第70話 おにぎり戦争

 嘘だろ、始まって数秒しか経ってないんですけど。やっぱり俺の溢れ出るオーラでは隠密はできないのか‥‥。LEDかな。


「先輩、呼ばれてるんですから、馬鹿な事考えてないで早く行きますよ」

「なんで考えてる事が分かるんだよ‥‥」

「顔に書いてありました」


 ええー、そんな分かりやすい顔してるか、俺。


 そんなことを話している間にもリーシャはぴょんぴょんと飛び跳ねながら手を振ってくる。男たちからの視線が痛い。


「ユースケさん、食べないんですか?」


 跳ぶな跳ぶな手を振るな。胸の部分がお淑やかさとはかけ離れた動きしてるから。男たちの視線が俺とリーシャの間で行ったり来たり。殺意と性欲の反復横跳びだ。


 こうなっては仕方ない。なるべく目立たないように、素早くリーシャへと近寄った。


「はいはい、ちゃんとおにぎり作れたのか? 迷惑かけなかったか?」

「いつも思いますけど、ユースケさんって私のことそこはかとなく馬鹿にしてますよね?」

「そんなことありませんよ?」

「本当ですか?」


 ありません。


 ムスっと頬を膨らませるリーシャの隣で、おっとりした細目の美人さんが口を開いた。


「そんなに心配しなくても、リーシャちゃん上手に作ってたわよ。外国の人ってお米の香りが苦手な人もいるって聞いたことあるけど、そうじゃなくてよかったわ」

「諫早先輩、面倒見てくれてありがとうございます」


 美人さんこと諫早先輩は、怖い視線を向けてくる男たちを目で黙らせながら、ゆったりと手を振った。相変わらず手馴れてらっしゃる。


「いいのよー。リーシャちゃんみたいに素直な子だと教え甲斐があるわ」

「恵奈さん、ありがとうございました!」


 笑顔で御礼を言うリーシャを諫早先輩は優しい眼差しで見ていた。リーシャは触れがたい外見とは違い、天真爛漫というか純粋な明るさがあるので、その気持ちはよく分かる。


 まあそのせいで周囲の男性陣からはどす黒いオーラが漏れ出てるんですけどね!


 月子と別れてからはこういうことも少なくなってたのにな‥‥。


 さっさと貰って退散しますか。


「とりあえずおにぎり貰っていきますね」

「あ、待ってくださいユースケさん」

「何だよ、大分お腹減ってるんですけど」

「食べるならこれ、持って行ってください」


 そう言ってリーシャが後ろに置いてあった手提げからタッパーを取り出した。中身は何の変哲もないおにぎりが五個。いや、他のおにぎりに比べると幾分形が歪だ。


 まあ誰が作ったかなんて聞かなくても分かる。


「ん、サンキュー」


 俺がタッパーを受け取ると、リーシャは何とも言えない緊張した面持ちでタッパーを見ていた。


 何だかリーシャがこういう顔をするのは珍しいな。


 そういえば、エリスの手料理を初めて食べた時も似たような顔をしていた気がする。頬を赤くして、唇は引き結ばれたまま、視線は射殺さんばかりに鋭い。いや、リーシャは流石にそこまでじゃないな、鷹とひよこぐらいの開きがある。


 あいつも生粋のお嬢様だったから、手料理なんて作ったことがなかった。


 そんなことを懐かしく思いながら、タッパーを開けておにぎりを取り出す。俺が握るよりも小っちゃくて、まだほのかに暖かい。


「いただきます」


 一口で半分を食べると、程よい塩気と米の甘さが口いっぱいに広がった。具は昆布か、手作りのおにぎりを食べる機会って意外と少ないけど、いいもんだな。

そのまま二口で完食し、リーシャに言う。


「ごちそうさま。美味かったよ」

「本当ですか⁉」

「これだけ作れるなら、カナミの手伝いもできるんじゃないか?」

「そんな、それは言い過ぎですよ」


 そうは言いつつ、リーシャはニコニコしながら身体を揺らす。まるで犬が尻尾振ってるみたいだ。


 ただ犬とは違い、その美貌とスタイルは大変よろしいような、よろしくないような感じなので、周りの男たちはノックダウン寸前だ。


 かくいう俺も数々のハニートラップで耐性をつけていなければ、間違いなくこの場で告白していた。


 こいつ、戦闘以外の場面なら男に対してリーサルウェポン過ぎる。


 そんな停止する男たちの間を縫って、ひょっこりと顔を出す妖怪が一匹。


「リーシャちゃん、僕の分は? 僕の分はないのかな⁉」

「お前、さっきヘイトがどうこう言ってなかったか?」


 俺の聞き間違い?

 松田はお子様には見せられない笑顔でサムズアップした。


「この状況、どう考えたって勇輔のヘイトがカンストしてるからね。今更僕がもらったところで問題ないでしょ」

「考え方が下衆すぎる‥‥」

「戦略的と言ってくれたまえ」


 得意気に鼻を鳴らす松田。否定できないのが余計に腹立たしい。


「あ、松田さんの分もありますよ」


 聖女のリーシャは変態にも分け隔てなくタッパーを取り出した。あんまりそういうことすると、本当に調子乗るぞこいつ。


「本当⁉ ありがとうリーシャちゃん、これは家宝にするからね!」

「早めに食べた方がいいと思いますけど‥‥」


 ドン引きするリーシャと、狂喜乱舞しながらタッパーを受け取る松田。こいつなら本当にやりかねないところが怖い。


 ドロンと消えゆく妖怪の後姿を眺めていると、今度は入れ替わりで陽向がリーシャに声を掛けた。


「リーシャちゃん、あんまり松田さん甘やかさない方がいいよ? 際限なく調子乗るし」

「そ、そうでしょうか。気をつけます」

「先輩のこともあんまり甘やかさないようにね」

「おい、俺がリーシャに甘やかされたこととかないからな?」


 むしろ甘やかしてる側だろ。ちなみにカナミさんには大変お世話になっております。


「あ、陽向さん。陽向さんもこれ持って行ってください」

「私のもあるの? ありがとう、うれしい!」

「陽向さんにはいつもお世話になってますから」


 ニコニコしながら陽向にタッパーを渡すリーシャ。わざわざ俺たち用に別でおにぎり作ってたのか。


 初めてのおにぎり作りで、俺たちの分をたくさん‥‥ね。


 あることに気付いた俺は、小声でリーシャに尋ねた。


「もしかしてリーシャ、俺たちの分のおにぎりしか作らなかったのか?」

「あ、あー」


 するとリーシャは、露骨に視線を逸らした。指でサラサラヘアーをクルクルしながら言う。


「ちょっと他の方の分を作っている時間はなくて」

「それは全然いいんだけど、分かった」


 チラリと諫早先輩を見ると、先輩は小さく頷いた。この情報は他のメンバーには聞かれないようにしないと。このおにぎりを巡って熾烈な争いが生まれかねない。


「ん、そうすると俺のはないのか?」


 後ろで俺たちの話を聞いていた総司が当然の疑問を呟いた。


 そういや総司だけもらってないな。松田の分だけないなら分かるけど、総司の分だけないのはリーシャの性格からして変だ。


「あ、総司さんの分はですね」

「なんだ総司、ここにあるおにぎりじゃ満足できないのか⁉」


 え、何。


 リーシャの言葉を遮って割り込んできたのは、我らが文芸部の会長だった。


 この深夜にも関わらずこのテンション、酔ってるとしか思えないが、この人の恐るべきところは平時からこんな感じということだ。


「いや、全然ここにあるおにぎりでいいっす」

「確かにお前程の男じゃ、この大きさでは足りないかもしれんな、な!」

「人の話聞いてますか会長?」


 困惑顔の総司。


 あーなるほど、そういうことか。リーシャが総司の分だけ作らなかった意味が分かった。


 回りくどいやり方するなあ、会長も。


「しょうがない! そんな奴もいるかと思ってこの私が、直々に特別なおにぎりを作っておいてやったからな、ありがたく受け取るがいい」

「夜だし、普通のおにぎりでいいんすけど‥‥」


 会長が総司に気があるのは、文芸部じゃそれなりに周知の事実だ。


 手作りのおにぎりを食べてほしいけど、それを正面から伝えるのは恥ずかしい。そんな初心な会長の策略だろう。ああ見えて女子高育ちの奥手なのである。


 会長は明らかに想いが込もり過ぎな爆弾おにぎりを、総司へと押し付けていた。今時中学生だってもう少し考えてアプローチするって。


「じゃ、リーシャありがとうな」

「ありがとリーシャちゃん」

「はい頑張ってください!」


 普段ならテンパる会長をもう少し見学していくところだけど、まだ仕事が残ってる。戻って仕事しよ。


 将来職に就いたら、こうやって夜も徹して仕事しなきゃいけないのかなあ。勇者時代の肉体的な疲労と、こういう頭を使う疲労って全く別物なんだと気付いたよ。絶対社畜とか無理だわ。


 タッパーの中のおにぎりを更にもう一個取り出して口の中に放り込みながら、そんなことを考えていると、隣の陽向が唇を尖らせて俺を見上げていた。


「どうした? 具は陽向のと変わらないと思うぞ」

「違いますよ。何言ってるんですか」

「え、梅が羨ましかったんじゃないの」

「そんな理由なわけないじゃないですか」


 はぁ~と大きなため息をついて陽向が肩を竦めた。じゃあなんだよ。女子の気持ちは魔術の深奥よりも難解である。


「いえ、やっぱり私もおにぎり担当の方がよかったなって思っただけです」

「なんだ、食べてほしい人でもいるのか?」

「さあ、どうでしょうね?」


 陽向はいつも通り悪戯っ子のような笑みを浮かべた。そりゃ陽向にそういう相手がいてもおかしくはない。


 こないだは妙な迫られ方をしたけど、あれはタリムの策略だったしなあ。残念なような安心したような。


 席に座ってからリーシャの最後のおにぎりを手に取った。ふと思い出すのは、去年食べたおにぎり。結局あれは誰のだったんだろう。


 ほんのりと効いた塩味が疲れた身体に染み込んでいくのを感じながら、俺はここにはいない彼女の姿を思い浮かべていた。

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