第379話 黒き獣
◇ ◇ ◇
目を覚ますと、そこは木造の屋敷だった。
床は想像より分厚いらしく、力を込めて踏みしめても、少しのきしみもなかった。
王都の石造りの街並みや、地球の鉄筋コンクリートの街並みも異国情緒にあふれていて悪くはないが、やはりこういう建物の方がしっくりくる。
生まれも育ちも人の立ち寄らない森の奥深くであるコウガルゥにとって、この足元の感触は懐かしいものだった。
部屋は暗いが、それでもその広さが分かる。
この部屋に来たのはコウガルゥ一人だけだった。
他の仲間たちがどうなったのかは知る由もないが、大方の予想は着く。
この場に呼ばれたのは、コウガルゥ一人。
そして、そこに待つ者もまた一人。
「それで、俺の相手はお前ってわけか」
「左様。我が名はシキン。
床にあぐらをかいていたのは、勇輔が
しかしその見た目はあの時と随分異なる。
筋骨隆々とした肉体は細くなり、見るもの全てを惹きつけたオーラはなくなっていた。
腹から胸にかけて刻まれた傷は、切り傷というにはあまりにも巨大で
竜の牙に噛み砕かれた跡だ。勇輔に殺す気がなかったとはいえ、こうして当たり前にここに座っていることそのものが、奇跡に等しい。
「ああ、知っているよ。一度見たからな」
「すまんな。我にその時の記憶はないのだ」
「通せ。俺は死にぞこないに引導を渡してやるほどお人よしじゃねえ」
コウガルゥはそう言うと、シキンの横を通り過ぎて、部屋の奥にある扉に向かった。
事実、シキンの身体はボロボロだった。
勇輔に斬られた傷だけではない。シキンは過去積み重ねた仙道の修行を強い暗示によって、『
その暗示が解けた結果起こる、自我の崩壊。
魔術とは自らの魂の形そのもの。
それを偽っていたのだから、その代償は計り知れない。
放っておいても、シキンはそう遠くない未来、完全に魔術を失い、滅びる運命にあった。
もはや手を下す必要もない。
コウガルゥは背後に置き去りにしたシキンを振り向くこともなく、扉に進む。その扉こそが、次につながるものだと、直感で判断してのことだ。
座ったままのシキンが乾いた笑い声をあげ、背後のコウガルゥに言った。
「引導か。その目、存外に節穴のようだ」
「あん?」
安っぽい挑発と分かりながら、コウガルゥは振り返った。
――。
そして、ある事実に驚愕した。
それを目にした瞬間、コウガルゥは
半身になって腰を落とし、
意識してのことではなかった。こちらを振り向いてすらいないシキンの後ろ姿を見て、肉体が脳よりも先に反応したのだ。
「おや、このような死にぞこないを相手にしてくれるほど、お人好しではないのではなかったか?」
「‥‥」
シキンは座ったまま、向こうを向いている。
その気になれば頭なり
しかし、動けない。
コウガルゥの故郷、その
やせ細ったシキンの背に、コウガルゥは鬼を見た。
「てめぇ――」
その言葉は、覇気だけで自分が呑まれたことに対する怒りと同時に、シキンが取った選択に対しての感嘆が込められていた。
「引導を渡してもらおうか、異界の
シキンがゆっくりと立ち上がり、コウガルゥを向いた。
どうして気付かなかったのか。
目の前に立っているのは、シキンであって、シキンではない。
暗示が解けた瞬間から、対話を続けてきたのだろう。己を
結果、これが生まれた。
「引導も何もあるかよ。死出の旅路に連れが必要か?」
「そのようなつもりはない。ただ我の目的を達することができれば、それでよいのだ」
シキンだったものは、そう言って笑った。
彼は既に人間ではない。
『
『
滅びゆく己の肉体を
『
それも勇輔と戦った時のように、自らを
正真正銘、千年を生きたシキンという男の、修練の結晶。
コウガルゥは笑った。
「悪かった。今が一番面白れぇって顔してる奴が、死にぞこないなわけねーわな」
「我はそのような顔をしているか。確かに、心躍ると思うのは、久しいことかもしれんな」
シキンが軽く両腕を広げた。
まるで、どこからでもかかってこいと言わんばかりの
「まだ名乗っていなかったな。俺の名はコウガルゥ・エフィトーナ。お前の千年、俺の脚で飛び越えてやるよ」
「やってみるといい。お主の想像より少しばかり長いぞ、その道のりは」
これ以上の問答は必要なかった。
コウガルゥは魔術を発動し、黒い閃光となってシキンの胸を瞬きよりも速く
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