第423話 これまでと、これからと

    ◇   ◇   ◇




 思い返せば、この一年は怒涛だった。


 『昊橋カケハシ』の暴走を食い止めることから始まり、アステリスの各地で起こる天災なんだか人災なんだかよく分からない災害を食い止める毎日。


 おまけに地球は地球でユリアスが魔術師たちを統括していたわけだから、新世界トライオーダーが事実上崩壊したおかげで、魔術社会も大混乱である。対魔特戦部をはじめ、組織が分裂していたおかげで完全な無法地帯には至らなかったが、そっちはそっちで対応が必要だった。


 ただし、そんな日々も一日だけ忘れる。


 たとえ災害級の魔物が目覚めようが、戦争が起ころうが、どこかの婆様が腰を痛めようが、今日一日は完全な休みである。


 休み一日取るだけでこんなに大変って、とんでもないブラックに就職してしまったものである。


「あなた、失礼なこと考えているでしょう」


「いや、そんなことはない」


 後ろからシュルカの冷え冷えとした声が聞こえ、背筋が伸びる。


 危ない、今は婆様に時間を掛けている暇はないんだ。


 顔を洗って歯も磨いて、髪も整えた。今日の服は大分迷ったが、シュルカが「こういう日は正装に決まっているでしょう」という一言で紺のモーニングスーツになった。


 しかも蝶ネクタイ。こんなの漫画の世界でしか見たことないんですけど、本当にこれで合ってるのか‥‥?


「ちょっと見せて。‥‥曲がってるわね」


「おお、ありがとう」


 シュルカが手早く蝶ネクタイを直し、更には襟や袖もきれいに伸ばしてくれる。流石お婆ちゃんだぜ。


「シュルカは今日は来ないのか?」


「どんな顔して行くっていうのよ。それに、私は私で今日はやることがあるの」


「やること?」


「一年ぶりだから、花くらい添えてあげないとね」


 ――そうか。


 俺の約束の日ってことは、まあそういうことだよな。


 今日は丁度一年前、導書グリモワールたちが、ユリアスが死んだ日だ。


 俺は『昊橋カケハシ』での戦いで死んだ人々の蘇生をリィラとグレンに願い、その願いは叶えられた。


 しかし生き返ったのは『鍵』と、俺の仲間たちだけだった。


 俺の表情を見て何を考えているのか悟ったのか、シュルカは肩をすくめた。


「仕方のないことよ。あなたの仲間たちが生き返られたのは、あなたが魔術で魂を繋ぎ止めていたから。私たち『鍵』は魔術の中に組み込まれていたおかげで、運が良かったのよ。それに、あの子たちは皆、こうなることを覚悟していた」


「‥‥そうか」


 謝罪をすることも違う気がして、俺はその一言にとどめた。


 フィン――フィオナはバイズ・オーネットと共に姿をくらまし、櫛名命くしなみことはその日に自ら命を絶った。


 ジルザック・ルイードは旅に出たらしい。娘との思い出を作りに行くんだろう。


 とん、と胸を叩かれた。


「私のことはいいから、あなたは行ってきなさい」


「ああ。行ってくるよ」


 いつもと違う笑みを浮かべたシュルカに見送られ、俺はゲートを開いた。


 繋ぐのは、大分前から目をつけていたアステリスの教会だった。そこは人里離れた山の上に建てられた女神聖教会のもので、もう使われていない。


 そこから見える景色が好きで、俺はシュルカに頼んで教会の整備を頼んでいた。


 そこに着いたら、皆の前にゲートを開こう。


 一年も待たせて怒られるかもしれないけれど、伝えよう。待っていてくれた皆に、俺の想いを。


 いや、そもそも本当に来てくれるよな。


 もう愛想尽かされて、誰も来ないとかないよな? やばい。ちょっと猛烈に不安になってきた。女心は秋の空っていうし、一年経てば新しい人間関係もできるだろうし。


 駄目だ。考えるのはよそう。


 もし誰も来てくれなかったら、総司と松田のところに突撃しようそうしよう。


「――よし」


 覚悟を決めて教会へのゲートを通り抜ける。


 目の前に見えるのは、リィラの像と、窓から抜ける温かな日差し。


 そして後ろから、声が聞こえた。




「おお勇輔! ようやく来たな‼」

「勇輔―、久しぶりー‼」




 ――――――。


 ――――。


 ――。


 後ろを振り返ると、ついさっき顔を思い浮かべていた総司と松田が、教会の椅子に座っていた。


「は? え、なん――」


 総司と松田だけじゃない。


 小さな教会の椅子は、人でいっぱいだった。


「勇輔君! 元気してた⁉」


「なんだか前より大人っぽくなったねえ」


「うわーーー‼ 会いたかったよーー‼」


 加賀見綾香かがみあやかさんがいる。土御門晴凛つちみかどせいりんがいる。四辻千里よつつじせんりがいる。


 ――ちょっと待ってくれ。


 状況が理解できない。頭が追い付かない。


 どうして皆がここにいるんだ? 俺がゲートを開かない限り、地球とアステリスは行き来できない。


 そして『昊橋カケハシ』を操作できるのは俺以外――。


『私のことはいいから、あなたは行ってきなさい』


 いつもと違うシュルカの笑みは、そうまるで、いたずらが成功する前のような子供のようで。


 ‥‥そういうことか。


 はめられた。


「いつまでほうけてんだよユースケ。しっかりしろよ」


「――コウ!」


 教会の後ろで、柱に寄り掛かるようにコウガルゥが立っていた。


 着慣れないスーツを腹立たしいほど見事に着こなし、にやにやと笑っている。


 そうして後ろを見て、誰が座っているのか分かった。


 イリアルさんとユネア。


 ベルティナとネスト。


 セバスさんも、無事生き返れたのか。


 その横にはセントライズ王国の騎士団長であるロイド・ストラ・ヴェネトス。


 端には憮然ぶぜんとした表情のジルザック・ルイードが見えた。


 戦いに関わった人だけじゃない。地球や、アステリスで深い関係を築いた人々が、そこには座っていた。


 だが一番驚いたのは、俺の左側、最前列に座っている二人だった。


「‥‥‥‥‥‥母さん、父さん。どうして、ここに‥‥」


 そこにいたのは、もう何年もまともに会っていない母さんと、父さんだった。


 アステリスに召喚され、戻ってきた時には、もう壊れてしまっていたもの。


 一度壊れたら、二度と元には戻らないのだと、理解させられたもの。


 着物に身を包む母さんと、白髪交じりの父さんは、俺の記憶よりも幾分年老いて見えた。


 二人が立ちあがり、俺の前に立つ。


「‥‥何人もの人たちが、この一年間、あなたの話をしに来たの」


「到底信じられない話ばかりだった。馬鹿にされていると思ったよ」


 二人はそう言いながら、穏やかな表情をしていた。ずっと昔、子供の頃に見た、あの時と同じように。


「ただね、皆真剣なの。皆があなたのことを本当に思ってくれているんだって、心から伝わったわ」


「父さんたちは、何も知らなかった。知ろうとしなかったんだな」


「そんな、そんなことは‥‥」


 言葉は続かなかった。


 涙で視界が歪み、二人の顔がまともに見られない。


 やめろみっともない。


 皆が見ている前で泣くなんて、恥ずかしいだろ。


「ごめんなさい。もっときちんと、あなたと話をすればよかった」


「すまなかった」


「‥‥謝らないでくれ。二人は何も‥‥何も悪くない」


 そう、母さんも父さんも、何も悪くない。


 息子が突然いなくなって、帰ってきたと思ったら傷だらけで、得体の知れない力を持っていたら、そんなもの、そう簡単には受け入れられない。


 それでも二人は努力してくれた。


 俺が、二人から感じるよそよそしさに耐えきれなくなって、逃げ出したんだ。


 まともに話もせず、分かってもらう努力もせず、一人になろうとした。


「ごめんっ――!」


 下げた頭を、母さんの手が優しく撫でてくれた。


 アステリスで何度も思い起こした家族の記憶が、頭の中で弾けてあふれ出す。


 こんなにも、簡単なことだったんだな。


「私たちのことはいいわ。待たせている人が、いるんでしょう」


 母さんに言われて顔を上げると、席に座る皆が、俺を見ていた。


 正確には、これから起こるであろう何かを期待するように、待っていた。


「そう、だな‥‥」


 この場所にはたくさんの人たちがいる。


 それでも、大切な人たちが欠けていた。


 どうして皆この場に揃ってないんだ? サプライズなら、もう充分すぎる。


 それにこれだけの人が集まるなら、この教会の椅子だって、もっと別の形が良かったはずだ。


 これじゃあまるで――。


「来るぞ」


 誰かが言った。


 その声は教会に静かに響き渡り、静寂が舞い降りる。


 それを待っていたかのように、教会の後方、大きな扉が開かれた。


 そこから、純白のウエディングドレスに身を包んだ女性たちが、一人ずつ皆の前を、バージンロードを歩く。




 凛と背を伸ばし。


 真っ直ぐな視線で胸を張り。


 音もなく滑るように。


 楚々そそたる立ち振る舞いで。


 向日葵ひまわりのように笑い。


 楽しそうにヴェールを揺らめかせ。


 震える足を気力で前に出し。


 跳ねるような足取りで。



 

 俺の前に、八人の花嫁が並んだ。


 そして彼女たちは馬鹿みたいに口を開けて突っ立つ俺の前で、みずからヴェールを上げた。




 エリス・フィルン・セントライズ。


 メヴィア。


 シャーラ。


 伊澄月子いすみつきこ


 陽向紫ひなたゆかり


 ノワール・トアレ。


 カナミ・レントーア・シス・ファドル。


 リーシャ。




 一人一人が何色にも染まっていないドレスを身に纏い、魅力にあふれた顔で、俺を見つめていた。


 ここまで来れば、いくら鈍感で馬鹿な俺でも、何が起こっているのか分かった。


 きっと彼女たちは自分たちで決めたのだ。


 俺の答えなんて待たないと。


 自分の情けなさと、あまりに彼女たちらしい選択に、何を言っていいのか分からなくなる。


 というよりも、一人一人の姿が言葉を尽くせないほどに綺麗で、口が動かない。


 視線をさまよわせ、口を開け閉めする俺へ、エリスが一歩前に出た。




「ユースケ。私はあなたを愛しています。今度はどんな障害があろうと、必ずあなたの手を取って、共に生きることを誓います」





 メヴィアが。


「勇者様――、なんて今更柄じゃないよな。私を外に引っ張り出して世界を見せてくれたのはお前だ、ユースケ。最期の瞬間まで、隣にいさせてほしい」





 シャーラが。


「私の気持ちは、あの時から何も変わっていない。ユースケ。やっぱり私は、あなたの一番になりたい」




 月子が。


「勇輔。あなたと一緒にいられた時間が、私の一番の宝物よ。これからも、私はあなたとたくさんの宝物を見つけて、生きていたい」




 陽向が。


「先輩。いつも助けてくれてありがとうございます。好きです。ずっと好きでした。私にも勇輔さんを助けさせてください」




 ノワが。


「もう離さない。離れない。だって、誰よりも何よりもあなたを愛しているから。覚悟してね、ユースケ」




 カナミが。


「ユースケ様。わたくしにとってあなた様は、最も尊敬する人で、最も愛しい人ですわ。もう、この想いが自分では止められませんの」




 リーシャが。


「出会ってからこれまで、ずっと、ありがとうございます。あなたのおかげで、私は本当の自分に出会えた気がします。好きです。ユースケさん、大好きです」




 涙が流れていた。


 皆が、言葉と共に透き通る美しい涙をこぼしていた。


 いや、それは俺も同じだった。


 もうどうにもならないくらい気持ちがあふれて、ぼろぼろと目から涙が落ちていく。


 皆がこんなに勇気を出してくれている。


 一つ一つの言葉に込められた想いが、どれだけ大きくて重いものか。


 適当な答えなんて許されない。覚悟を決め、答えなければならない。彼女たちの勇気に報いるだけの言葉を。


 俺は、俺は――――――。


「ユースケさん」


 いつの間にか、俺の前にリーシャが立っていた。彼女は俺の両手をすくいあげるように優しく包み込む。


「――リーシャ」


「選んでください」


「リーシャ、俺は」




「全員と結婚するか、誰とも結婚しないか、どちらかです」




「俺は―――――――――は?」


 待て、今なんて言った?


 思わず顔を上げると、リーシャも、後ろの七人も、笑っていた。


 初めからこうなることは分かっていたと言わんばかりに。


「ユースケさん。この待たされた一年間で、私たちもよく話し合ったんです」


「ああ、それはごめん。どうしても戻れなくて‥‥って、何を話したって?」


「ユースケさんがあまりにも罪作りな人ですから、これは全員責任を取ってもらうか、そうでないのなら、全員を諦めてもらおうと」


 え、そんなことある?


 普通こういうのって、誰か一人選んでくださいじゃないの?


 オールオアナッシングって、こういう時に使うものじゃなくない?


「幸いにもアステリスなら一夫多妻制も珍しくありませんし、今のユースケさんに何か言える人もいませんから」


「そういう問題じゃ‥‥え、そういう問題なのか」


 駄目だ。頭が回らない。


 リーシャたちを見ても、その後ろに座る人たちを見ても、皆が笑って俺を見ていた。


「さあ選んでくださいユースケさん。私たちと――」


 俺は、リーシャの唇を人差し指で押さえた。


 もうこれ以上彼女たちに頑張ってもらうわけにはいかない。


 ははは。結局最後の最後まで、皆にリードされっぱなしだ。らしいっちゃらしいけど、多少は格好をつけないと、男がすたる。


 俺は一人一人花嫁たちの顔を見た。


 一人だって、俺にはもったいない素敵な女性たちだ。


 それでも彼女たちは言った。俺を選んでくれると。俺が良いのだと。


 だったら選ぶ道なんて、最初から決まっている。




 真っ赤な緋色の髪が、白いヴェールによく映えている。初めて会った時から、ずっと俺を助け、支えてくれた初恋の人。


「エリス」

「はい」




 純白のドレスが包む小さな体が、愛らしく、守ってあげたくなる。実際には、ずっと俺を守り続けてくれた人。


「メヴィア」

「はい」




 明るい場所にいても、彼女の周りだけは静かな夜のような落ち着きに満ちていた。俺の背をそっと支え続けてくれた人。


「シャーラ」

「はい」




 濡れ羽色の髪と、芍薬しゃくやくのようなすらりとした立ち姿が綺麗だ。地球に戻ってきた俺を、不器用ながら救ってくれた人。


「月子」

「はい」




 彼女の温かな笑顔は日常の象徴だ。俺が無くしたものを、幸せを、いつも当たり前の顔で持ってきてくれる人。


「陽向」

「はい」




 桜色の瞳は、彼女の気持ちと同じく、燃えているようだった。種族の壁を越え、俺を好きだと言ってくれた人。


「ノワ」

「はい」




 救った命が、今目の前にいる。成長し、俺に気持ちを伝えてくれる。過去の俺を、間違いではなかったと肯定してくれた人。


「カナミ」

「はい」




 ヴェールに透ける黄金が、あまりに眩しい。君に会わなければ、今の俺はいなかっただろう。今もうじうじと悩んで、鬱屈うっくつとした思いにさいなまれ続けたはずだ。そんな俺に、もう一度やり直すチャンスをくれた人。


「リーシャ」

「――はい」




 ありがとう、皆。ありがとう。




「好きだ。皆を愛している。だから、必ず皆を幸せにする」




 これは誓いだ。


 勇者白銀シロガネではなく、山本勇輔として立てる誓い。


 この選択が間違いだったなんて、誰にも言わせない。


 爆発する歓声の中で、皆が駆け寄ってきた。飛び込んでくる全員を受け止め、思う。




 さあ、ハッピーエンドはここからだ。




    ◇   ◇   ◇




「――」


 風が吹き抜け、シュルカは思わず顔を上げて空を見た。


 青々とした空に、小さな雲が流れている。


 きっとあの教会では、今頃勇輔が目を白黒させているころだろう。


 少しくらいは意趣返しができたかと、下を見る。


 そこには小さな石の墓標が草に埋もれるように置かれていた。


 ここは約束の丘。もう今は誰も来ない、静かな場所。


「私はもう少しだけ、未来を見届けるわ。‥‥ゆっくり休んでね」


 そう言って、シュルカは花を墓標に手向けた。


 花の名は、アイリス。


 花言葉は、勝利の運命。


 ―― そして、永久とわの愛。

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