第95話 武者の亡霊

 山の中は奇妙な魔力の残滓に溢れていた。やっぱり核となっているのは山頂付近の結界らしき場所。そこから出てきた植物や動物によって魔力が運ばれている感じか。


『感じる、弟の気配が徐々に強くなってきておる』


 布の中で妖刀が震える。


 そうだな、戦いの時はもう間近だ。


 この様子だと結界に入るまでは何事もないだろう。おれは一気に山道を駆けあがる。


 そして程なくしてその境界線は木立の陰に現れた。


 見た目では何の変化もないが、ここから明らかに魔力の膜で覆われている。


 軽く手を差し込むと、何ら抵抗なく膜の中に入った。


「‥‥これは」

『どうした? 急がなければならのだぞ』


 そうしたいのは山々なんだが、この手に纏わりつく魔力の気配が気になる。まるで死神に腕を掴まれているようだ。


 いや、今考えても仕方ない。


 嫌な予感を振り払い、妖刀を布から取り出した。


「行くぞ」

『おう』


 短く言葉を交わし、俺たちは結界へと踏み込んだ。


 瞬間世界が色を無くし、冷たい空気が泥の様に圧し掛かってきた。


 だが驚くべきはそこじゃない。


 冗談だろ。


 この空間は濃密な魔力に満ちていたのだ。


 魔力とは生物が自然界のエーテルを取り込むことで生まれるものだ。結界内とはいえ、これだけの魔力が流れているのは異常。


 これは想像以上に厄介な相手かもしれない。


 思わず足を止めて周囲を観察していると、俄かに魔力が意志を持ったかのように流動し、様々な場所で厚みが生まれるのが分かった。


 その効果はすぐに知れた。


「これは」

『なんと‥‥これ程までに力を付けていたのか』


 俺たちを取り囲むように魔力の厚みから現れたのは、幾人もの武者たち。さながら時代錯誤の合戦である。


 このために魔力を流してたのかよ。こんな真似ができるなんて、それこそ称号持ちの魔族に匹敵する力だぞ。


「これが弟の魔術か? 死霊を操るとか、自分の過去を再現するとか」

『儂にも詳しいことは分からん。しかし儂の知る限りでこんな芸当は出来なかった』

「じゃあ魔術そのものが進化してるんだな」


 最悪の予感が確信に変わろうと、すぐそこまで近づいている。


 とにかくやるべきことは決まっている。


『どうする、これだけの数だ。一点を突破して上を目指すか』

「何言ってんだ。ある意味じゃ丁度いいだろ」

『なんだと?』


 魔術には驚いたが、見たところ特殊な能力を持っているというわけでもなさそうだ。


 鍔を親指で押し出し、刀の鯉口を切る。


「折角向こうが試し切りの案山子を用意してくれたんだ。乗らない手はない」


 俺が臨戦態勢に入ったのに気付いたのか、それとも偶々か。周囲にいた武者たちが一斉に走り始めた。


 一番初めに間合いに入ったのは右手から飛び込んできた刀持ち。


 既に抜刀し、上段からの振り下ろし。単調な技程、勢いと力が合わさればそれだけで十分な脅威になる。


 如何せん遅すぎる。


「ふっ」


 振り向きざまに右足を踏み込み、身体を沈める。左手で鞘を引き、鞘の内側で刃を滑らせるように速度を付け、斜め上へ一閃。


 相手の刃が届くよりも先にこちらの切っ先が弧を描いて喉を切り裂いた。


 居合切りというにはお粗末な居合もどき。やっぱり普段使ってるバスタードソードとは重さも振りの感触も何もかもが違うな。


 鎧も着てないし、これは慣れるまで時間がかかりそうだ。


 軽く刀を揺らしている間にも、次の武者が襲い掛かってくる。一歩退いて敵の攻撃を避け、反撃しようとしたところに今度は文字通り横槍が入る。それもすんでのところで受け、弾いた。


 こいつら連携してくるのかよ。というよりこっちの隙を全力で突いてきてる感じか。


 槍を持った武者と突撃してきた武者が一直線になるように位置取り、相手の技の選択肢を潰す。


 まずは正面から。


 袈裟斬りにこちらも全力で踏み込み刃を合わせた。身体能力はこちらが上だ。ぶつかった衝撃で刀身が離れた瞬間に蹴りを膝に叩き込み、崩れた隙を突いて首を切り落とした。


 しかしその一瞬を狙って倒れ行く武者の奥から槍が胸元へと迫る。


 そうくるよな、タイミングが分かるならこっちも対応が楽だ。


 刀で槍を外側に受け流し、そのまま前へと走る。


 相手も槍を引き戻すが、遅い。その速度ならこっちが間に合う。相手に反撃を許さず、勢いそのまま胴を薙いだ。


 切れ味が悪いせいで両断とはいかないが、確実に腹の中心近くまでを割る。


 そこからは一方的だった。集団戦の基本は脚を止めないこと。


 相手に捕まったら袋叩きにされる。今の俺は魔術を発動してないから、一発貰うだけで致命傷だ。


 故に脚を動かして相手に囲まれないように位置取りし、一人ずつ切り倒していく。


 全員が光の塵となるのに、そう時間はかからなかった。


『なんと、凄まじい』

「大したもんじゃない。相手からしても探り感覚だろうし」


 この程度で終わってくれるなら楽なもんだけど。


 それにしてもこの刀錆びすぎじゃないか、切れ味悪過ぎて刀使ってんだか棍棒使ってんだか分からなくなってくるぞ。


 いまいち入りづらい鞘に刀身を収めていると、静かな森の中に女性の悲鳴のような金切声が響いてきた。まるで心臓を握りつぶされるような悲痛な叫び。


「なんだ?」


 ただの声じゃない。この空間に満ちている魔力とは別の魔力が篭った声だった。


 誰かが戦ってる。月子の魔術じゃないな。別の対魔官か。


 方向はこちらから東。月子の魔力は感じないから、いるとすれば山頂付近だろう。彼女なら絶対に前線に立つはずだ。


 判断を迷うことはなかった。俺が来たのは月子を助けるためだ。それでも目の前の誰かを見捨てて先には進めない。


 あの声は恐らく全身全霊をかけた最後の魔術。遠くから聞いてもそれが分かる一撃だった。


 状況は一刻を争う。声の方向に全力で走り出す。


 山の中を走るなんて久々すぎて感覚を忘れている。それでも木の根に足を取られないように、速度を落とさず駆ける。


 戦いの場はすぐに見えた。


 敵は槍を持った半月の兜が特徴的な武者。対するは二人の少年少女だ。少年たちは服装からしてやはり対魔官だろう。


 二人とも倒れ伏し、形勢は火を見るより明らかだ。今まさに少年へと槍の穂先が向けられる。


 やばい、間に合わせろ!


 もはや転けるかもなんて考えてる状況ではなかった。倒れる寸前まで前傾姿勢に倒れ込み、足を撃鉄のように振り下ろす。全身を魔力が爆走し、炎に巻かれたように熱くなった。


 ゴッ! と踏み込んだ足が地面を爆散させ、俺の身体を前へ押し出す。


 一つ瞬きする間に抜刀し、少年を飛び越え半月武者へと肉薄する。


 間に合った。


 その勢いのまま斬り伏せようとしたが、半月武者の動きもこちらの想定を上回る。


 俺の存在に気付くやいなや、恐ろしい速度で突きを放ってきたのだ。


「っ⁉︎」


 ここで下手に避けたら次が捌けない。



 臆せず穂先を見据え、思い切り刀を叩きつける。ギィン‼︎と両腕に重い衝撃が走り、危うく押し負けそうになるが、歯を食いしばって弾き飛ばす。


 そうなれば懐に飛び込んだ俺の方が有利。地面に着くと同時に踏み込み、それを軸足に身体をぶん回す。遠心力の乗った回し蹴りは槍斧の如き勢いで武者の腹に激突し、吹き飛ばした。

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