第380話 半円の円卓

    ◇   ◇   ◇




 魔術師たちが己の責務と誇り、命を懸けて戦い始めた時、天秤に掛けられる者たちがいた。


「ここは‥‥」


 意識を取り戻したリーシャは、自分が椅子に座っていることに気付いた。


 彼女がいる場所は、白い部屋だった。


 余計な装飾のない、簡素な部屋。


 そこには円卓が置かれ、何人かの少女が座っていた。


「リーシャさん!」

「これって‥‥ネストはどこに行ったのよ」


 ユネアとベルティナが困惑した声を上げる。


 二人もまたリーシャと同じように椅子に座らされていた。


 リーシャは立ちあがり、状況を確認しようとした。


 しかしそれはできなかった。


「た、立ち上がれません」


 机に手を着き、身体を捻り、ありとあらゆる方法で椅子から立ち上がろうとするが、リーシャの身体は決して椅子から立ち上がれなかった。


 拘束されているわけではない。実際に椅子の上にいるかぎり、身体は自由に動く。


 ただ椅子から移動ができないのだ。


 どうやらユネアとベルティナも同じ状況らしく、二人も立ち上がろうとしてもがく。


 そこに、落ち着いた声が聞こえた。


「どうやっても動けねーよ。そういう場所なんだ、ここは」

「あなたは‥‥」


 ユネアとベルティナにばかり目が行っていて、気付かなかった。


 鮮やかな金髪に赤い目をした、リーシャを幼くしたような少女。


 会うのは初めてだったが、リーシャには彼女が誰なのかすぐに分かった。


 同じ立場の者として、何かつながりを感じたのかもしれない。


「メヴィア様、でしょうか?」

「ああ。初めに捕まった間抜けだよ」



 メヴィアは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


 アステリスで魔王を討つために、勇輔と旅をした四英雄の一人。


 破戒聖女とも言われる治癒の名手、メヴィアである。


 ネストから敵の手に落ちたと聞いていた。


 幸いにも怪我をしている様子はなく、心身ともに異常はなさそうだった。


「メヴィア様がいらっしゃるということは、ここは敵の手中ということですか」


 ある程度予想はしていた。


 山の中であの巨大な魔法陣に飲み込まれた時点で、主導権はあちらにあるのだから。


「ああ。ここは『昊橋カケハシ』って空間の中らしい。魔術で作った異空間だな」

「異空間。魔術領域のようなものでしょうか」

「広義的に見りゃそうだろう。ただこの規模感となれば、もはや別物と考えた方がいい」

「規模感ですか?」


 メヴィアは顎で上を指した。


 三人が上を見上げると、そこに広がっていたのは白い天井ではなく、虹色のもやのような、オーロラのかかった夜空のような、不可思議な空間だった。


 全員が見上げるのを待っていたかのように、空はうねり、いくつもの光景を映し出した。


 そこではカナミや月子、シャーラ、エリスたちが戦っていた。


「皆さんは今戦われているのですか⁉」


 全員リーシャたちと同じようにこの『昊橋カケハシ』に連れてこられたのだろう。


 そうなれば、相手は当然、導書グリモワール


「ああ。戦い自体はさっき始まったばかりみたいだけどな。見ての通り、俺たちがいる場所以外にも、いくつもの空間が別れて存在している」

「っ――‼」


 仲間たちが戦っている姿を見て、リーシャはもう一度立ち上がろうとした。


 しかしいくら力を入れても、結果は変わらない。


 そんなリーシャの様子を見て、メヴィアが言う。


「やめておけ。これだけの空間を維持する魔術だぞ。人一人が力を入れてどうこうなるものじゃない」

「でしたら、こうします」


 リーシャはそう答えると、魔力を練り上げて魔術を自分の身体の周りに発動させる。何らかの力が外部から身体を拘束しているのは明白。


 であれば、聖域でそれを遮断すればいい。


 しかしそれは成功しなかった。


「聖域が、発動しない‥‥」


 聖域で身体を覆うことさえできなかった。魔力を体内で練ることは可能だが、それを外に放出できない。


「言ったろ。規模が違い過ぎる。人一人分の魔力でどうこうできるような構造じゃねーんだよ、この部屋は」

「そうだとしても、ここでただ見ているなんてできません!」


 リーシャは奥歯を噛み締め、目を見開いて限界まで魔力を回す。髪の毛が浮き上がり、バチバチと魔力同士が衝突する音が響いた。


 数秒。


 リーシャが魔術を発動しようと抗えた時間は、それだけだった。


 風船が弾け飛ぶように意識が切れ、机に突っ伏す。


「ったく、言わんこっちゃない」

「‥‥皆さんが、戦っているんです。私は、このままでは、またただのお荷物になってしまいます」


 意識が途切れたのは一瞬だったのか、机に突っ伏したままリーシャが言った。


 メヴィアはため息を吐く。


 この三人が来るまでに、まったく同じことをしたのだ。馬鹿にする気にはなれなかった。


「何もただ黙って待ってろってわけじゃない。信じて力を温存しろ。余計な体力を使うな。あいつらが来る、その瞬間までな」


「信じて、待つ」


「ユースケ、エリス、コウガルゥもいるんだろ。だったら来る。私はこれまであいつらに命を預けてきた。それを裏切られたことは一度もない。お前にも、信頼できる仲間がいるんだろ」


「‥‥います」


 リーシャは重い身体を起こして、上を見た。


 そこではどこでも、苛烈な戦いが繰り広げられている。


 もしも今の自分にできることがあるとすれば、この戦いから目を逸らさないことだ。


 そうしている間に、あることに気付いた。


「ユースケさんが、いません」


 いくつもの映像が同時に進んでいるので、分かり辛いが、勇輔の姿がどこにも見えない。


「‥‥妙だな。あの馬鹿が真っ先にくたばるわけねーが」


 こうしてわざわざ仲間たちの姿を見せているというのに、勇輔だけ映さないというのはおかしな話だ。


 その答えは、予想外のところからもたらされた。




「勇者なら、今は我らが主と対談の最中よ」




「っ!」

「なに⁉」


 上を見ていた四人が、声の方に視線を向ける。


 半円の円卓が接していた壁。


 真っ白だったはずの壁が、初めから何もなかったかのように消え去っていた。


 円卓の残り半分。


 そこには三人の人間が座っていた。


 リーシャは三人とも面識がない。しかしその内の二人は、千里眼で顔を確認したカナミから、写し描きを見せてもらったことがあった。


 亜麻色の髪をした青年は、フィン・カナティーリャ・サーノルド。自称『鍵』である、サーノルド帝国の第七王子。


 そしてもう一人は黒髪を結んだ線の細い男性。シャーラの魔術を簒奪さんだつした魔術師、櫛名命くしなみこと


 最後の一人だけが、本当に見覚えがなかった。


 肩程までの柔らかそうな金髪は微かな光を帯び、鮮やかな紅い瞳は、楽しそうにこちらを見ている。


 ――似ている。


 リーシャはその少女を見た瞬間に、そう思った。


 メヴィアと自分もそうだが、この少女も、自分の幼少の頃にそっくりだった。

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