第71話 いわゆる大人の事情という理不尽

 世界には魔が存在する。


 それは世に満ちる気が悪しき澱みを作り出した時、闇より這いずる化生である。


 彼らは魔物、悪魔、妖、時代によって様々な呼ばれ方をされてきたが、その本質は何れも変わらない。


 創造に破壊を。善意に悪意を。命に死を。


 人類にとって不変の大敵。


 当然のように、人も魔に対抗するための機関を作り上げた。姿や名前は変わろうと、同様にその本質は変わらない。


 即ち人を護り、悪を穿つ。


 現代日本において魔術を用い、魔を滅する機関の名を『対魔特戦部』といった。


 対魔特戦に所属する人間は、ほとんどが古くからの陰陽師や魔術師の家系の者だ。しかし血筋に頼るばかりでは、人材不足は必至。


 人工の光が闇を駆逐する現代では、昔に比べ魔の気配は薄くなりつつある。しかし人が存在する以上、魔が消えることはない。


 故に時代と共に少なくなっていく対魔官の増員は必須だった。


 そして人を増やすということは、それに付随して仕事が増えるのも道理であった。






「えーー、えーーー? はぁあああああ?」


 突然送られてきたメールを睨みつけ、おかしな声を上げている女性もまた、そんな時代の波に翻弄される一人だった。


 加賀見綾香は若干二十三歳でありながら一線で戦う対魔官である。


 加賀見家は有名な陰陽一族であり、その生まれである綾香も波動の魔術を用いる魔術師だ。


 しかし最近は戦闘よりも事務処理系の仕事ばかり任されている。


 というのも、異世界から来た聖女だとか魔族だとか、白銀の騎士だとか、そんな厄介ごとがクリスマスと正月の欲張りハッピーセットばりにやってきたのだから、当然と言えば当然だろう。


 状況の確認。上への報告、状態の復元、周辺住民への補填などやることは山のようにあるわけだが、そんな綾香の元に届いた一通のメール。


 そこに書かれている内容は、綾香の限界を超えて奇声を放出させるのに十分すぎるものだった。


「‥‥どうしたんですか綾香さん?」


 ここは対魔特戦三条支部。とてもオカルトを専門とする部署とは思えない、一般的なオフィスといった内装で、当然ながら綾香以外の職員も仕事をしている。


 綾香の後輩にあたる男は、心底面倒くさそうな顔で綾香に尋ねた。


 少し前にこの状態の綾香を全員で無視したところ、あとで酷い八つ当たりにあったので、この後輩が話を聞く人身御供として選ばれたのだ。


「ちょっと、これ見てよこれ」

「なんですか、また無茶な仕事でも振ってきたんですか?」


 後輩は仕方なく綾香の横からモニターを覗き込んだ。


 メールを出してきたのは、あまり支部に顔を出さないことで有名な支部長だった。


「新人研修ですか、こういうのもうちでやるんでしたっけ」

「違うわ。研修そのものは本部の方で仕切ってるから、問題はそこじゃないのよ」

「じゃあ何が――あれ、これって」


 後輩はメールの文面を読み進めていき、見覚えのある名前があることに気付いた。


「姫さんにも参加してほしいって、姫様別に新人じゃないですよね」

「そうなのよ、意味分からないでしょ」


 綾香は背もたれに体重を預けため息を吐いた。


「なんだなんだ」

「姫さんの名前が聞こえたぞ」


 姫様、という言葉に反応して周囲で聞き耳を立てていた同僚たちもわらわらと集まってくる。


 姫様、あるいは姫さんとは、この支部に所属する対魔官のことで、本当の名前は伊澄月子と言う。


 支部最年少でありながら、第二位階の実力をもつ魔術の天才。


 そう遠くない内に第一位階に届くとまで言われた彼女は、この支部どころか対魔特戦部全体でも有名な存在だ。


 メールの内容は、対魔官になったばかりの新人たちの研修を行うということ。そしてその研修に、月子を同行させたいという旨が書かれていた。


「なんでわざわざ新人研修に月子なわけ? どう考えたってオーバーパワー過ぎるでしょ。何相手にするつもりなのよ」

「純粋に監督者として引率してほしいんじゃないですか?」

「はあ? あんただったら月子に新人の引率任せるわけ?」


 綾香の呆れ声に後輩は暫く考え、首を振った。


「ないですね」

「そうでしょう」


 実力のある人間が教育者として優秀とは限らない。コミュニケーション力が著しく低く、単独行動が得意な月子に引率なんてできるわけがない。


「そもそも内容を見る限りじゃ引率は別にいるみたいだし」

「それは謎ですね‥‥。姫さん一人で大体の怪異は祓えちゃいますよ」


 後輩は腕を組んで訝し気な顔をした。対魔官の研修といえばほとんどは実践研修。新人が戦える怪異なら月子は必要ないし、逆に月子が戦うレベルなら新人は足手まといだ。


 どちらにせよ新人研修に月子が参加する意味はない。


「本当に誰が考えたのかしら、こんなこと」


 呟きながら綾香がコーヒーを取ろうとした時、後ろからメールを眺めていた初老の職員が呟いた。


「多分だけど月子ちゃんは、力の誇示のために呼ばれたんじゃないかな」

「力の誇示ですか?」


 後輩が尋ねると、初老の職員は顎を触りながら頷いた。


「対魔特戦部も一枚岩とは言えないからね。伊澄家はその中でも本部との繋がりが強い家だ。月子ちゃんが上の指示で動くっていう事実を見せたいんだろう」

「新人たちへの牽制にするつもりだと?」

「その後ろにある家に、だろうね」


 魔術を使える家というのは、つまり武力を持つ家ということだ。この現代においてそれらは全て国の管理下にあるが、完全に掌握し切れているわけではない。


 そこで伊澄月子という魔術師が対魔特戦に従順であるという事実は、他の家に対して強力な牽制になりえるわけだ。抑止力は相手に認識されて初めて力を持つ。


「‥‥」


 その会話を聞きながら、綾香は研修に参加する新人たちの名簿を見た。魔術師の間では名の通った家名がいくつも書いてある。


「気に喰わないわね」


 やるせない怒りを呟きに乗せ、綾香は目を細めた。


 上の連中に月子が使われるのも、それを止めることができない自分にも、どうしようもなく腹が立つ。


 支部長がこの話を綾香に通している時点で、この案件は既に承諾済みということだ。


 今更綾香個人がどうしようと、この決定は覆らない。


 そんな苛立つ綾香に戦々恐々としながらも、後輩は言った。


「でも見方を変えれば、それだけ姫様の実力を上が認めてるってことですよね」

「その月子がいるせいで、応援も断られてるわけだけどね!」


 神魔大戦が確認されてから綾香は幾度となく上に現場の増員を求めているが、中々それは実現していない。


 魔族の危険性は嫌という程伝えたはずだが、上の決定は綾香を苛つかせるばかりだった。


 解決しているから軽視しているのか、それとも実際に見ていないから分からないのか。


 確かに対魔官は慢性的な人手不足。月子がいる支部にこれ以上戦力を割けないというのも分からない話ではないが。


 こればかりは嘆いても仕方ない。


「ああ、もう。そんで結局いつなのよこの研修ってのは」


 断れないなら、せめてきちんと準備をしないと。


 そんな思いで文章を読み進めた綾香は、途中で顔をしかめた。


 研修の始まりは八月十日から一週間前後。


 八月十日。どこかで聞いた覚えが‥‥。


「八月十日ぁ⁉」

「なんですかいきなり」


 迷惑そうな後輩を無視して綾香はマウスを操作して、あるファイルを開いた。それは月子の勤務予定表。そもそも月子は大学に通いながら対魔官の仕事をしているため、普通の職員とは勤務形態が大きく違う。それを把握するための予定表なわけだが。


「噓でしょ‥‥思いっきり休みの日じゃない」


 しかもただの休みじゃない。月子が所属しているサークルの合宿だ。イベントや行事でも淡泊な反応をする彼女だが、この合宿だけは楽しみにしていた。態度にこそ出さないけれど、付き合いの長い綾香には、言動の節々からそれが分かるのだ。


 しかも今年は元恋人との関係に悩んでいて、合宿が何か変化の切っ掛けになるのではないか、そんな期待もあったのだろう。


 しかしどうにもならない。何かの組織に属するということは、時に怪異以上の理不尽が降りかかるということだ。いくら魔術を鍛えたところで、抗うことはできない。


 綾香は月子にどう伝えたものかと頭を抱えた。


 そうして月子本人の全く与り知らぬところで、彼女の合宿不参加が決まってしまったのだった。

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