうするか。


 俺は空へと跳んだ。


『空中ならば、多少は被害を減らせるとでも思ったか、浅はかだ』


 バイズの声が聞こえる。


 違うな。大盤振る舞いをしてくれた礼に、折角だからもう一本追加してやろうと思っただけだ。


「『シャーラ! 上の冥開を解け!』」


 それは意味の分からない指示だっただろう。


 しかしシャーラはその意図を聞かず、理由を気にも留めず、言われた通りに動いてくれた。


 冥府の冷気によって維持されていた氷が解け、竜爪騎士団ドラグアーツが一番初めに撃った『火坑を穿つイフレーリア』が、その熱を取り戻した。


 そこに我先にと到達する六本の槍。


 炎が炎を飲み込み、一切合切が赤に染まった。

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